NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先月(2025.2.19)掲載されたのは〈ご祭神の数を名称に/三十八柱神社(桜井市)〉、執筆されたのは2023年に入会されたばかりの新人、弘瀬典子さんだった。
※トップ写真は三十八柱神社の本殿=桜井市大福で
本文には書かれていないが、この神社の境内には、犬養孝さんが揮毫した万葉歌碑が立つ。大伴坂上郎女(大伴家持の叔母)の「こもりくの初瀬の山は色付きぬ しぐれの雨は降りにけらしも」(初瀬の山はすっかり色づいたことだ。しぐれの雨が降ったに違いない)という歌である(歌碑の表記は万葉仮名)。
大福から初瀬は3kmほど離れているが、初瀬の山々を遠望して詠んだのかも知れない。では、記事全文を紹介する。
ご祭神の数を名称に/三十八柱神社(桜井市)
三十八柱(みそやはしら)神社は寺川の南側、三輪山が東に見える位置に鎮座しています。ご祭神は宮中(きゅうちゅう)三十六柱と伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の計三十八柱で、神社名になっています。
法隆寺に伝わっていた『太子伝玉林抄(たいしでんぎょくりんしょう)』という本には、『聖徳太子伝暦』の注記に、小墾田宮(おはりだのみや)は大福の地にあった、との記載がありました。
当社に伝わっている『三十八柱神社由緒記』の1718(享保3)年の記録では、当社を「小治田宮(おはりだのみや)」と呼んでおり、明治初期の神仏分離の際に現在の名称に改めたことが分かっています。
郷土史を研究した前宮司の石井繁男・元県立奈良図書館長が小墾田宮=大福説を1975年に提唱。この説を支持した哲学者の梅原猛氏揮毫(きごう)の「小墾田宮伝承之地」の石碑が境内に立てられています。これと別に明日香村豊浦の古宮遺跡が、発掘調査の結果、小墾田宮推定地とされています。
江戸時代後期に修復されたという本殿は、千鳥破風に付けられた立派な龍の浮彫が見どころとなっています。秋祭りは毎年10月第1土曜と日曜に行われ、境内では神楽が舞われ、参拝者には一人ずつ鈴でお祓(はら)いをする、全国的に珍しい形で斎行(さいこう)されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 弘瀬典子)
(住 所)桜井市大福479
(祭 神)宮中三十六柱、伊邪那岐命、伊邪那美命
(交 通)近鉄大阪線・大福駅から北へ徒歩約5分
(所蔵品)陶製狛犬、木製狛犬=ともに原則非公開
(駐車場・電話)なし
※トップ写真は三十八柱神社の本殿=桜井市大福で
本文には書かれていないが、この神社の境内には、犬養孝さんが揮毫した万葉歌碑が立つ。大伴坂上郎女(大伴家持の叔母)の「こもりくの初瀬の山は色付きぬ しぐれの雨は降りにけらしも」(初瀬の山はすっかり色づいたことだ。しぐれの雨が降ったに違いない)という歌である(歌碑の表記は万葉仮名)。
大福から初瀬は3kmほど離れているが、初瀬の山々を遠望して詠んだのかも知れない。では、記事全文を紹介する。
ご祭神の数を名称に/三十八柱神社(桜井市)
三十八柱(みそやはしら)神社は寺川の南側、三輪山が東に見える位置に鎮座しています。ご祭神は宮中(きゅうちゅう)三十六柱と伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の計三十八柱で、神社名になっています。
法隆寺に伝わっていた『太子伝玉林抄(たいしでんぎょくりんしょう)』という本には、『聖徳太子伝暦』の注記に、小墾田宮(おはりだのみや)は大福の地にあった、との記載がありました。
当社に伝わっている『三十八柱神社由緒記』の1718(享保3)年の記録では、当社を「小治田宮(おはりだのみや)」と呼んでおり、明治初期の神仏分離の際に現在の名称に改めたことが分かっています。
郷土史を研究した前宮司の石井繁男・元県立奈良図書館長が小墾田宮=大福説を1975年に提唱。この説を支持した哲学者の梅原猛氏揮毫(きごう)の「小墾田宮伝承之地」の石碑が境内に立てられています。これと別に明日香村豊浦の古宮遺跡が、発掘調査の結果、小墾田宮推定地とされています。
江戸時代後期に修復されたという本殿は、千鳥破風に付けられた立派な龍の浮彫が見どころとなっています。秋祭りは毎年10月第1土曜と日曜に行われ、境内では神楽が舞われ、参拝者には一人ずつ鈴でお祓(はら)いをする、全国的に珍しい形で斎行(さいこう)されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 弘瀬典子)
(住 所)桜井市大福479
(祭 神)宮中三十六柱、伊邪那岐命、伊邪那美命
(交 通)近鉄大阪線・大福駅から北へ徒歩約5分
(所蔵品)陶製狛犬、木製狛犬=ともに原則非公開
(駐車場・電話)なし
