車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 静岡県旧雄踏町&旧可美村(浜松市)

2021年05月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧浜名郡雄踏町(ゆうとうちょう)は静岡県の遠州西部に位置した町です。浜松市、舞阪町に隣接。町名は和名抄に現れる「雄踏郷」に由来。明治22年の雄踏村成立に当たり、従来「おふみ」と訓読みしていたのを音読みの「ゆうとう」に改称しました。金山神社の社伝に、日本武尊東征のおり「伊都の雄詰を踏み建び給いしよりこの里を雄踏と号す」とあり、この故事を慕ったといわれています。浜名湖南東岸に臨み、南部は宇布見・山崎の2地区に分かれ、ウナギの養殖、楽器・自動車部品工業が盛ん。「町の木:マキ」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「湖(うみ)・太陽・そして緑」

明治22年(1889)、町村制の施行により敷知郡雄踏村が発足。

1896年、郡制の施行により、敷知郡が一部を除いて浜名郡となる。

1925年、雄踏村が町制を施行、浜名郡雄踏町が発足。

2005年、浜松市に編入、2007年、浜松市西区雄踏町となりました。

町域にデザインマンホールは見当たらず、町章だけの規格蓋です。

昭和44年4月12日制定の町章は「「ゆうとう」の「ユ」を図案化し、浜名湖における雄踏町の位置と限りない発展を表した。」旧公式HPより

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旧浜名郡可美村(かみむら)は静岡県の西部に位置し、浜松市に周囲を囲まれるという全国的にも珍しい村域。村名は当時の浜名郡長の鈴木七二郎氏の漢詩文より選定された「美しかる可(べ)き村」よりの瑞祥名。村域には後三条天皇の延久年間頃に熊野本宮大社の神主によって創建されたと伝えられる「高塚熊野神社」が鎮座。昭和4年(1929)東海道本線高塚駅の開設を機に織機、紡績、自動車などの工場が進出。また、西浜松貨物駅、青果市場、魚市場、鶏卵市場などの流通施設も存在します。「村の木:マキ(通称・ホソバ)」「村の花:モモ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により浜名郡浅場村が発足。

1914年、村名を浅場村から可美村に変更。

1949年、可美村大字明神野・大字東明神野が浜松市に編入。

1991年、 可美村が浜松市に編入・2007年、政令指定都市移行により、浜松市南区となりました。

マンホールは村章のある規格蓋が一枚だけですが、見つけられた事は、私的にはかなり貴重。

昭和47年11月11日制定の村章は「桜の花で縁取って華は「可」に通じかつ南側は太平洋・北側は南アルプスに対し、「美」は槇の葉を構成し、象徴したもの」旧公式HPより。

撮影日:2010年4月18日


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