車泊で「ご当地マンホール」

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飯香岡(いいがおか)八幡宮~其の一 in 千葉県市原市

2019年10月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

市原市八幡に鎮座される「飯香岡(いいがおか)八幡宮」。旧・上総國の国府總社に比定されます。

御祭神は中殿に『誉田別命』。左殿に『息長帯姫命』。右殿に『玉依姫命』。前殿に『猿田彦命』。左相殿に『日本武尊・足仲彦尊・経津主命』。 右相殿に『天穂日命・中筒男命・事代主命』

木製両部鳥居の扁額は天保12年(1841)の奉納、見事な登り龍と降り龍の彫刻が施されています。

境内由緒に【飯香岡八幡宮として鎮座する以前は六所御影神社と称したといわれ、白鳳年間(675年)、一国一社の八幡宮として勧請されたことに起源をもつという。天平宝字3年(759年)全国放生の地に鎮座する国府八幡宮と定められ、国府司祭の放生会を現在に伝える上総の国の古社の一つ。中世以降上総総社としての機能を持つ。その名残から、国府総社と尊称されている。 保元3年(1158)、山城国の石清水八幡宮『諸国荘園官符』に「上総国市原別宮」と記載され、石清水八幡宮別宮の市原八幡宮として中世以降、源氏・千葉氏・足利氏・徳川氏の崇敬を集めた。】

手水舎の前より神域を守護されるのは、大正六年(1917)九月吉日奉納の平ったいお顔の狛犬さん。頭の下にすぐ分厚い瞼が有って小さな鼻が有って大きな口が有って、何というか、とても機嫌よいお顔で参拝者を出迎えてくれます。

阿形さんと吽形さんの口の開きにはそんな差が無いように見えますが、でもちゃんと、微妙に違ってます。 厳つくも無く、猛々しくもない、顎の下を撫でられたら喉を鳴らしてくれそうな一対。

鳥居から真っ直ぐの拝殿は墨書銘によって元禄4年(1691)の建立とされます。正面5間、側面3間で、屋根は入母屋造、銅板葺。正面中央に千鳥破風をつけ、向拝中央は軒唐破風となった優美なつくりで、県指定有形文化財に選定。

拝殿後方には、室町時代中期(15世紀)と推定される、入母屋造、銅板葺の本殿が続きます。正面3間、側面2間の総丹塗り、屋根は銅板葺の入母屋造りの本殿は、国指定重要文化財に指定。本殿と拝殿は幣殿で繋がれ一体化した構造の権現造となっており、優美な姿を見せて鎮座されています。

飯香岡八幡宮本殿の右側には、千葉県指定天然記念物の「夫婦銀杏」が、枝を広げています。 社伝に、天武天皇4年の八幡宮勧請の際、「勅使:桜町中納言季満」によって植えられたと云われます。

夫婦銀杏の傍らには、中納言季満お手植えの際に詠んだ歌の碑が、明治24年に建立されています。
【君が為 けふ植そへし銀杏樹(ちちのみ)に  いく世経んとも 神やどるらん】 

もう一つの碑には【ちちの木の かみをたのまぬ  人なかりけり】『佐々木高行』

社殿の左側には、『源頼朝』が逆に植え根付いたとされる「倒いちょう」も高く聳えています。 どの木にも謂れがあり、それらを見て周るのもまた楽しみです。

境内の一画で存在感を主張する「神楽殿」。祭礼の時にはお神楽などで賑わうそうですが、今はただ静か。

「神楽殿」の近くには、いつのまにか住み着いてしまったという「鶏」が人懐こく近寄ってくれました。 こんなに人馴れしているんだから、神社で飼っている神鶏かと思ったのですが、実は違うそうです😅 ?? では何処から???

「放生池」は、仏教の戒律である「殺生戒」に基づいて、生物を放つ池を称した池の名称。 神仏習合によって神道にも取り入れられた儀式で、放生の地に鎮座する国府八幡宮ならではの景色。

もう一つ、境内に建立されていた「青面(しょうめん)金剛尊」の文字碑も、やはり仏教の庚申信仰から。「青面金剛明王」とも呼ばれ、「三尸(さんし)」を押さえる神とされています。

境内には、他にも多くの境内社や、興味深い歴史の一片を物語るものなどが沢山あります。 歌碑や句碑など、判読できるものもそうでない物も含めて、残りは明日・・・明後日まで続きます。

参拝日:2019年3月19日


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