goo blog サービス終了のお知らせ 

車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

栗渓(くりたに)神社 in 鳥取市栗谷町

2017年03月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市栗谷町に鎮座される「栗渓(くりたに)神社」。御祭神は『須佐之男神』

一の鳥居から見上げた先に続く長い石段・・私、この先の鳥取車中泊を継続できるのかしら? 思わず弱気になったものの、だからと言って一人で車で待つのはもっと耐えられない(^^;)

やっと見えて来た二の鳥居・・で、その先にまた石段。

「創建は不詳、播磨国広嶺神社の分霊を勧請奉祀し、往古は正一位牛頭天王と称し、社地を天王山と称した。享保5年(1720)鳥取大火の際に社殿及び棟札古記録など悉く消失。明治元年(1868)に「栗渓神社」と改称し、次いで村社に列格。明治元年(1868)栗渓神社と改称し、次いで村社に列格せられ、明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定された。」

一間社流造りの御本殿

玉垣に囲まれた境内正面に入母屋造平入、軒向拝の拝殿

拝殿目貫彫刻の「龍」

拝殿木鼻の「獅子と象」

拝殿扉に彫刻された「見返る獅子」

「追う獅子」

上側は鳥取藩池田家の副紋「祇園守紋」

享和3年、池田家の姚姫が嫁いだ鍋島の家紋「杏葉紋」

拝殿後方、玉垣の内より神域を守護されるのは出雲丹後の狛犬さん一対。台座には「享和二(1802)壬戌年九月吉日」の刻。

顎をクイッと上げてどこを見ているのか(*^^*) 阿形さんの半開きの口元が、吽形さんの悪戯っぽく結ばれた口がものすご~~~~~~くツボ(笑)

そして・・・後姿にさり気なく「ハート」。

拝殿前より神域を守護されるのは、大正15年(1926)9月吉日建立の岡崎型狛犬さん一対。

拝殿繋ぎ虹梁の左隅には「長胴太鼓」が掲げられています。

境内の裏手に鎮座される境内社「西の宮社」

境内社「稲荷社」

ゆったりと流れる時間 吐く息さえも浄化されるような清々しい景色。

参拝日:2012年4月16日

 


大森神社 in 鳥取市相生町

2017年03月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市相生町に鎮座される「大森神社」、御祭神は『大己貴神・少名毘古那神・事代主神』

創建は不詳、古くは大森町に鎮座され、現在の境内は奥宮と称していた。明治三年に境内社「恵比美須社」を合祀、昭和三年に拝殿、同六年に本殿を新築。

瑞垣に囲まれた二間社流造の御本殿、その階段下より神域を守護されるのは小さな笏谷石狛犬さん一対。「禿(かむろ)」と言われるおかっぱ頭に反して顔はかなり・・凶悪 (-_-;) これくらいでないと神様の守護は務まらないのかも。「松嶋神社」に次いで二例目のご対面です。

入母屋妻入、軒向拝の拝殿

虹梁の上より身をくねらせる龍の彫刻

拝殿前左右より神域を守護されるのは、遠く彼方の星から飛来して来たかと思わせる形相で行儀よく佇む狛犬さん一対。

台座には「明治九年(1876)丙子九月吉日」「井上覚平 石谷傅六 作」の刻。

尾の形もかなり独特で個性的。こういう狛犬さんに出会えると、何だか得した気分(⌒∇⌒)

脇参道の入口から神域を守護されるのは、昭和六年(1931)2月吉日建立の出雲丹後狛犬さん一対。

何があったのか・・・阿形さんのお顔はほとんどが欠落しており・・・

「復興記念」碑と、本殿近くに置かれていた「鍾馗像」

境内の一画に咲いていた一叢の「スノードロップ」

参拝日:2012年4月16日

 


萬田(よろずだ)神社 in 鳥取市田島

2017年03月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市田島、田島公民館に隣接して鎮座される「萬田(よろずだ)神社」。御祭神は『素戔鳴尊・誉田別尊』。

創立年代は不詳、古来より「牛頭天王」と称し、田島の産土神として崇敬。明治元年に「萬田社」と改め、同七年に「萬田神社」と改称。

縁を巡らせた拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和十七年(1942)四月十三日建立の出雲丹後の狛犬さん一対。阿形さんの足元にはお行儀よく座る仔狛さん。

小さな左手が親狛の足をしっかりとつかんでいます。

吽形さんの台座には寄贈者七名のお名前と「日露戦争凱旋記念」。阿形さんの台座には寄贈者七名のお名前と「支那事変凱旋記念」の刻。

拝殿内のご様子。

境内社二社

参拝日:2012年4月16日

 


上山(かみやま)神社 in 鳥取市東今在家

2017年03月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市東今在家に鎮座される「上山(かみやま)神社」。御祭神は『須佐之男命・櫛名田比売命』

創建は不詳「因幡国原に東面する面影山麓には古くから集落が存在し、豪族が住んでいた。当時大和朝廷の制度は氏族は必ず氏神を祀っていたので古くからあったものと考察され、社叢は千年の歴史を物語る。旧記に明和三年(1766)九月社殿建立と有り「牛頭天王」と称す。明治元年「上山社」、明治七年「上山神社」と改称。大正九年火災に遭い社殿焼失。大正十五年本殿・幣拝殿を建立。」境内案内より

山間の四月、午後五時過ぎは神社参拝には絶対に不向きです!。分かっていても「ここまで来て」、「せめてここだけでも」と言う思いがいつだって理性を抑え込んで、こんな薄暗い参道を見上げる結果に(^^;)

石段参道の上、鬱蒼とした社叢を従えて静かに佇む拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは大正十五年(1926)七月建立の出雲構え狛犬さん一対。石工名は無く寄進者「青年義友会」の刻。

陰り始めたお日様の下で見る狛犬は怖いという人もいますが、この仔たちは本当に優しく穏やかに参拝者を見守っている。

境内の片隅、幾段もの台座の上に大切に祀られているのはこの地の産土神でしょうか?

参道の木々の手入れをされるのは氏子の方々でしょうか? 命綱に託して神域を手入れされる姿に深く頭を下げて、私たちは産土の社を後にします。

神社が鎮座されるのは、因幡三山の一つで標高100mの「面影山」の東麓。その美しい姿が「天の香久山」に似ているとして、国司達は都を偲び「面影山と」名づけました。旧国府町にある「因幡万葉歴史館・時の塔 」からは、この面影山の姿を見ることが出来ます。

参拝日:2012年4月15日

 


的場(まとば)神社 in 鳥取市的場

2017年03月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市的場に鎮座される「的場(まとば)神社」。御祭神は『市杵島姫命』

由緒に「文明五年(1473)の頃との説もあるが創建は不詳。古く琵琶湖竹生島辨財天分霊を流鏑馬場の地・的場に奉祀されたと言われ、宮長神社の摂社であったが、明治元年12月的場社と称し、明治6年的場神社と改称、村社となった。旧社祠は廃藩置県で明治五年頃久松山の麓から社殿を譲り受け、降って昭和五年、本殿・幣殿・拝殿・辨天池が造営。旧社殿は境内地に移転し、的場護国神社として戦没者を祀る。」境内案内より

西日を受けて影を濃くする拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲構えの狛犬さん一対。建立年不明。台座には寄進者お二方の名前「吉岡村 ■(寺カ)岡平十郎」のみ。

構えた足の細さが痛々しい程、阿吽ともに出雲丹後らしからぬ穏やかで優しい顔立ち。

さらに拝殿のより近くには、すでに表情を失いかけた出雲か雨の狛犬さん一対。それでもしっかり後ろ足を踏ん張る姿に思わず「ガンバレ」のエール。

境内社:的場護国神社

左右に立ち並ぶ奉納石燈籠

境内の一画に奉斎された「弁天石」

参拝日:2012年4月15日

 


前田(まえだ)神社 in 鳥取市吉方町大覚寺

2017年03月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市吉方町大覚寺に鎮座される「前田(まえだ)神社」。御祭神は『大山祇神・保食神』

勧請年月不詳「古来より「山王宮」と称した。明治元年に「稲荷大明神」を合祀し「前田社」としたが、明治六年に「前田神社」と改称、村社に列せられた。」神獣事始めより

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和九年(1934)建立の出雲丹後系狛犬さん一対。石工の名前は無く、寄進者「西尾繁太郎」の刻のみ。

良い所のお坊ちゃんといった風情の仔狛さん。同じ造形でこんなにも鮮やかに大人と子供の表情が表現されている事に感動。

仔狛を連れた阿形さん、口中にも玉を咥えていますが、もしかしてそれは仔狛のおやつ?(〃∇〃) 見守る吽形さんの眼差しの優しい事。

拝殿前より近くより神域を守護される稲荷のお狐様。明治になって合祀されたお社から移ってこられたのでしょうね。

来待石の燈籠と阿形さん

参拝日:2012年4月15日

 


百先(ももさき)神社 in 鳥取市吉成

2017年03月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市吉成に鎮座される「百先(ももさき)神社」。御祭神は『猿田彦神・素戔鳴尊・保食神』

由緒「創始不詳、古来より「百先大明神」と称され、神事も盛大に行われていた。しかし織田軍の鳥取攻めにより、社殿その他、ことごとく兵火によって焼失。寛永10年、藩主:池田家より社領を寄進せられ、明治元年に「百先神社」と改称。摂内社「松下神社」「稲荷神社」を合併し、明治4年に村社となる。蝮除の神として知られ、古来よりこの一帯に蝮は生育せず、又当社の御守を所持する時は、蝮の災いから免れられるとの霊験が著しく、遠方の人々からも篤く崇敬されてきた。」

この地域に珍しい紅白の随神門、その真っ直ぐに参道が続きます。

参道左右に並ぶ奉納石灯籠

〆勧請が掛けられた入母屋造りの拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、出雲構えの狛犬さん一対。阿形さんには「明治四拾年(1907)五月吉日」。吽形さんには「陸軍歩兵大尉 正七位 北川■茂」の刻。阿形さんの背中部分に大きくヒビが入っているのがとても危うく気にかかります。修復が可能であるなら是非・・

本殿玉垣の内より神域を守護される出雲構えの狛犬さん一対。場所的な制約があり、捉えられたのはこのアングルのみ。

鎮座地の地名を冠した「境内社:吉成神社」

春(4月9日に近い土曜・日曜) 秋(10月9日に近い土曜・日曜)の祭礼に舞い納められる「麒麟獅子舞」の絵。

火の見やぐらと井戸のある境内

参拝日:2012年4月15日

 


菖蒲(しょうぶ)神社 in 鳥取市菖蒲

2017年03月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市菖蒲、大井手川畔に鎮座される「菖蒲(しょうぶ)神社」。御祭神は『大物主神・素盞嗚命』

「天神地祇を祀る氏神の社として、もと高草郡古海郷菖蒲の宮ノ元に鎮座したが、奈良時代前期に薬師寺と習合、のち貞観年間度重なる風水害により菖蒲山の中腹に遷座。山王権現として氏子・里人の信仰に根付き、末社に祀られた明見社、稲荷社、荒神三社と共に庶民の心の支えとなっていた。
 享保年間(1716~1735)大旱魃、転変地変による疫病の大流行に『牛頭天王』の分霊を勧請、菖蒲山宮ノ谷に大平神社を建立したところ疫病がぴたりと止んだと云う。明治の神仏分離令により山王権現を菖蒲神社と改称、更に大正13年大平神社を合祀。しかし千年余の風雪に参道の随所が崩壊、社殿も老朽化したため、菖蒲山宮ノ谷を遷座地と定め社殿を造営。昭和15年上町の護国神社旧本殿を譲り受け移築し、幣拝殿を新築。1992年、遷座地として菖蒲籠山を造成、本殿の移築、幣拝殿の新築、境内整備がなされた。」境内由緒碑より

満開の桜に出迎えられて境内へ

拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。「大正四年(1519)九月日」の刻。石工の名はありませんが、寄進者名「当村 新きよ」が刻まれています。

阿形さんの耳まで裂けた口・・・まさしくその表現通りで、これでは下顎が脆く崩れやすいのは・・仕方ない事かもしれない・・

境内から見る鳥取の市街地 遠くに冠雪してみえる山並みは大山あたりだろうか。

桜の境内というのはどうしてこんなにも柔らかく温かいのだろう。いかつい筈の狛犬さんの表情までも和らいで見える(*´꒳`*ノノ゙

参拝日:2012年4月15日

 


松嶋(まつしま)神社 in 鳥取市嶋

2017年03月21日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市嶋に鎮座される「松嶋(まつしま)神社」。御祭神は『国常立尊・木花開耶姫尊・瓊々杵尊』

創始不詳、古来より「松上大明神」と称し、明治初年に「松嶋神社」と改称。入母屋造平入、正面に千鳥破風、向拝に唐破風を備えた八棟造の美しい本殿。

御本殿廻縁の左右より神域を守護されるのは笏谷石の神殿狛犬さん一対。福井県の神社では良く見かけますが、鳥取県ではおそらく初めてではないかと思われます。

本殿向拝木鼻には獅子と獏

頭貫の木鼻には鳳凰・・本当にそうだろうか(^^;) 今ひとつ自信がない。

拝殿はごく普通の佇まい、注連縄と下げ緒が無ければそれと気づかないかも・・

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。「明治四十三年(1910)七月日」の刻。

阿形さんの下唇から顎にかけての異常な太さは、おそらく風雪等によって落ちてしまった部分を補修結合したものと思われます。顔立ちはかなりユニークになりましたが、こうして大切に補修されているのを見せて頂くと、ただ素直に嬉しく有難い。

拝殿右、安産にご利益があるとされた松の巨木が大切に祀られる「大松舎」。

境内の向こうに広がるのどかな風景、真っ赤な藪椿の可憐さ

御祭神の『木花開耶姫』の化身とされる桜の参道、山陰の春はまだもう暫くこの地にとどまり、美しい花景色を見せています。

参拝日:2012年4月15日

 


桷間(かくま)神社 in 鳥取市大桷

2017年03月20日 09時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市大桷に鎮座される「桷間(かくま)神社」。御祭神は『素戔嗚尊』

創始は不詳、古来より「牛頭天王」と称し、明治元年(1868)に桷間神社と改称。

もはや諦めの境地に達しそうな(笑)石段、また石段の参道をひたすら登り、境内へ。社殿の後方に見えるのは緑の木々、その奥にさらに深く緑の木々・・平地の多くない山間では山の一画を切り開いて境内とするのは、至極普通の成り行きなのです。

拝殿前に奉納された石灯篭、年代は確認し忘れましたが特に笠の部分など、とても凝った意匠。

香立てが置かれ、狛犬さんは三段の台石の上に。その労力を考えると神への崇敬、おらが村の鎮守の神様・・の想いがひしひしと伝わってくる気がします。

妻入り拝殿の前左右より神域を守護されるのは、明治三十一年(1898)九月奉納の出雲丹後の構え狛犬さん一対。世話人:谷口直十郎・砂田定次郎・花田勝蔵の刻。

阿吽の目線を合わせてしまうとまるで睨み合っている印象ですが、いえいえ、決してそんな事はありません。阿吽を逆にしてみると「こっそりと悪戯の相談をする”まぶだち”」みたいに見えてきませんか(^▽^)

すっきりと切れ上がった端正な後姿。石工名が無いのが惜しまれます。

参拝日:2012年4月15日