車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛知県刈谷市

2016年08月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

刈谷市(かりやし)は愛知県のほぼ中央に位置し、西三河平野西部にある衣浦湾へ注ぐ逢妻川の下流に面しています。江戸時代には土井氏二万三千石の刈谷城の城下町として栄え、明治維新以降には、時代の先駆けとなる多くの人材を輩出。また豊田自動織機の誘致が工業都市としての発展につながり、現在はトヨタ関連企業(デンソー、アイシン精機、豊田自動織機、トヨタ車体、トヨタ紡織等)が軒並み本社を構える自動車工業都市として活気に満ちあふれています。「市の花:杜若」「市の木:クスノキ」」を制定。

また、伊勢湾岸道にある「刈谷ハイウェイオアシス」は、TDL、USAに次ぐ集客を誇ると言われ、連日多くの人でにぎわっています。

キャッチフレーズは「人が輝く 安心快適な産業文化都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により碧海郡刈谷町・逢妻村・小山村・重原村・元刈谷村・一ツ木村・境村・下重原村・高棚村が発足。

1890年、高棚村から榎前村が分立。 

1891年、碧海郡境村から東境村が分立。高棚村から下重原村が分立し、半高村、重原村となる。

1906年、碧海郡境村、東境村、一ツ木村、逢見村が合併し富士松村が成立。 高棚村、小垣江村、野田村、半高村、榎前村の一部合併し、依佐美村となる。

1906年、碧海郡刈谷町、逢妻村、小山村、重原村、元刈谷村が合併、改めて刈谷町が発足。

1950年、刈谷町が市制を施行、刈谷市が発足。

1955年、碧海郡依佐美村の大部分と富士松村を編入。

マンホールには、市の花で天然記念物の「小堤西池のカキツバタ」が描かれています。(カラーマンホールは、ハイウェイオアシス内、市内中心部に設置)

カラー小サイズ

雨水

展示マンホール

昭和26年(1951)10月26日制定の市章は「「雁」と「8」をモチーフにしたデザインで、「まさに雁が羽ばたき、飛び出さんとする形」をとったものです。また「8すなわち八は古来、末広がりといわれ、将来ますます発展する」という意味。8の上の部分がひらいているのは躍動をイメージさせます。「雁八」は「かりや」で「刈谷」の象徴となっています。」公式HPより

雨水

防火水槽

「小堤西池のカキツバタ」が描かれたデザイン消火栓。右上のシンボルマークは「K」を未来に向かって羽ばたく鳥と重ねて図案化したものです。

デザイン仕切弁

デザイン空気弁

仕切弁

泥吐弁

市章付き側溝蓋

2013年に刈谷城築城480年の記念キャラクターとして誕生したマスコットキャラクター『かつなりくん』。城づくりとヤリ集めが趣味の元気で負けず嫌い!鬼日向と呼ばれた刈谷藩初代藩主水野勝成公と市の花カキツバタがモチーフの天文2年(1533年)生まれの男の子です。丁度お披露目のときに居合わせたので、年齢も考えず(笑)子供たちに混じって記念の一枚。一般的に実物とイラストって見た目がかなり・・ですが、、珍しくイラスト通りの可愛いキャラでした。

刈谷ハイウェイオアシスのマスコットキャラクター『カーリー』。車をイメージした帽子と、刈谷市の花「カキツバタ」のお洋服がとってもチャーミングです。

市役所近く、アイリス通りの鉄柵のレリーフ「小堤西池のカキツバタ」

「刈谷城」

刈谷市御幸町の「明治用水頭首工」

市指定無形民俗文化財 野田八幡宮の「雨乞傘踊り」

撮影日:2011年9月19日(マスコットキャラクターのみ2013年11月6日)

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 博物館明治村2丁目~Ⅹ~ in ... | トップ | 半城土(はじょうど)天満神... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県」カテゴリの最新記事