奈良新聞「明風清音」欄に月2回程度、寄稿している。昨日(2020.4.23付)掲載されたのは「大安寺の威光しのぶ」、菅谷文則著『大安寺伽藍縁起幷流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)を読む』(東方出版刊)の話だった。早くに奈良新聞は、本書出版のことを「資財帳から見る天平の大安寺」の見出しで報じている(2020.3.22付)。一部を抜粋すると、
大安寺は聖徳太子が平群郡に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を発端とし、舒明(じょめい)天皇が太子の遺志を受けて設立した最初の官立寺院、百済大寺に始まるとされる。大安寺伽藍縁起并流記資財帳(重文、国立歴史民俗博物館蔵)は、天平19(747)年に作成された公式文書で、百済大寺が九重塔を持つ当時最大の規模で造営された伽藍だったことを伝える。現在は、桜井市の吉備池廃寺がその大寺跡だったとみられている。
寺地や伽藍、仏像のほか、僧の生活備品も記されている「資財帳」の目録からは当時の社会の姿も垣間見える。菅谷さんは講義で「代々の天皇が造営に力を尽くしてきた寺こそが大安寺で、王朝の安泰のためには大安寺を大切にすることなのですよというのが、奈良時代の大安寺が最も主張したいことだと言ってよい」としている。
大安寺の河野良文貫主は「菅谷先生の広範な知識からなる講義は面白かった。この書籍はいわば先生の遺稿。多くの方に寺のことを知っていただけるとありがたい」と話す。B6判、並製、150ページ。1500円(税別)。同寺寺務所でも販売中。問い合わせは同寺、電話0742(61)6312。
本書の内容は多岐にわたり、限られた文字数でその全貌を紹介することができないが、私の気に留まったところだけを「明風清音」に書いた。では記事全文を紹介する。
今年2月27日、『大安寺歴史講座1大安寺伽藍縁起幷流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)を読む』(税別1500円)が東方出版から刊行された。平成25~26年、当時県立橿原考古学研究所長だった故菅谷文則氏が大安寺で6回にわたって行った講演の記録だ。大安寺を応援する「ナラ・スタッグ・クラブ」がテープ起こし作業などで尽力し、森下惠介氏(元奈良市埋蔵文化財調査センター所長)が協力した。
「わが国最初の官立寺院の大安寺に強いこだわりを持った菅谷さんが、史料を読み解き、分かりやすく創建の由緒などを解説。仏像をはじめとする財産目録から奈良時代の大寺院の姿を紹介している」(本紙3月22日付)。他の寺院の資財帳も残っているが、それらは新しい写本や一部だけの抄本。これに対して大安寺のものは「完全な形で伝わり、奈良時代の大寺院のことを知る上で第一級の資料」(同書)。以下、同書の一端を紹介する。
大安寺は聖徳太子が平群郡額田部に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を発端とし、舒明(じょめい)天皇が太子の遺志を受けて設立した最初の官立寺院、百済大寺に始まるという。同書には「平城京における大安寺の位置」という地図が登場し、大安寺と薬師寺がシンメトリカル(左右対称)に建てられていることを指摘。「平城京遷都で国家が計画的に作った寺は大安寺と薬師寺だと言ってもよい」。
さらに「奈良から京都へ都が移された理由の一つに、『奈良時代、平城京では仏教が力を持ちすぎて、その弊害が出てきたので平安京に都を移した。そのため大寺院は奈良に残された。』というようなことを教科書には書いていますが、それは全くでたらめです。東寺と西寺という国立の大寺院を新都にはシンメトリカルに作っているのです。これなどは明治以後の国史、日本史研究が排仏的な『水戸史学』が基盤になっている弊害だと言っても良いでしょう」と手厳しい。
同書に詳しく紹介された資財帳の中身が、とても興味深い。例えば「銭」(和同開珎)は「六千四百七十三貫八百二十二文」、これは現在の貨幣価値で約8億4千万円に相当し「法隆寺資財帳」の約19倍にもなる。菅谷氏は『日本霊異記』を引きながら「奈良時代の大安寺では、銭の貸付を行っていたことがわかります。この大安寺が保有する大量の備蓄銭は金融資本であり、利潤の増殖結果とみられます」。
「鏡」は「千二百七十五面」。「東大寺正倉院に現在伝えられている鏡は五十六面、『法隆寺資財帳』に記された鏡は六面だけですので、これはすごい数です」「個人の喜捨、寄進物の蓄積であった可能性も考えられますが、小型の鏡、『雑小鏡』などは量産制作され、大安寺の仏堂の荘厳(装飾)に使われたと思われます」。
最後の「まとめ」には、「薬師寺は天武天皇のお寺、『天武王朝』歴代天皇の健康長寿、玉体安穏を通じて国家安泰を祈る寺であるのに対し、大安寺は王家の祖、舒明天皇が創建した王家の寺であったことは、『資財帳』に記された大量の財物だけでなく、財物の由緒来歴からもうかがうことができます。『資財帳』は舒明天皇から今上の聖武天皇に至るまでの王家歴代との深いつながりを主張、歴代天皇の保護を強調しているのです」。
日本で最初の官立寺院、大安寺の勇姿を浮彫りにした菅谷氏の遺作、ご一読をお薦めしたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
大安寺は聖徳太子が平群郡に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を発端とし、舒明(じょめい)天皇が太子の遺志を受けて設立した最初の官立寺院、百済大寺に始まるとされる。大安寺伽藍縁起并流記資財帳(重文、国立歴史民俗博物館蔵)は、天平19(747)年に作成された公式文書で、百済大寺が九重塔を持つ当時最大の規模で造営された伽藍だったことを伝える。現在は、桜井市の吉備池廃寺がその大寺跡だったとみられている。
寺地や伽藍、仏像のほか、僧の生活備品も記されている「資財帳」の目録からは当時の社会の姿も垣間見える。菅谷さんは講義で「代々の天皇が造営に力を尽くしてきた寺こそが大安寺で、王朝の安泰のためには大安寺を大切にすることなのですよというのが、奈良時代の大安寺が最も主張したいことだと言ってよい」としている。
大安寺の河野良文貫主は「菅谷先生の広範な知識からなる講義は面白かった。この書籍はいわば先生の遺稿。多くの方に寺のことを知っていただけるとありがたい」と話す。B6判、並製、150ページ。1500円(税別)。同寺寺務所でも販売中。問い合わせは同寺、電話0742(61)6312。
本書の内容は多岐にわたり、限られた文字数でその全貌を紹介することができないが、私の気に留まったところだけを「明風清音」に書いた。では記事全文を紹介する。
今年2月27日、『大安寺歴史講座1大安寺伽藍縁起幷流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)を読む』(税別1500円)が東方出版から刊行された。平成25~26年、当時県立橿原考古学研究所長だった故菅谷文則氏が大安寺で6回にわたって行った講演の記録だ。大安寺を応援する「ナラ・スタッグ・クラブ」がテープ起こし作業などで尽力し、森下惠介氏(元奈良市埋蔵文化財調査センター所長)が協力した。
「わが国最初の官立寺院の大安寺に強いこだわりを持った菅谷さんが、史料を読み解き、分かりやすく創建の由緒などを解説。仏像をはじめとする財産目録から奈良時代の大寺院の姿を紹介している」(本紙3月22日付)。他の寺院の資財帳も残っているが、それらは新しい写本や一部だけの抄本。これに対して大安寺のものは「完全な形で伝わり、奈良時代の大寺院のことを知る上で第一級の資料」(同書)。以下、同書の一端を紹介する。
大安寺は聖徳太子が平群郡額田部に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を発端とし、舒明(じょめい)天皇が太子の遺志を受けて設立した最初の官立寺院、百済大寺に始まるという。同書には「平城京における大安寺の位置」という地図が登場し、大安寺と薬師寺がシンメトリカル(左右対称)に建てられていることを指摘。「平城京遷都で国家が計画的に作った寺は大安寺と薬師寺だと言ってもよい」。
さらに「奈良から京都へ都が移された理由の一つに、『奈良時代、平城京では仏教が力を持ちすぎて、その弊害が出てきたので平安京に都を移した。そのため大寺院は奈良に残された。』というようなことを教科書には書いていますが、それは全くでたらめです。東寺と西寺という国立の大寺院を新都にはシンメトリカルに作っているのです。これなどは明治以後の国史、日本史研究が排仏的な『水戸史学』が基盤になっている弊害だと言っても良いでしょう」と手厳しい。
同書に詳しく紹介された資財帳の中身が、とても興味深い。例えば「銭」(和同開珎)は「六千四百七十三貫八百二十二文」、これは現在の貨幣価値で約8億4千万円に相当し「法隆寺資財帳」の約19倍にもなる。菅谷氏は『日本霊異記』を引きながら「奈良時代の大安寺では、銭の貸付を行っていたことがわかります。この大安寺が保有する大量の備蓄銭は金融資本であり、利潤の増殖結果とみられます」。
「鏡」は「千二百七十五面」。「東大寺正倉院に現在伝えられている鏡は五十六面、『法隆寺資財帳』に記された鏡は六面だけですので、これはすごい数です」「個人の喜捨、寄進物の蓄積であった可能性も考えられますが、小型の鏡、『雑小鏡』などは量産制作され、大安寺の仏堂の荘厳(装飾)に使われたと思われます」。
最後の「まとめ」には、「薬師寺は天武天皇のお寺、『天武王朝』歴代天皇の健康長寿、玉体安穏を通じて国家安泰を祈る寺であるのに対し、大安寺は王家の祖、舒明天皇が創建した王家の寺であったことは、『資財帳』に記された大量の財物だけでなく、財物の由緒来歴からもうかがうことができます。『資財帳』は舒明天皇から今上の聖武天皇に至るまでの王家歴代との深いつながりを主張、歴代天皇の保護を強調しているのです」。
日本で最初の官立寺院、大安寺の勇姿を浮彫りにした菅谷氏の遺作、ご一読をお薦めしたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)