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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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家康の鎧(よろい)と饅頭の神さま「漢国(かんごう)神社」(奈良市漢国町)

2025年03月28日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2025.3.26)掲載されたのは〈家康 敗戦で隠れ 命拾い/漢国神社(奈良市)〉、執筆されたのは、同会会員で大阪府池田市にお住まいの鶴田吉範さんだった。
※トップ写真は、漢国神社の拝殿=奈良市漢国町で

今日は近鉄奈良駅前にある漢国神社と、境内摂社・林(りん)神社の話である。漢国神社には、徳川家康の鎧(よろい)が残る(現物は奈良国立博物館に寄託)。大坂冬の陣の「木津の戦い」に敗れた家康は、命からがら、この神社に逃げ込み、九死に一生を得たという伝承がある。のちに家康がお礼として、この鎧を奉納したという。

また南北朝時代、中国(元)からここに来て、饅頭を伝えた林浄因(りん・じょういん)を「菓祖神(かそじん)」として祭る林神社が境内にある。林浄因のことは、司馬遼太郎の短編小説「饅頭伝来記」や、藤林文和さんの労作『まんじゅう忘れた太左衛門 南都林家の六百八十年』に詳しい。では、今回の記事全文を紹介する。

家康 敗戦で隠れ 命拾い/漢国神社(奈良市)
漢国(かんごう) 神社は593年(推古天皇元)、勅命により大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が大物主命(おおものぬしのみこと)を、その後、717年(養老元)に藤原不比等が大己貴命(おおなむ ちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を合祀(ごうし)し、古くは春日率川坂岡社(かすがいさがわさかおかしゃ)と称していました。

本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり=正面柱間が3つ、屋根が前に伸びる様式)・檜皮葺(ひわだぶき)で桃山時代の建造物です。神社には大阪の陣の際、徳川家康が戦に破れ境内の桶屋に忍び、九死に一生を得た伝承があります。

家康は後にお礼参りの参拝をし、鎧(よろい)一領「茶糸威胴丸具足(ちゃいとおどしどうまるぐそく)」を奉納。鎧は奈良国立博物館に寄託され、神社には複製が置かれています。

また、境内には、日本で初めて餡(あん)入り饅頭(まんじゅう)を伝えた林浄因命(りんじょういんのみこと)を祭る我が国唯一の饅頭の社・林(りん)神社があります。林浄因は中国浙江省の人で1349年(貞和5)に来朝して漢国神社の社頭に住み、故国で習い覚えた饅頭を作り、好評を博しました。その後、足利将軍家を経て宮中に献上するに至りました。

毎年4月19日には、菓祖神(かそじん)・林浄因命の偉業をたたえ、菓業界の繁栄を祈願する「饅頭まつり」がにぎやかに行なわれ、全国からたくさんの饅頭が献上されます。当日限定の「復刻奈良饅頭」の販売もおまつりの楽しみの一つとなっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 鶴田吉範)

(住 所)奈良市漢国町二番地
(祭 神)大物主命、大己貴命、少彦名命
(交 通)近鉄奈良駅から徒歩約5分、JR奈良駅から徒歩約15分。
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(無料)
(電 話)0742・22・0612


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