tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

かぎろひ歴史探訪に参加(4月16日)、次回は4月26日(日)初瀬川源流へ!(2020 Topic)

2020年04月22日 | お知らせ
かぎろひ歴史探訪ウォークは、「奈良大和路を一歩深く紹介して散策にいざなう情報誌」である『かぎろひの大和路』からスピンアウトした歴史ウォークで、同誌編集者の豊永かずみさんが幹事をお務めになる。「事前申し込みなしの当日自由参加」で参加費は@1,500円・弁当持参。


これら3枚の写真は泉橋寺境内のヤエザクラ

4月16日(木)に開催された前回は「もうひとつの奈良、高麗路」で、コースは、
JR奈良線上狛駅⇒泉橋寺⇒茶問屋街⇒上狛環濠集落⇒大井戸跡⇒西福寺⇒上狛駅前公園⇒上狛墓地の石仏・石碑⇒高麗寺跡⇒サエの石神像⇒小林家住宅⇒環濠集落⇒上狛駅
幹事の豊永かずみさんがご自身のブログ「かぎろひNOW」で紹介されていた。そこには、



4月16日の「かぎろひ歴史探訪」は、新型コロナウィルスの猛威がおさまらない状況下、参加者がいなければ中止、1人でもいれば実施という姿勢でのぞみました。前日までにtetsudaさんとお知り合い2人の参加がわかっていましたので、これは5人による探訪ハイキングになるかも?



が、想像を超える10人の方がいらっしゃり、過去最少人数なのに、多い! と思ってしまいました。こんな時期なので、自粛を願いながら、やっぱりうれしい!



JR上狛駅に集合し、最初に訪ねたのは泉橋寺(せんきょうじ)だった。木津川は古代には「泉河」、木津は「泉津」「泉木津」と呼ばれていたから、木津川に架かる橋のたもとの寺という意味だろう。今もこの近くには日本百名橋の1つ「泉大橋」が架かる。木津川市観光協会のHPによると、


泉橋寺境内で田中龍夫さん(『かぎろひの大和路』主宰)のお話を聞く

行基が建てた四十九院の一つで、天平12年(740)に開かれた発菩薩院(ほつぼさついん)、隆福尼院(りゅうふくにいん)を前身とする寺院です。徳治3年(1308)に造られた石の地蔵は、応仁の乱(1471)、地蔵堂もろとも焼かれて200年以上そのままになっていましたが、元禄年間(1688~1703)に復元されたと伝えられています。





つぶやき
ここは北陸道として木津川を渡った要所で、大雨になれば交通が途絶え、行路病者たちや多くの人々が渡しの近辺に滞留せざるをえなくなるため、そういう人々の救済に行基が建てたものでしょう。平安時代以降は、京都から奈良へ行くのに橋がたびたび流されるので人々の浄財で人馬を運ぶ船三艘を泉橋寺に備えていたようです。



泉橋寺門前にある鎌倉時代の「石造地蔵菩薩坐像」、高さは4.58mもある!

見どころ
地蔵堂跡に露仏として鎮座する石造地蔵菩薩坐像は、鎌倉時代に造られたもので、高さ4.58メートルあり日本一の石地蔵として有名です。境内にある五輪塔は国の重要文化財に指定されています。




高さ4.58mとは、すごい!桜井市の聖林寺のご本尊・石造地蔵菩薩坐像は丈六仏(坐像)なので約8尺(2.43m)だから、倍近くもあるのだ。泉橋寺のあとは上狛の茶問屋街へ。サイト「日本茶800年の歴史散歩」によると、





宇治茶の近代景観(幕末~昭和)
上狛は木津川水運を利用した交通の要所であり、その地の利から茶問屋が形成されてきました。幕末から明治・大正・昭和初期に建設された茶問屋の建物が現存でも40件ほど軒を連ね「茶問屋ストリート」とも呼ばれています。平成16年には山城茶業組合創立120周年を記念して山城茶業之碑が建てられました。






茶問屋ストリートの次は、上狛環濠集落(狛城)へ。『日本城郭大系・第11巻:京都編』によると、

狛城(こまじょう)は、JR奈良線上狛駅の西に位置する上狛集落がそれにあたる。上狛集落は沖積平地上の微高知を利用していて、狛日向守(狛氏)の館を中心にして、集落の周囲に環濠をめぐらし、その内側に竹藪を設けるなど、中世における防禦を目的とした環濠集落の一つで、この居館がしだいに城郭化したため狛城とも呼ばれている。





この集落は古代の条里集落で、中世になって防禦施設として環濠を掘ったものと考えられる。(中略)上狛集落の地は、旧大和街道の中央部を南北に貫いており、伊勢・伊賀両国へ向かう街道の分岐点でもあるなど、古代から交通の要衝であった。





次は大井戸跡から西福寺へ回り、一旦JR上狛駅に戻った。駅前公園のベンチで田中龍夫さん(『かぎろひの大和路』主宰)のミニ講座をお聞きしてから、お弁当。いつもは「まずい」と毛嫌いしているコンビニの弁当が、歩いたあとはとても美味しく感じられるのが不思議である。


上狛駅前公園で、田中龍夫さんのミニ講座

お弁当のあとは上狛墓地の石仏・石碑を見学してから本日のメイン見学地「高麗寺跡」へ。木津川市のHPによると、


上狛墓地に、行基の石碑があった!









田園のなかにたたずむ高麗寺跡は、7世紀初頭(飛鳥時代)に創建された国内最古の寺院跡のひとつで、相楽七郷中の大狛郷に属し、高句麗からの渡来氏族狛(高麗)氏の氏寺として創建されたと考えられています。高麗寺は、文献資料から天平年中(奈良時代)に存在したことが「日本霊異記(にほんりょういき)」に記され、その他「今昔物語集」にも説話が収録されています。





伽藍(がらん)は、木津川を見下ろす台地上に南面して立地し、西に金堂、東に塔を持つ法起寺式の配置となります。塔、金堂、講堂は整美な瓦積基壇を外装としており、講堂の両翼から伸びた回廊は塔、金堂を囲んで中門に接続し、寺域は一辺が約200メートルの規模であったと考えられます。また、平成17年の発掘調査では、塔相輪(そうりん)上部に取り付けられた水煙(すいえん)と呼ばれる飾りを心柱に取り付ける円筒形の金具・擦管(さっかん)が見つかりました。



瓦積(かわらづみ)の基壇を見たのは、初めてである。『国史大辞典』によると、

瓦積基壇というものは高句麗・百済などに流行したそれの伝統を引く。往昔の相楽郡には大狛郷・下狛郷などがあり、当地は前者に属し、『新撰姓氏録』山城国諸蕃条にみえる狛造をはじめ狛人の繁栄した土地であるから、建立氏族としては彼らが考えられる。国の史跡に指定されている。



この日は15,000歩以上を気持ちよく歩いた!さて、いよいよ次回は4月26日(日)、タイトルは「初瀬川の源流を歩く」だ。当ウォークのサイトによると、 

[集 合] 4月26日(日)午前10時 近鉄大阪線榛原駅
[コース]近鉄榛原駅(北口改札を出て左)⇒志貴皇子妃・紀橡姫吉隠陵⇒鳥見山公園⇒高龗神社⇒(竜福廃寺)⇒まほろば湖(初瀬ダム)⇒長谷寺参道⇒バス停長谷寺参道口




「事前申し込みなし、弁当持参で当日参加」という気楽なウォーキングである。天気予報で4月26日は晴れのち曇り、降水確率は20%だ。自宅に引きこもってばかりだと、ストレスが溜まり、免疫力が低下する。

「天気のいい日に、空気の良いところを歩いてみたい」という方は、「三密」を避け、「咳エチケット」に十分注意しながら、ご自身の判断で参加していただきたい。豊永さん、私も参加させていただきます!
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