旧厚狭(あさ)郡山陽町(さんようちょう)は山口県南西部、周防灘に面した町です。町名は「山陽地区を代表する都市となるように」との意で命名。周防灘に面し、小野田市、宇部市、美祢市、下関市に隣接。小野田市の郊外として、宇部市を中心市とする宇部都市圏の2次圏であり、下関市や北九州市との繋がりも強く、1990年代までは下関都市圏の2次圏でした。「町の木:クロガネモチ」「町の花:ツツジ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、厚狭郡厚西(おにし)村・高千帆村・出合村(であいそん)が発足。
1918年、厚西村が町制を施行・改称して厚狭郡厚狭町となる。
1929年、厚狭町が出合村を編入。
1948年、生田村が町制を施行・改称して厚狭郡埴生町となる。
1956年、厚狭町が埴生町と合併、山陽町が発足。
2005年、小野田市と合併、山陽小野田市となりました。
マンホールには「竹とタケノコ」、「町の花:ツツジ」と町章がデザインされています。(山陽小野田市埴生地区福田に設置)
埴生地区福田:山陽本線を走る電車
昭和48年3月29日制定の市章は「山陽町の「山」を図案化したもので、円満で発展することを表しています。」合併協議会資料より
厚狭駅前にある「稲束とくわを持った:寝太郎之像」寝太郎の詳細は市の公式HPに紹介されています。
江戸時代末期に長州藩が編纂した「防長風土注進案」には、15世紀から16世紀ごろ、寝てばかりで「寝太郎」と揶揄されていた男が堰を作って厚狭川から水を引き、周辺を開墾したという記録があります。山陽小野田市ではこの記録を基に厚狭の寝太郎伝承が成立したとしています。
碑厚狭駅前:日本で初めて角膜移植を行うための献眼を讃えた「献眼の碑」
撮影日:20年月日&2017年12月2日