Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

卒業式の花

2009年03月14日 | Weblog
このステキなミニ・ブーケは、
次女が、卒業式で、クラブの後輩から
いただいたもの。
アオヤマ・フワラーマーケットのブーケで、
私がみたときには、すでに、ミニ・花瓶に
リボンも利用して、こういう状態で、飾られていた。

女の子らしい、かわいらしさ。
お花も、もらう人によって、扱いが変わってくるから、
運命に身をゆだねるしかない!?

卒業式の花

2009年03月14日 | Weblog
こちらも、卒業式でいただいた花たち。

息子がもったまま、打ち上げにいったので、
ずいぶん、くたびれて我が家にやってきた・・。
可哀想に。

さきほど、切り詰めて、冷水につけたので、
少しでも、長くもってほしい。

がんばって!

義務教育 卒業

2009年03月14日 | Weblog
火曜日に、我が家の義務教育、最後の卒業式があった。
そのときに、息子が後輩たちから
いただいた花をまとめた・・。

紫のスイトーピーって、昔、あったかしら?

春らしく、雪柳、チューリップ、スイトピィー。

卒業式

2009年03月07日 | Weblog
この3年間、私は、次女の高校によくいった。

近いから、行く機会があるときは、
たいていいった。
保護者対象の土曜講座も2年で、3講座
受講したので、通ったといってもいい。

地元なので、以前から通り抜けたりしていたが
自分の子供が入学して、実際の校風を肌身で
感じた。
見た目は、自由で割りと派手な子がおおい。
というイメージだった。
それが、そうでもなかった。

今日の卒業式をみていてもそうだが、
500人近い高校生が、一糸乱れず、
式典をこなし、そのあとの生徒会主催の
クラブのお別れ会は、盛り上がる。
卒業生へのビデオレターをみていると、
なんて、パフォーマンスが上手で
楽しい生徒が多いのだろう、と感心した。
秩序を守り、自由である。
大きな温室の中で、のびのびと
育つ明るく大きな花たち。

それは、一部の生徒かもしれない。
中には、この学校がいやだった子もいるだろう。
合う、合わないもあるだろう。

でも、うちの子は、この学校にはいることになり
本当によかった。
先日あった、保護者の謝恩会で、初めて個人的に
お話したクラス委員さんも
「この学校のおかあさんたちとは、これからもつきあっていきたい」と
お互いに、近いうちにお茶会でもしましょう。
と、意見があった。

たまたまであるが、娘にも、私にも
あっていたのだ、と思う。

みんなと反対に人が少ないほうの校門から
私は帰る。
門の守衛さんに
「3年間、お世話になりました」といって、頭を下げ
私のこの学校での保護者としての時間が終わった。

これからも通り抜けたいのだが、いいかな?
この学校に堂々と入れないのは、
とても寂しい。


久しぶりに、付け下げを着た

2009年03月07日 | Weblog
次女の高校の卒業式。
朝、早くに目が醒めた。
どうしようかな・・。
今日は、お天気がいいらしい。
次女の学校は、近いし
今日、着なかったら、いつ着るか?
わからないぞ・・・。

というわけで、先日、母に送ってもらった
訪問着を着た。
心配は、この着物を最後にきたのは、
長女の宮参りだったような気がすること。
お太鼓に自分で帯を締めたのは20年くらい前だったような・・・。

娘も、真剣に心配している。

きれいに着付けられなかったが、まあ、なんとか・・。
道行もきるので、格好がついた。
髪も、アップをあきらめていたのに、
カーラーをはずしているうちに、自然に、
逆毛を立てて、それなりのセットをした。
娘に手伝ってもらったが、どういうわけか、
私の中で、美容院にいった経験、着物をきた経験が
頭の中で、生き返り、それなりになった。
飾りは、とっさにいろんなものを出したが、
結局、櫛におちついた。
娘が成人式につかったものだ。
いいのかな?とおもいつつ・・・。

ああ、柔かい着物はいい。
帰宅して、着物ハンガーにかけた。

ああ、この絵柄だったのね。
着物をみると、自然にこの花を
探していたわけがわかった。
若いときは、地味だと思っていた。
今回は、この色をきたら派手じゃないか?と思った。
心配だったのは、私の横幅が、増えたことだったが、
着てみたら、問題は、横幅より、おはしょりが長くなり、
「どうしてだろう?こんなに長かったかな?」と疑問に思った。

私の着物は、親戚のおばあさん(大叔母にあたる)
が仕立ててくれていたが、いつも、長めだった。
いつぞや母とその老婆を訪ね、母が、「この間の襦袢が、ちょっと長かった」といったら、
大叔母さんは、「○○ちゃん、これから背がのびるやろ」といった。
そのとき、すでに、身長は、とまっている年齢だった。
この着物も大叔母さんの仕立てだったのかな?
もう、何十年も昔のことである。

私は、太ったが、手の長さが変わったわけではない。
今日、着物をきて、一番気持ちがよかったのは
袖丈が、私にあっていたところかもしれない。
既製品の洋服の袖が、いつも長く感じている。
欧米のシャツなんて、うっとおしいくらいなのだ。

久しぶりに、付け下げ訪問着をきて
やわらかい気持ちになった。







【PV】 蒼く優しく -コブクロ-

2009年03月05日 | Weblog
【PV】 蒼く優しく -コブクロ-


今日、初めての街を歩いていたときに
この曲を聴いていた。
その街は、私が住んでいる街とちがって
とても、平らだった。

この街へくるために、私は上り坂を
あえぎあえぎ上ったような気がする。

上り坂は、あきらめて戻れば
下り坂になる。
それは楽なことなんだ・・。
そうだった・・・。

そんなことを、考えた。

先日、テレビでお坊さんであり有名な作家がいっていた。
地獄と極楽は同じだと。

そこでは、長いお箸を渡される。
長いお箸で、自分で食べようと思うと
苦しみ、
誰か、他の人にたべさせてあげようとすると
相手も喜び、自分も幸せになる。

それが、地獄と極楽の差らしい。


上りを、夢の途中と思えたり
長いお箸を相手のために使おう
と、考えるのも、自分が、健康で
元気な心身を持っていてこそだと思う。

病気で死んだとしても、心が健康であれば
極楽へいけるだろうし、
頑強な体をもっていても、地獄になるかもしれない。

こういうことを感じることができるようになった私は
少しエネルギーがたまってきたような気がする。
でも、帰宅したら、くたくただった・・・・。
足腰が弱っている・・・。
だから、坂道は、やはり好きではない。

2009年03月04日 | Weblog
私が、3歳の冬だから、相当昔のことである。
私を目にいれても痛くないくらい可愛がってくれた
祖父が、旅先で亡くなった。

そのお葬式で、3歳の私と従姉妹は
振袖を着た。
それを私は、なんと覚えている。
童女二人が、振袖で、白い菊を
お棺にいれる場面が記憶にあるのだ。

たくさんの人がきて、自分は着飾っているものだから
うれしくて、ニコニコしていたことも
覚えている。
祖父の棺に最後のお花をいれるのは
恐かったのだが、自分たちだけが、華やかで、うれしかった。
その振袖は、その後、お正月のたびに何回もきた。
そして、今、手許にある。
これも、普通は、ないことではないだろうか?

母は、まだ20代の若さだった。
後に
「おばあちゃんのいうように、
お葬式にあんなものをきせて、
世間では笑われているのに、違いない」と
ずっとけなしている。

私は、どうして、祖母がそんなことを指示したのか?
不思議でならなかった。
祖母は、口数が少ないおっとりした人だった。
お行儀がよく、お魚をきれいに食べた。
夏以外は、着物だった。
遠縁のお屋敷に行儀見習いにいったという。

そんな祖母が、どうして?とずっと謎だった。

今朝、ふとひらめいたのが、
あの当時、私と従姉妹が、もっている第一正装が
あの着物だったのではないだろうか?
3歳の子供なので、喪服なんてもっているわけがない。
今とちがって、黒い服ももっていなかっただろう。
祖母は、一緒に旅行にいって、帰る途中の汽車の中で、
夫が、突然 死んでしまった。
その動顚もあったかもしれないが、あの頃は、また頭は
しっかりしていた年齢だ。

「ハレ」の日というわけではないが
「ケ」の日ではない。
「ケ」でない日は、礼装をきる。
それを祖母は、幼い私たちにも、求めたのかな?

関西の葬儀は、黒一色だ。
外に立てるのも樒(しきみ)なので、きれいな色は一切ない。
「おくりびと」の中で、山形のお葬式の
家の外に立てるのは、浅黄色の花輪だった。
その色をみたとき、
とっさに、私が、きれいな色の着物をきていても
死者にたいして、失礼にならかったのではないか?
礼装をきたのだから、あれはあれでよかったのではないか?
と、感じたみたいで、今朝、いきなり、そんな考えが浮かんだのだ。

間違っているのかもしれない。
本当に、我が家の歴史に残る恥ずかしいエピソードの
一つなのかもしれない。
しかし、私は、みすぼらしい普段着より、きれいなおべべをきて
祖父を送ったことが、よかった、と、この年になっておもったのだ。

そんな遠い記憶さえ、思いおこしてしまう映画だった。
早速、母に電話をしたのだが、母のなかで、そういうことは
文化論だとか問題意識にならず、ひたすら
嫁として、恥ずかしい思いをした、
という何十年間のほうが、重いのだった。

ちなみに、うちの長女も、3歳のときに
祖父をなくし、お葬式、法事にでている。
私は、黒いワンピースを着せたが、普段から、
もっていたのである。
私は、いつでも、一応のフォーマルを用意する
人間に育った。
三つ子の魂百まで、って、本当だ。
祖母の意思が、想像通りなら・・・。


おくりびと

2009年03月04日 | Weblog
昨日、映画「おくりびと」を娘とみにいくことが
できた。
本当は、賞をとる前にみて、自分の価値観で、
観賞したいタイプなのだが、今年は、映画を軒並み
みられなかった。

映画「おくりびと」は、本当に本当によかった。
何回も涙がでてしまった。
日本人で、身内のお葬式を体験した人なら、
絶対に泣けてしまうし、他のことでも
泣いてしまうことがたくさんある。
「生」と「死」が、対比的に何回もでてくるように
思う。
「静」と「動」もあったとおもう。
葬式という不幸と、ちょっとした、幸福や
おめでたいことも、対比されてたくさんでてくるように
思う。

不幸の中に幸があり、
幸の中にも、不幸がある。
その事柄が、ハーモニーとなって、
映画を見終わって反芻してみると、
交響楽のように、たくさんのことが
調和よく、描かれていたと思う。

****

感想は、エンドレスになりそうにある。
今朝、目がさめて、ベットの中でもおもいだしていて、ふと
「ああ、そうだったのか・・。」と思ったことがあった。
長年の謎が解けたような気持ちがした。


窓口にて

2009年03月02日 | Weblog
午前中、次女と銀行と郵便局にいった。
年末から、この銀行に何回きたことだろう。
今日も、番号をよばれていくと
いつもの女性だった。

窓口はいくつもあるのに、
受験料も、合格した入学金を払い込むとき
この女性だった。
受験料を初めてはらいこんだとき
「がんばってください」」といって
合格鉛筆をくださった。

「ああ、またあの人だ」と娘がいう。
「お陰さまで、決まりました。
○○さんから、払い込んだところは
全部、合格しました。」というと
「ああ、本当ですか?
鳥肌がたってきました。
よかったですね。
ダブル受験でしたか。
大変ですよね、うもでしたから」と、笑顔でこたえてくれた。

実際には、不合格だったところもあったかもしれない。
でも、窓口がこの女性だと合格する、みたいなジンクスが
いつのまにかできてしまった。

郵便局に移動しながら、
「今日もあの人でよかったね。
あの人も、あんな風に報告してくれたら、
気持ちいいよね。
両方、気持ちいいでしょ?」と娘と話した。

次の郵便局で、となりのおじさんが、
怒鳴ってクレームをいっていた。
小耳に挟んだ情報でも、
この人が怒るわけが、納得するようなことだった。
テレビでは、鳩山さんが、東京中央郵便局の取り壊しに
大激怒。
こちらも、私としては、東京駅前は、高層にすれば
もうかるかもしれないが、あの建物は、残してほしいと思う。





ウエッジウッド展にいきそびれ・・。

2009年03月01日 | Weblog
子供たちの進路が決まった。

次女は、北へ
長男は、南へ。
試験のときは、東へ西への日もあった。

とにかく、受験は、とりあえず終わった。
ぐったりとした私は、昨日、今日と
家でいる。
昨日は、そごうにいくつもりだった。
ウエッジウッド展にいくつもりで
チケットももっていたのに、ついに
今日の最終日、いろんな疲れで
どうしても出かける気になれず、
娘にいってもらった。

テレビで、横浜東口で、通り魔がでて
女性が刺された事件が報道された。
まさしく娘がいっている場所。
電話をしたら、もう、帰宅の途に
ついていた。
「警察がたくさんいたよ」


帰宅して、ウエッジウッド展のお土産をくれた。
「うちにある、赤いのの、青いバージョンの
フルセットがあって、すごいきれいだった・・。
女王様のカップもあった」

ああ、パウダーターコイズのフルセットだったら、
光があたると、とてもきれいだったことだろう。
すごく行きたかったな。
うちのルビー色のお皿は、そんなに使わないし、
光もあてないから、ひっそりとしている。
(時々、上等なケーキがあるときに使うくらい。
私の密かな楽しみに)

春から、私以外の家族は、電車にのって出かける。
今まで、娘は、徒歩だったし、上二人は、大学まで
電車にのらなくてよかった。
息子は遅刻しないか?
ちゃんと学校にいけるのか?
娘たちは、通り魔などの災難に遭わないか?
いろんなことが心配になってきた。
一気に、我が家の子供たちの行動範囲が広くなるのだ。
元気で、無事に通学してほしい。