車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

橘樹(たちばな)神社~其の二 in 千葉県茂原市

2019年06月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

境内を入って参道の左手、凛々しい印象の「騎馬武者」の像が奉納されています。 鎧・兜のいでたちから考えて『日本武尊』では有り得ませんが、それでは一体誰なんでしょう??

鳥居の内より最初の神域を守護されるのは、丸っこい体が何とも親近感を感じさせる江戸流れ狛犬さん。 台座に「東京市」の文字があるので、東京市になった明治22年以降から、東京都になる昭和18年迄の奉納と思われます。

本殿近くに据えられていた「手水鉢」には御神紋の「橘」。寛延元年(1748)の奉納で、現在は使われていません。

参道左手には「末社:秋葉神社」。天正年間の勧請で『伊弉冉命、火産霊命』をご祭神とします。

秋葉神社の木鼻には、守護を担うにはいささか気の弱そうな顔立ちの唐獅子さん、いまにも大粒の涙がこぼれてきそうな・・・でも好みの顔立ちです。

「吾妻池」の対岸に鎮座される「末社:粟嶋神社」。文禄年間の勧請で、『少彦名命』をご祭神とします。

並んだ三つの鳥居、左から「末社:稲荷神社」、ご祭神は『保食命』で創建以来この地に鎮座されています。

中央に「末社:子安神社」『木花開耶媛命』をご祭神とし、永禄年間に勧請されました。

右側「末社:窟戸神社」『天手力雄命』をご祭神とし、15世紀中頃の『黒熊大膳亮景吉』の居城であった「本納城」の落城とともに遷座されました。

【古文書の一つに、「寛政12年(1800年)11月、社殿改造のため墳丘を削ったところ、甑(こしき)、壷、鉄器」が出てきた。その中の「大きな壷は遺品を納めたものと考えすべて地中に埋め戻した」と記される。】まるごとe千葉より 『弟橘比売命』の御陵とされる古墳は、「宮ノ下遺跡」として、市指定の史跡となっています。

神社の入り口に咲いていた満開の河津桜、その美しさはそのまま『弟橘比売命』の姿に重なり、神話の昔に存在した悲しく強い絆を思い起こさせます。

参拝日:2019年3月9日


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