千鶴おばさんのダイエット&日々の徒然日記 (過去の太極拳)

メタボ検診で黄信号「痩せなさい」先生より命令が出ました
幾多のダイエット繰り返してもままならないこの体何とかしなきゃ

京都検定講演会最終回・・でないらしい

2007-11-11 18:20:51 | 京都便り(京都通)
「草木も人をも育む芸能の粋な心と京の躾」




長ったらしい表題で始まった、4月から受けた講演会も今日で最終なんやと思って出席したが続投されることが決まった。
受講生の強い要望があったらしい、まずは嬉しいね。

本日の和菓子 長五郎餅です。唯一北野天満宮の境内に店を持っています。
柔らかく甘みを抑えたこしあんです。
普段は門前に店を構えていますが25日とか祭り事のある日は本殿東口あたりで茶店を出していますよ。

今日の講演は芸能について芸能神社として知られるのは車折神社・太田神社など、
日本の芸能は技楽→申楽→猿楽→大和猿楽と流れがあり
観世(結崎座)、金剛(坂戸座)、宝生(外山座)、金春(円満井座)の4派は猿楽時代から大和四座と呼ばれております。

出雲の阿国は海鳥が舞うのを見るのが好きだったそうです10才にして勧進の旅に出ました。京に入って北野天満宮で始めて興行を行った。
その後能の世界から三九郎という踊り上手な若者が加わりより人気が出ました。
やがて二人は江戸へ出て歌舞伎の基礎を作りました。
その三九郎こそ私の大好きな中村勘三郎丈の祖先で中村座を旗揚げしたのです。

後半は岩上先生の半生というか幼い頃から芝居好きで3才で毎月南座へ通っていた話、平日に行くため学校へ電話が来ると早退して歌舞伎見物をした話
新国劇を見て島田省吾にしびれ将来島田省吾になると誓ったこと。
中学、高校の頃東映撮影所に遊びに行き誘われて映画に出たこと、
大友柳太郎に新国劇がアンタには合ってると言われたこと。
島田省吾の弟子になる筈が辰巳柳太郎の書生(付き人)になったこと。
立派なお屋敷で書生部屋は10畳の立派な部屋で驚いたこと。

舞台で辰巳柳太郎が最後の台詞を忘れ出てこないとき4,5人が口々に台詞を教えるが分からない、書生が1人で答えろと言うから自分が教えた、それを思い入れたっぷりに演じ幕が下りたが、翌日の新聞にそのシーンが絶賛されていた。
“さすが辰巳!あの間は絶妙”会場はひっくり返って笑いの渦でした。
何時も楽しい先生の話術が今後も聞けることになりホンと良かった。