それは全くの偶然の僥倖。塩尻の三嶋山神社の参拝を最後に伊北ICまで走り、そこで高速に乗ったら後は自宅まで一直線。木曽路の楽しさに話を咲かせていた私達の耳に、何やら面白、妖しいお祭り独特のざわめき!!前方に見える鎮守の森(らしき)場所に、チラっと見える、神社の幟(らしき)白い祭礼幡。そして「らしきもの」が間違いなく祭りの光景とわかった時点で急遽!寄り道決定😆
旧三州街道(国道153号)沿い、塩尻市と辰野町の境に並ぶ二つの神社。塩尻市側が「小野神社」、辰野町側が「矢彦神社」。共に信濃の国二之宮の格式を持ちます。
両社が鎮座する小野盆地は、通称を「頼母(たのも)の里」または「憑(たのめ)の里」とも言い【信濃なる 伊那の郡(こおり)のおもふにも たれか憑(たのめ)の 里といふらん】と万葉集にも詠われ、都人に知られた地であったとか。
この「憑の里」に由来した「小野神社・矢彦神社の例祭」は「田ノ実祭」とも「憑祭」とも称され、九月朔日(現在は十月第一日曜日)に水陸様々な供物を神前に供し、豊作感謝の儀式が執り行なわれます。
私たちの目に一番最初に飛び込んできた祭りの光景は・・・それはもう?!?!?!が入り乱れて😅 気持ちの焦る事といったら。車はご亭主殿に任せて即下車!速攻でデジカメ片手に現場に!
御幣を立てた白木の長持ちに架けられた異様な長さの竿。それを担ぐのは派手で粋な揃いの法被を羽織った若者たち。そうして眼前に繰り広げられる不思議な所作。おそらくはこの祭り独特の行事と思うのですが、息を切らして駆け付けたご亭主殿共々、しっかりと心を鷲掴みされました!
一心不乱にデジカメを向ける私たちに気が付いたのか、所作を終えたメンバーの方たちが揃って手を振ってくれたのが、また無性にうれしく😆。
境外では、先とは違った法被を羽織った方たちのお行列。白木の長持ちに渡されるのは、長い・・長~~い檜の姫竿。長いがゆえにしなる竿を担いで、こうやって町内を巡回するのだとか。
御幣の前の「おかめの面」は何故か頬被り😄。多分ちゃんとした謂れが有るのだろうけど、理由がわからなくても列を進む方たちの所作も含めてとにかく見ているだけで楽しい。
偶然すれ違った方に「粋なデザインの法被ですね」と声をかけると、気軽に背中を見せてくれました。極彩色の風神・雷神を背中にしょって・・ああ、なんか凄く(後姿だけど)男前!!
境内へと急ぐのは、鮮やかな青地の肩一杯に羽を広げる鳳凰の法被を羽織った小粋な団体。彼らの後を追って、祭りの熱気と匂いに満ちた境内へ。
私たちがこの素晴らしいお祭りに遭遇したのは15時30分をいくらか回った頃。奉納相撲の神事があったと思われる土俵も、柱を残すのみで屋根などは片付けられていますが、境内には祭りに必須の屋台が様々な匂いを漂わせています。
弥彦神社神楽殿前の広場には何台かの山車が入っていて、何やら忙しく作業中。どうやら山車はすでにここで何時間かを過したようで、これから境内の外へと移動する様子。屋根にかけられたビニールは、午後から雨の予報の準備かな?
忙しく立ち動く方達には申し訳ないけれども、こんなチャンスは早々巡ってくるものでも無く・・と言う事で山車を背景に記念写真。
で・・・唐突に不思議な髪型、不思議な風体の何やら怪しき人たちを発見。
実はこの方達「雲助の長持ちかつぎ」だそうで、地区の青年団に入ったら必ずやらなければならない掟なんだそうです。おどろおどろしい化粧に、刺青を模した肉襦袢。前に垂れている赤い布は多分「おふんどし」😅 。脚絆にわらじ、腰には実に様々な物がぶら下げられていて、いや~~~もう、これを見せて頂けただけでも、途中下車の甲斐が有りました!!
しかもツーショットでの記念撮影にも快く応じて頂き、もう本当に感謝で一杯です。
「雨沢・友愛團」のメンバー揃っての記念写真。了解を頂いて私も記念に一枚撮らせて頂きました。おどろおどろに化粧された男前の雲助長持ちの方々。後ろにたなびく両の「日の丸」の、何と美しい事!!。ブログに乗せる為、素顔の方はぼかしをいれましたが、ぼかすのがもったいない美人ぞろいなんです。
記念写真が終わったところで、雲助さんたちは長持ちを担いで境内から出てゆきます。先頭の二人は「先棒かつぎ」と呼ばれる方達。
そして一番大変なのが・・・しこたま酒を飲み過ぎて酔っぱらってしまった雲助を演じる「後棒かつぎ」。
千鳥足で長持ちを担ぎながらの絶妙な足運び・・いや普通に歩くのだけでもそれなりの技術がいる筈なのに。で、見ている方は思わずハラハラしつつ、その楽しい仕草につい笑いだしてしまうのです。
先に境内を出ていた山車の列に並び、改めて山車が揃ったところで、今度は各々のダシの前での余興のお披露目。
こちらの山車の上では夫婦漫才かとツッコミが入りそうなお二人の楽しい日本舞踊。飛び交うお捻り😄 周囲は祭りの熱気もまじりあって、灰色の雲も蹴散らす勢い。
その賑わいの中で静かに下界に降ろされる祭礼幟。正装した役員の方々の手によって大切に大切に畳まれてゆきます。こういう場面を見ると、どんなに愉快に羽目を外そうとも、祭りは神事だと改めて感じます。
小野・矢彦の有名な祭りと言えば六年に一度、卯年と酉年の5月に行われる「式年御柱大祭」。社伝では『坂上田村麻呂』の戦勝祈願が叶い、天皇の勅によって御柱を建てたのが始まりとか。諏訪大社の勇壮さに比べ、小野・矢彦は、きらびやかな衣装が特徴とされ、古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されたとか。綺羅の御柱・・叶うなら高速飛ばして見に来たいね!
撮影日:2010年10月3日
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