Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

戸塚

2008年08月19日 | Weblog
ある時期、私は、東海道本線の
戸塚に住んでいた。

戸塚に住むことになったとき
「ここはいやだ!」と駅で泣いた。

戸塚駅前の商店街は、古い街で
物価も安く、活気があった。
それは、私が好きな下町に
通じるものであった。

でも、よそ者が住むのには
やはり、キツイ街だった。

私はこの時期、幼児と妊婦だったり、
幼稚園児と赤ん坊を連れた
車を運転できない母親だった。

駅からバスで20~30分かかって、バス停から
さらに歩いて、社宅という名前のアパートに
暮らしていた。

駅前のターミナルは、駅から少しはなれ、
二重三重に行列ができる。
絶対に、座りたいから、みんな、次や
その次のバスの列に並ぶのだ。
はじめ、私はわからず、素直に きたバスに乗る。
子供や赤ん坊を抱っこしていても
誰も席を譲ってくれない。
満員のバスの中を、私はがんばっていた。

帰省から、かえってきたとき
タクシーに乗りたい、と思っても、
タクシー乗り場もすごい、列だった。

子連れで、くたくたの私は、もう、泣きたくなる。
一応、並んでいて、夫が、社宅まで車をとりに帰る。
戻ってきても、タクシーに乗れていないくらいなのだ。

戸塚は、江戸時代から、東海道の宿場町であり、
現在も東京に直結の街だから、みんな、東京と
往復している生活なのだ。
だから、くたくたなのは、全員がくたくたなのだ。

子供づれであろうが、体調が悪い人がいようが、
そんな人を誰もみていない。
自分の身を守ることだけを考えている。

****

最近、東海道に乗る予定があると、
私は、まず、靴をどれにしようか?
と考える。
おしゃれより、電車で立つことを
重視である。

時刻によっては、グリーン車に乗ったことがある。
すごく思い切って、グリーン料金を払ったのに
それでも、横浜駅まで
座れなかった。
(執念深い私は、このことを忘れない)

そんな経験を経て、最近の私は、意外と
あっさり、東海道の普通車で、
座ったりできるようになっていった。
不思議だなあ・・・。
横浜駅の移動人数が多いときに
ちょっと、コツをおぼえたのだろうな。

なにも知らないというのは、無邪気であり、
善良であり、また、弱いものである。

コツをつかみ、うまく人ごみを泳いでいく、
というのは、狡猾であり、楽になり、
また、自分がちょっといやな人間になることだ。

人に冷たくしてまで、楽をしたいわけではないから
はしたないまねをしていないと思っている。

その電車に乗る人は
みんな、そう思っていることだろう・・・・・。

そういう殺気を笑うように
大きなやさしい空気を出すには
私は、体力がなく、器が小さすぎる。

戸塚駅には、長いこと、
降りていない。

みじめな思い出が詰まった街。

今は、まだ
電車の中から、少し眺めるだけである。





やさしい空気

2008年08月19日 | Weblog
友人Kちゃんといると
やさしい空気に
つつまれる。

私の日常の空間に
彼女がいて、反省させられたことが
たくさんあった。

たとえば、いきなれたスーパーの
エレベーターで、私は、特に意地悪でもなく、
マナーを守ったうえで、急いでいる主婦なわけだが、
いつの間にか、自分が嫌っていた不親切な人間に
なっていたのに、気がついた。

電車でも そうだった。

私は、もちろん、意地悪なことや、
めだって、あつかましいことをしないように
しているつもりだったが、
この空間の中では、私は、生活者であり
この辺りの人の空気にそまって、
のんびり、親切な空気をださない人種に
自分もなっていたのだ。

そして、あいかわず、人には、「不親切だ」と
不満をもっている。

私は、家でも外でも、自分の変貌ぶりを
見せつけられた。
自分で、そう感じただけだが・・。

変わってしまった自分が、いやになった。
しかし、これからだって見た目、私は、変わらないだろう。
今の自分でないと、やっていけないからだ。
月日がかかって今の私になったので
今のスタイルが、悪いことだとは思わない。

私なりの生き方であるのだから。
でも・・・。


そのやさしい空気は、
「いいもの」だということも
目に見えるほど
手に触れるほど
感じた。


扇風機 コワイ!

2008年08月18日 | Weblog
今年も、扇風機が
大活躍である。

私は、扇風機の風がコワイ。

こんなに、お世話になりながら
いまだにコワイと思うのは・・・・。

今を去ること○十年の昔。

私が、大学生であった夏休み。
高校時代の友人たちと中国地方に
旅行に出かけた。
(今、オリンピックをしている中国ではなくて、
日本の中国地方である)

最後に泊まったのが、某国民宿舎であった。
お金がない若者だから、
みんなで雑魚寝も仕方ない。

その部屋には、扇風機があるだけだった。

「扇風機で死んだ人がいるんだって。」と
友達の一人がいった。
たかが、こんな風で、人が死ぬはずがない。
こんなに、暑いのに、扇風機がなければ、
もっと、死ぬ確立が高い。

そう、心の中で一人ごちた。

さて、寝る場所をどうやって決めたのか
覚えていない。
私は、じゃんけんで負けたのだろうか?
扇風機が一番近い場所で寝ることになった。

翌朝、生きて家に帰った。
しかし、その翌日から、ひどい体調に
なった。
高熱を出してしまったのだ。
「夏風邪をひいたのでしょう」という医者の診立てだった。

夏の暑いときの熱のつらかったこと!
頭もいたかったし、だるかったし。
というような細かいことは、さすがの私も
憶えていないのだが、熱の出始めの
いや~な苦しさがあったことだけは、
憶えている。
旅の最後の夜に、たっぷり一晩中、
扇風機の風に当たり続けたこと。
きっと、あれのせいだ!

それ以来、扇風機の風をまともに
受け続けることが、とても、コワイ。


お風呂あがりは、とても、愛しているけれどもね。
それでも、普段は、回る設定にしてしまう・・・・・。
おやすみリズムがあるのは、とてもありがたい。


怪談

2008年08月17日 | Weblog
映画「怪談」は、一言でいうなら、
とても、綺麗だった。

言葉も、美しい。
黒木 瞳が使う江戸言葉の
美しさ。
背中のことを「背な」という。
衣装の美しさ。
黒澤和子さんである。
しぐさの美しさ。
煙草売りの売り声の
張りがある、美しさ。
菊之助も、黒木瞳も
鍛えられた所作を、自然に見せてくれる。

菊之助は、7年前に新国立劇場で
歌舞伎をみたのだが、その頃は
「菊之助ちゃ~ん」っていう感じだったのに、
見事に色男になっている。

菊之助 演じる「新さん」は、
悪い男ではない。

綺麗で、一途で優しくて・・・・。
女に惚れられてしまうことが
罪なのだ。

そして、豊志賀と新さんは、親が、仇。
新さんは、なにをしても災いになっていく悲しさ。

私は、歌舞伎のファンでもなく、
チャンスがあれば、見る程度。

海老蔵の荒事と菊之助の和事。
これは見ごたえあるかもしれない。
チャンスないかなあ?

プライベートは、別にして、
すばらしい歌舞伎の後継者には
違いない。

さて、一昨日は家に、子どもが借りてきた
「魔法にかけられて」があったので、子どもたちとみた。

こちらも、とても面白く、
私って、雑食だなあ~と思った・・・。


茶々

2008年08月15日 | Weblog
この二日間で、レンタルショップで借りた
映画を2本みた。

「茶々」と「怪談」

私は、ホラーものは
怖いので、絶対みないのだが、
この映画は、尾上 菊之助と黒木瞳の
主演で、怖いものというより、
人間の悲しさや因縁、それから、日本の情緒が
味わえそうだったので、観たかった。

「茶々」は、井上 靖氏の「淀殿日記」が
原作なので、今までに読んだかもしれない。

大阪城は、私には、なじみのある場所である。
映画をみたあと、一緒にみていた
長女が「一人で大阪城に行く」といいだした。
影響、ありあり?

「地下鉄、どうやっていけばいいの?」
大阪城は、ひょいっと行くところであって、
わざわざ行く場所ではなかった。

映画では、天守閣を爆破したことになっているが、
私は、「淀君 自刃に地」の石碑の前をよく、
通ったものだ。

老獪な家康や、高台院を相手に
よく、がんばったお姫さま。

高野山に林間学校にいったとき、
妹のお剛の方(徳川 秀忠正室)
のお墓が、高野山で一番大きいとしり、
姉が負けたと思っていた。

そういうものじゃなかった・・・。
過酷な運命に翻弄された三姉妹。

これまで、たくさんの淀殿を演じた女優さんをみてきた。
和央 ようかの淀君は、静かで、たたずまいが
美しい。
宝塚出身ならでは、だったかも?

妹のお剛役は寺島しのぶだった。

立て続けにみた「怪談」は、弟の菊之助。
偶然、姉弟を連続、みたことになる。
似ている~。
でも、違う~。
でも、似ている~。

下のまつげが長い。
誰に似たのかなあ?

すごい一家だなあ・・・。
と思った。

家でこもる

2008年08月15日 | Weblog
朝、買い物にいくと
混んでいる。
世間は、お盆やすみで、
お父さんも一緒にきたり、
レジの前のおかあさんは、
たくさん、買い物をしている。
きっと、子どもとその家族が
かえってくるのだろう。

うちは、今年のお盆に
私は帰省する予定はない。

お盆になったが、息子が塾が休みで
夫が、今日からなので、
これから、数日間 家族がいて、
いつものリズムが狂ってしまう。

それに、すごく暑いので
朝、少し早起きして、午後は、昼寝するか
部屋にこもってやすむ。

いつもは、クーラーが苦手なネコも
さすがに、たまにエアコンの部屋で、涼んでいる。
でも、ほとんど動かない。
生花を買っても、数日しかもたないので、
たまりかねて、造花の水中花をかってみた。
なにもかも、枯れ尽くす今年の夏。
厳しい。


江ノ電の戦い

2008年08月12日 | Weblog
江ノ電は、鎌倉~藤沢を走る可愛い電車である。
小ぶりで、のんびりした走りが人気である。

それで・・・。
ゴールデンウィークや土日などに
乗ると、この愛すべき江ノ電が
苦痛の電車となる。

それも知っている上で、一か八かの
勝負にでた(大げさな)私であった。

鎌倉駅から、座れば、耐えられるか?と・・・・・。

残念ながら、私は、江ノ島まで座れなかった・・・。
でも、しっかり、海方向にたったので、
渋滞のR143や、人の波や、真っ暗な海は、見られたのだったが・・・・。

目の前や周りには、浴衣をきた若いカップルがたくさんいた。
可愛い。
最近は、若い男性も浴衣が流行なのか、
素敵である。
しかし、二人で浴衣をきて、花火を楽しむことが
なかった私にとっては、羨望であり、
「かれしぃ~、若いんだから、立ってくれないかな?」と思う
意地悪な心が沸き起こっても、
「いいわね~。」と思う余裕はない!

車内の持ち手の輪を持つ私は、
「そうよ、これは、フィットネスよ。
バランス感覚を養って、おまけに
筋トレもできるのよ。」と自分に言い聞かせた
江ノ電の時間だった。

途中、止まる駅にも、人が乗ってこようとする列がある。
「ええ~!!これ以上無理だよ」と人々の心の声が聞こえる。
もし、江ノ電が、今、倒れたら、私は、間違いなく
圧死する!
もう、ゆっくりでいいから、そろそろ・・と、人々を
運んで頂戴!
そんな祈りに近い気持ちで、乗客が
湘南海岸沿いで、降りてくれることも祈った。
乗っている全員が、そう思ったことだろう。

江ノ島についたとき、増え続けた乗客が
わりと降りそうだった。
私も江ノ島で降りたルートをとろうか?と思ったのだが、
モノレールは、もっと狭いと思うと、やはり、この姿勢で
がんばろうと思った。
座っている浴衣の若い女性の前に、幼児を抱いたお父さんがたっていて、
「足をあげて!お姉ちゃんに迷惑がかかる!」と何回も叫ぶ。
その男の子は、膝を上げる。
若い女性は、みるに見かねて小さな声で、
「抱っこしましょうか?」とつぶやいた。
私だったら、確実にもっと大きな声でいって、
男の子を膝に乗せたことだろう。
靴でキレイな浴衣を汚されるより、そちらのほうが
気持ちいいに違いない。
そのうち、私の横にたっていた若い浴衣の女性が
彼氏につぶやく
「私の肩が、椅子になっているんですけどぉ・・・・」
男の子は、がんばっているのだが、お姉さんの膝に靴を
つけまいとするあまり、足をあげるとお尻がつきでて、たっている別の
おねえさんの肩に座る格好になっているのだ。
「どのケツだ!?カンチョウしてやれ!」と
彼氏もふざけて、言う。彼女の手前、彼女を気の毒がる。
「べっつにいいよっぉ~」
彼女は、面白がって、笑いながら、さっぱりいう。
湘南の素敵な女の子だ!
彼氏も、ジョークで慰めるあたり、
いい感じ。
(前に座っている浴衣の彼氏が
男の子を抱っこしてやれば、よかったんじゃない?)

****

やっと思いで、藤沢から、大船についた私は
大船で、同じく、花火大会にいった友達にあった。
知り合いにあって、私は、よほど、ホッとした顔を
したのだろう。
友達は、思わず、手をさしのべて
「お疲れさま!」といってくれた。

私の様子は、疲労困倍がアリアリだったのだろうな。
彼女とは、長い付き合いだが、手を握ってくれたのは
初めてだ。

****

江ノ電で、海側にたったこと。
江ノ島で、座ったこと。
悲鳴を上げずに、乗り切ったこと。
藤沢で、150円のミックスジュース・スタンドをみつけ、
躊躇なく、注文したこと。
大船で、いつものパン屋さんが、
タイムサービスをやっていて、パンが
安く買えたこと・・・。

一人で、がんばった、こんな自分を褒めてあげたい。

(帰宅すると、厳しい子どもの声があった。
私は、お風呂からでて、布団もかけず、
エアコンもテレビも、つけっぱなしで、
倒れるように、寝てしまった。
これには、さすがに、子どもが、夜中に
消してくれる、というフォローがあったのである。
子どもが、キツイだけの悪魔じゃなくて、
よかった・・・)





鎌倉花火大会

2008年08月12日 | Weblog
鎌倉花火大会は、今年60回記念大会で、
例年3000発が今年は4000発であるらしい。

ここの花火の特徴は、海の上なので、
水中花火の美しさと、上に打ち上げる花火との
緩急の演出にあるらしい。

ただ、すごい人なので、閉所恐怖症の
私は行く勇気がなかった。
しかし、冒頭のような情報を知るにつれ
自称「花火女」の私は、どうしてもみたくなり、
鎌倉のお父さんと呼んでいる大先輩に
行くご予定があるか、どうか、尋ねてみた。

この方のお陰で、人ごみでごったかえす鎌倉で
特等席で座って、デパ地下でかった
京料理のお弁当とビールを飲みながら
花火を鑑賞するという、贅沢な時間をすごせたのだった・・。
もっと、自慢するなら、通常50円の有料トイレも無料で
使わせていただいた。
すごい、自慢でしょう? ごめんなさい。
ただ、この席からは、海上にシンメトリーに映る
花火までは、観られない。

そのあとの鎌倉駅からは、一人であった。
すさまじい、改札前の群集に、いったん並んだのだったが、
ふと、みると、江ノ電のほうが、まだ、すいているようなので、
急遽、江ノ電で、遠回りをして帰るという作戦にでてみた。

鎌倉花火大会

2008年08月12日 | Weblog
いってきました。
鎌倉花火大会。
人ごみが、すごいらしいので、
行事やイベントがあるときの
鎌倉は、私には「禁区」だったが
今年は、がんばって、神頼みにちかい方法で・・。
ハンディカムも、もっていったが
パソコンにいれらないので、
とりあえず、昨年のものを
お借りしてみた。


http://jp.youtube.com/watch?v=7b4U5m0L-Hw

この親にしてこの子あり

2008年08月10日 | Weblog
さっき、テレビをみていて
気がついたら、涙が少し
流れてしまったのは、
重量上げの三宅 宏実選手を
迎えるお母さんの場面である。

三宅選手は、うちの長女と同じ
年齢である。
私はうちの愚娘にいった。
「あんたね。
『お前は、メダルを取るために
うまれてきた』って、
お父さんと伯父さんにいわれて、育ってみ。」
(新聞の受け売り)
「だって、中学からしたそうだよ・・。」
(そんな、問題じゃない!)

宏実ちゃんは、若い身空で
ストイックな人生だったのだ。
うちの娘とえらい違いじゃないか?

三宅選手のお父さんは、新聞やテレビによく出ているが、
お母さんは、どんな人だろう?
と思っていたら、さっき、テレビでみたのだ。

お母さんもストイックな生活をされていたに
違いない・・・・。
赤い服で応援し、そのまま、娘を迎えたのは、
自分がここにいて、応援しているのを
娘に知らせるためではなかったか?

網のむこうで、ぽろぽろ泣く娘を
自分も泣きながら、
「泣かないで」と、慰めたお母さん。

私も、泣いていた。

この母にして、この子あり・・・・。
宏実選手、よく、がんばったね。

うちの子供が、すばらしい合宿所や
同じ年齢であっても、
チャラ男やチャラ子になってしまったのは
「この親にして、この子あり」
に他ならないのかな・・・・。
まあ、仕方ない、とあきらめよう。