江戸時代は、金貨・銀貨・銭貨の3種類の貨幣が通用しており、
これを「三貨制度」という。
天下を統一した徳川家康は、東国を基盤に金貨中心の制度を導
入するべく計数貨幣を発行した。少額の貨幣は中世から普及して
いた銅貨がすでに定着していた。
また、銀の産地の多い関西では重さを計る銀貨が使用されてい
た。経済力では絶大な力を持つ大坂商人は、中国などとの貿易で
銀塊を使用しており、関西の“銀遣い”は圧倒的だった。
これにより、関東の金遣い、関西の銀遣いが成立し、銅貨は徳
川幕府が発行した寛永通宝に統一されていく。江戸の頃は金・銀
・ 銭の貨幣が同時に並行して使用されたのである。
そこで、時々の相場で貨幣を交換する両替商が登場する。この
制度こそ、いまでいう外国為替公認銀行なのである。
黄金の分銅 慶長年間の貨幣
これを「三貨制度」という。
天下を統一した徳川家康は、東国を基盤に金貨中心の制度を導
入するべく計数貨幣を発行した。少額の貨幣は中世から普及して
いた銅貨がすでに定着していた。
また、銀の産地の多い関西では重さを計る銀貨が使用されてい
た。経済力では絶大な力を持つ大坂商人は、中国などとの貿易で
銀塊を使用しており、関西の“銀遣い”は圧倒的だった。
これにより、関東の金遣い、関西の銀遣いが成立し、銅貨は徳
川幕府が発行した寛永通宝に統一されていく。江戸の頃は金・銀
・ 銭の貨幣が同時に並行して使用されたのである。
そこで、時々の相場で貨幣を交換する両替商が登場する。この
制度こそ、いまでいう外国為替公認銀行なのである。
黄金の分銅 慶長年間の貨幣