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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

ホテル杉の湯支配人 本郷英作さん/「地域おこし企業人」の挑戦 (『月刊事業構想』2017年8月号)

2017年09月25日 | 観光にまつわるエトセトラ
『月刊事業構想』2017年8月号の《「地域おこし企業人」の挑戦》 のコーナーに、「村民が誇りを持てるホテルへ」のタイトルで、奈良県吉野郡川上村「ホテル杉の湯」支配人・本郷英作さんが紹介された。



本郷さんは2015年、南都銀行から同ホテルへ出向された。任期は今年度末(2018年3月)まで。同記事にはこれまでの本郷さんの取り組みが、詳しく紹介されている。掲載から日にちが経過したので、同誌のサイトで自由に読めるようになった。以下に全文を紹介しておく。


写真は同ホテルの「大和いろどりプラン」(1泊2食 13,500円)の食事(9/13~14撮影)

2017年8月号「地域おこし企業人」の挑戦
銀行から派遣、赤字のホテルを立て直す 村営施設に経営の発想
本郷 英作(ホテル杉の湯 支配人 派遣元:南都銀行)

​ ​ ​ ​
「地域おこし企業人」として、地方銀行から村営の『ホテル杉の湯』に出向。しがらみにとらわれず改革を推し進め、黒字化を図るとともに、一村の枠にとらわれない広域観光戦略で、地域活性化への道筋をつけるべく奮闘する。


見事な器が食欲をそそる

「完全燃焼するつもりで」
奈良県川上村は、面積269.26㎢のうち山林が約95%を占める県中東部の山深いエリアだ。奈良市に本店を置く地方銀行、南都銀行の事業統括部参事補だった本郷英作氏が、村営の『ホテル杉の湯』に支配人として赴任したのは、2015年4月のこと。前支配人が体調不良で退職したため、栗山忠昭村長が親交のあった橋本隆史頭取(当時専務)に人材の紹介を依頼し、実現した。



焼き物(アワビとナスの田楽、はじかみ)。ハスの葉をかたどったお皿がいい

本郷氏は「銀行勤務の36年間、取引先の中小企業が元気になれば、地域の活性化につながるとの信念で職務に当たってきました。定年まで2年を残して、図らずも自ら当事者として事業に携わることになり、これまでの経験をすべて惜しむことなくつぎ込み、完全燃焼するつもりで来ました」と、引き受けた時の心境を振り返る。


松茸、ハモ、エビ、ホタテの土瓶蒸し



従業員の意識を変える
『ホテル杉の湯』は全24室を持つ村内最大の宿泊施設であり、日帰り入浴も可能だ。レストランと道の駅を併設しており、村の観光情報発信拠点としての役割も担っている。だが、本郷氏は着任して現実の厳しさを突きつけられる。経営状態は赤字続きで役所の協力により事業が継続、従業員は宿泊客のほうを向かず、誰から給料をもらっているのか疑うような状況、また、村民には利用しづらく愛着を持たれていない…。


大和牛(やまとうし)のしゃぶしゃぶ。椎茸は、吉野の原木椎茸



本郷氏は「黒字化を図るとともに、従業員の意識を変え、何より村民が誇れるホテルにすること」を目標として掲げた。経営の健全化に向けて、まずはコスト削減に着手。長年当たり前のように続けていた広告看板の一部をやめたほか、24時間開けていた風呂を深夜から早朝の時間は閉めて燃料代を節約。さらに、繁閑に合わせて従業員の勤務シフトを見直し、多忙な時間帯は部門を越えてサポートし合うことで人件費の削減にも努めた。


蒸し物(甘鯛カブラ蒸し、百合根、ぎんなん、ニンジン、三つ葉…)

本郷氏は銀行で融資・法人推進業務を長く担当し、数々の取引先企業の財務改善に取り組んできた経験があり、それが『ホテル杉の湯』でも役に立ったという。一方、サービス面では宿泊客の見送り、出迎えを徹底。トレッキング目的の利用者のために日帰り入浴の時間をそれまでの14時から18時にまで延長した。村民が利用しやすいように老人会向けの手軽な料理プランを用意したり、独り暮らしの高齢者のもとに帰ってくる家族の利用を呼びかけるなど、顧客層を広げた。


酢の物(カニ千種饅頭、生姜酢)

「2016年10月にミシュランガイドのホテル部門に3パビリオン(3つ星)として登録されたこともあり、村民の方も村外に宣伝していただけるようになりました。また、一度利用したお客様のリピートが増え、口コミによる利用者が多くなっていきました」



一村だけの発想にとらわれず
長年、地方銀行に勤めてきた本郷氏にとって、地域を活性化させることは自身の大きなテーマでもあった。『ホテル杉の湯』に赴任して着目したのが、日本を代表する原生林が残る「大台ヶ原」、神宿る聖地として数々の歴史の舞台にも登場する「吉野山」など、周辺の観光スポットだ。


デザート。何が入っているのだろう、というワクワク感がある



実は、大台ヶ原は上北山村、吉野山は吉野町に属し、所管する自治体が異なる。このため村営という縛りの中で、以前は村外の観光資源を活かす発想がなかったという。本郷氏は、大台ヶ原や吉野山を訪ねるトレッキングツアーとセットにした宿泊プランを新たに企画、広域での観光戦略を進めている。


これは豪華な朝食だ

「プランを通じて、『ホテル杉の湯』が大台ヶ原や吉野山の近くにあるホテルであることを広く知ってもらうことができます。また、ホテルの宿泊客に川上村にも豊かな自然があるという認知にもつながります」

『ホテル杉の湯』は、隣接する道の駅『杉の湯 川上』の運営も担っている。『杉の湯 川上』は、大台ヶ原へ向かう国道沿いに立地し、車で大台ヶ原に向かう人の多くが立ち寄る場所となっている。そのため、収益面では安定しているものの、課題は特産品の充実だと本郷氏は語る。



「茶粥や!」「美味しい!」の声が大広間に響く

「鯖と鮭の押し寿司を柿の葉で包んだ『柿の葉寿司』、火打石をかたどったよもぎ団子の『火打餅』、吉野杉を加工した木工品など、特産品はあるのですが、まだまだ全体の売上げの一部にしかすぎません。こうした産業を守り、育てていくことが重要です」


吉野杉から彫り起こした茶碗。工房アップル・ジャック(川上村)製

黒字化を達成、持続性が鍵
赴任して今年で3年目を迎え、任期は1年弱を残すのみとなった。赴任前に2億5000万円ほどだった売上げは3億円を超えるようになり、赴任初年度の2015年度は黒字化を達成。2016年度は4人の従業員を新規採用したこともあり人件費がかさんで赤字となったが、今年度は管理面を強化し、出足は好調で再び黒字化が見込めるという。

利益が出るようになって従業員の意識も変わった。「これまでは村のお荷物になっているという負い目もあり、無理な依頼を飲まざるを得ないこともあったようですが、今はきっぱり断っています。収益を確保してこそ村も地域も潤うという考え方が、ようやく浸透しつつあります」


この茶碗は私も「工房アップル・ジャック」で買い求め、大事に使っている

地域おこし企業人の制度については、「顧客視点に立って行動する、費用対効果を考え事業を見直すといった、民間ではごく当たり前の発想を地域に根付かせるという点で果たす役割は大きい。ただ期間限定なので、築き上げてきたものをいかに持続させるかが重要です」とも指摘する。

川上村の2015年の人口は約1300人。2012年比で約20%減少しており、過疎化の流れは止まっていない。「川上村にとっては、生活の糧となる仕事をつくることが最大の課題。産業づくりにつながる、人材とのマッチングもぜひ実現させてほしい」と、本郷氏は制度を活用した重層的な効果に期待を寄せている。


収益の上がる体制になったことで、長年途絶えていたボーナスも支給されるようになり、従業員の志気はますます上がっている。応対も、ずいぶん良くなっている。フロント係の前田景子さんは2016年3月、奈良のご当地検定「奈良まほろばソムリエ検定」の最上級資格である「奈良まほろばソムリエ」に合格(村内で唯一のソムリエ合格者)。希望する宿泊客向けに、観光ガイドも行っている。

いろんな歯車がうまくかみ合い、ホテルが良い循環で回っている。お客さんの評判もいい。本郷支配人に残された半年は、このDNAを次の支配人にうまく引き継げるよう、万全を期していただきたい。本郷さん、ぜひ有終の美を飾ってください!
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五條のジビエカレー/柿と鹿肉、猪肉がコラボ!

2017年09月24日 | 奈良のカレー
奈良のうまいものプラザのHPで好評連載中の「鹿鳴人の"イチ押し!"うまいもの」。NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」理事で株式会社まつもり社長の松森重博さんが隔月で連載されている。第1回の「大和当帰(やまととうき)」は以前、当ブログでも紹介した。
※写真はすべて「猪肉のカレー」。奈良のうまいものプラザで買い求めた(9/24撮影)

第2回は《柿と鹿肉・猪肉がコラボ!奈良の「ジビエカレー」》だ。地元の鹿肉、猪肉と柿を使い、五條市が販売しているレトルトカレーである(575円+税)。全文を紹介すると、

柿と鹿肉・猪肉がコラボ!奈良の「ジビエカレー」

今回は、いま話題のジビエについてです。奈良県でのジビエの取り組みに関して、県のHPでは次のように説明されています。

奈良県では、以下の基準を満たす野生獣肉(いわゆるジビエ)を「ならジビエ」とし、その知名度向上と消費拡大を図っています。
・奈良県内で捕獲されたイノシシおよびニホンジカの肉
・食品衛生法等の法令を遵守した施設で処理されたもの
・捕獲場所や捕獲者、解体処理日等が明らかなもの
・人の食用とするもの




さて、「奈良 五條 柿と猪のジビエカレー」と「同 柿と鹿のジビエカレー」を今回は紹介したいと思います。「鹿のジビエカレー」のパッケージには、

奈良 五條 大切な命、活かすジビエカレー
1.森を守ること1.農家を守ること1.命を大切にすること

五條市は奈良県の南西部にあり、南部は紀伊山脈の急斜面、東部は世界遺産に登録されている大峰山脈の山岳地で、古来から歴史と豊かな自然が織りなす街です。この街は、柿の生産量が日本一として全国にPRしています。その柿を狙ってくる猪・鹿による被害が深刻な問題となり捕獲に力をいれています。このいただいた大切な命をいただきますという思いを守りながら、ジビエカレーを作りました。

『低カロリー』『高たんぱく』『低脂肪』で、鉄分・ミネラルを多く含む『鹿肉』のカレーです。ビタミンCやカリウムが豊富な『柿』も加えて、デミグラスソースのコク深い味わいの中辛に仕上げました。柿のやさしい甘みの後から、程よいスパイスの辛みが追いかけてきます。このジビエ肉がごろごろ入ったカレーをお召し上がりいただき、自然と共生する社会について考えてみてください。



こんなにたくさんお肉が入っている

作り方はレトルトパックを「袋のまま熱湯に入れ、5~8分間温めてから、良く振って、熱い間にお召し上がりください。または、袋の中身を皿に移して電子レンジで温めてください」と書かれています。

早速、電子レンジで温めて食べてみました。説明にあるように、鹿の肉がたくさん入っています。柿も入っていて、しっかりした濃厚な味です。鹿の肉ははじめて食べるのですが、まったく違和感はありません。香ばしいしっかりした味で、予想していた硬さはなく、肉の味が溶けていきます。本格的なカレーです。

レトルトパックですので、簡単に温めて手軽に、食べられます。JR奈良駅の「奈良のうまいものプラザ」では、鹿のカレーもお客様はよく買って帰られるということです。



これがいつもの私の食べ方。温泉卵と福神漬(無着色)を添えて

「猪のジビエカレー」のパッケージには、「新陳代謝を促すビタミンB群とコラーゲンを豊富に含む『猪肉』のカレーです」と書かれています。

猪のカレーを食べてみました。イノシシは今まで鍋で食べたことがあります。奈良・柳生でも名物料理です。また吉野郡野迫川村にはカシキ鍋といって、カモやイノシシやキジの鍋料理を出す宿があります。

さてカレーの中のイノシシ肉はどうでしょうか。しっかり煮込まれているせいか、肉がさっくりと歯切れよく食べられました。猪の肉の香ばしさを感じました。鹿のカレーと同様、柿の入ったデミグラスソースは本格的なカレーです。中辛の味付けは他の香辛料を付け加えることなく美味しくいただくことができました。鹿のカレーも猪のカレーも牛や豚にない独特の風味があっておいしいと思います。

鹿のカレーも猪のカレーもレトルトパックに入れられ、賞味期間は1年以上です。お値段はどちらも575円+税です。JR奈良駅1Fの「奈良のうまいものプラザ」で買うことが出来ます。奈良の新しいお土産としても良いと思います。

ところで、このカレーはいずれも販売者が、五條市です。行政である五條市が販売者になっているところに並々ならぬ熱心さが感じられます。五條市には、ジビエール五條という食肉加工施設も作られています。今回取り上げた「ジビエカレー」はもちろん「ならジビエ」、おすすめです。


私はどちらも食べてみた。どちらも香り高い本格派のカレーでとても美味しい。柿の甘みが隠し味になっている(ハウス「バーモントカレー」のような感じ)。私はどちらかといえば、大きな肉がゴロゴロと入った「猪のジビエカレー」の方が好みである。ちなみに奈良のうまいものプラザのD店長は、鹿肉のカレーがお気に入りだそうだ。皆さんも、ぜひ食べ比べていただきたい。

松森さん、楽しい記事をありがとうございました!
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倭文神社(奈良市)の蛇祭り/体育の日の前日に催行(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第35回)

2017年09月23日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。今週(9/21付)掲載されたのは「蛇(じゃ)祭りの神餞(しんせん)と相撲 奈良市の倭文(しずり)神社」、執筆されたのは姫路から来た優等生こと池内力(いけうち・ちから)さんである(兵庫県姫路市出身・在住)。遠方から、毎週のように奈良を探訪されている。
※トップ写真は倭文神社の「大相撲」(神事相撲)

「倭文神社」という名前の神社は全国にある。倭文は「シズオリ」で、織物の名前だそうだ。なので全国の倭文神社は、織物の神さまをお祀りしている。奈良市西九条町の倭文神社も、天照大神を天の岩戸から誘い出すために文布(あや)を織ったとされる武羽槌雄(たけのはづちお)命(=天羽槌雄神)をお祀りしている。『大和・紀伊寺院神社大事典』の「倭文神社(しずりじんじゃ)」(奈良市西九条町)によると、

西九条(さいくじょう)町の集落南西部に鎮座し、旧村社。武羽槌雄(たけのはづちお)命・経津主(ふつぬし)命・誉田別(ほんだわけ)命を祀る。「大和名所図会」に「此(辰市社)ほとりにあり。俗にひつりのやしろといふ」とみえ、社伝では中臣時風・秀行が勧請したという。倭文と称することについては未詳。

昭和初年に火災に遭ったため記録が残らないが、北大和で祭の派手なのは櫟本(いちのもと 現奈良県天理市)の祭と西九条の祭といわれるほど祭礼は盛んであった。近年まで10月16日の祭礼に先立って頭屋の家にお仮屋を造っていたが、現在では境内に仮社殿を造り、町内でこれを祀る。

仮屋の御供の中にヒトミゴクと称し、檜の曲物に野菜を古式に盛り、里芋に人の顔を描いて海藻をつけたものが供えられるが、男児を人身御供とした伝説が残る。祭礼当日の神饌供奉には暴れたり供物を落したりするのが例で、供物の中にずいきでこしらえた蛇形のものがあり、人身御供を要求した大蛇を竜頭(りゅうとう)寺僧が退治したとか、その蛇を埋めたという蛇塚などがあり、蛇にまつわる説話が多い。竜頭寺は旧神宮寺で境内に寺跡がある。


「男児を人身御供とした」とは穏やかではないが、「人身御供を要求した大蛇を竜頭寺僧が退治した」とあるのでホッとする。では、池内さんの記事全文を紹介する。

倭文(しずり)神社(奈良市西九条町)の蛇(じゃ)祭りは、体育の日の前日の日曜日に行われます。理源大師の大蛇退治に由来するとも言われ、特殊神饌(しんせん)と神事相撲に特徴があります。

蛇祭りは午後2時頃から始まります。特殊神饌「人身御供(ひとみごくう)」は、蛇を模した大たいまつと共に町内を一回りした後、神前に供えられます。人身御供の胴体は藁を束ねたもので、長方形の餅が串で刺されます。その上にヒノキの葉やワカメを重ねた後、里芋の断面に「へのへのもへ」と書いた顔と御幣が突き立てられて完成です。



特殊神饌「人身御供」

その後、拝殿の前に敷かれたむしろの上で、幼児による小相撲、小学生による中相撲、青年による大相撲が行われます。大相撲では、実際の取り組みは行わず、むしろに置いた日本刀の上に日の丸扇を広げ、3度回った後で、扇に向かって耳に挟んだ矢を投げつけます。地元の人たちにより温かい雰囲気のなかで行われるお祭りです。

【メモ】近鉄奈良駅・JR奈良駅より「イオンモール大和郡山」行きバスで「西九条町」下車、北東へ徒歩約4分。今年の蛇祭りは10月8日の予定です。(奈良まほろばソムリエの会 池内力)


なるほど、これは珍しいお祭りである。今年の蛇祭りは10月8日(日)、ぜひお出かけください。池内さん、興味深いお話をありがとうございました!

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講演会「法隆寺再建・非再建論争」by 田辺征夫氏(奈文研 前所長)天理市文化センターで10月8日(日)開催!(2017 Topic)

2017年09月22日 | お知らせ
10月8日(日)の午後、こんな講演会がある。要申し込みで、参加費はわずか500円!定員250名だが、まだ残席がある。主催者であるNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」制作のチラシ(PDF)によると、

「なら記紀・万葉を味わい、楽しむ 第8回シリーズ講演会」のご案内
田辺征夫先生(奈良文化財研究所 前所長)講演会


NPO 奈良まほろばソムリエの会では「本物の古代と出会い、楽しめる奈良を学ぼう」とのテーマ
で、記紀・万葉シリーズ講演会を継続開催してまいりました。 今回は日本考古学・古代史の権威者の田辺征夫氏を講師にお迎えし、以下の通り天理市で開催いたします。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

日時 平成29年10月8日(日)13時30分~15時00分(90分)
会場 天理市文化センター(天理市守目堂町 117)
講演 田辺征夫氏(奈良文化財研究所 前所長)
演題 「法隆寺再建・非再建論争の学際的評価」

■参加料 資料代として 500 円(当日会場受付にて)
■講演会お申込み・お問合せは
● Eメール info@stomo.jp
● FAX 0742-90-1414
● 電話 080-9601-5813
● ハガキで〒630-8001 奈良市法華寺町 254-1
 奈良ロイヤルホテル内 奈良まほろばソムリエの会宛
の何れかで、氏名・住所・電話番号をお知らせ下さい(定員250名、定員になり次第締切)。
■当日午前中、史跡ハイクや天理参考館特別展見学などの行事も実施します(お申し込み・お問い合わせは当会へ) 。
■主催 NPO法人 奈良まほろばソムリエの会/後援 奈良県、天理市


法隆寺再建・非再建論争とは何か。『世界大百科事典』の「法隆寺再建非再建論争」には、このように書かれている。一部抜粋すると、

法隆寺西院伽藍の金堂,塔,中門,回廊が7世紀初めの推古朝創建の建造物であるか,あるいは一度焼亡して再建されたものであるのかについての論争。同伽藍が日本最古の建造物であることから,建築史,美術史,日本史,考古学の諸家によって19世紀末から半世紀にわたって論争された。

非再建説は飛鳥,白鳳,天平と変遷する建築様式論に基礎をおくが,特に西院伽藍建造の使用尺度が大化以前の高麗(こま)尺であるという関野(貞)の尺度論が重要な論拠となった。喜田(貞吉)は《日本書紀》の記事の信拠性とともに,白鳳・天平様式とされる建造物の年代が下ることを主張した。

その後南大門の東にある若草伽藍の塔心礎が注目されるようになり,喜田も関野も天智9年焼亡の寺は若草伽藍と考えるようになったが,喜田が若草伽藍の焼亡,西院伽藍の再建と考えたのに対して,関野は両伽藍が推古朝から併存したと考えた。

39年足立康(1898-1941)が関野と同様の二寺併存による非再建説を唱え,第2次論争がおこるが,同年12月石田茂作(1894-1977)による若草伽藍の発掘と45年以来の金堂と塔の解体修理によって明らかになった新事実によって,論争は決着をみた。すなわち,
(1)若草伽藍と西院伽藍の中心線の方向が16°違うので,両者は併存しない。
(2)出土軒瓦は若草伽藍が西院伽藍より古い。
(3)金堂の礎石,壁の下地材は転用材である。
(4)金堂天井発見の落書は推古朝までさかのぼらない
などの諸点から,天智9年に若草伽藍が焼亡し,西院伽藍はそれ以降に再建されたものと考えられるに至った。[今泉隆雄]


『世界大百科事典』はこのように記述しているが、実際に発掘に当たった田辺氏は、どのような自説を展開されるのか、これは興味深い。

開催場所は天理市役所西隣の「天理市文化センター」だ。よく似た名前の施設が天理駅の近くにあるが、決してお間違えなきよう。たくさんのお申し込みをお待ちしています!

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二上山頂の日時計/「太陽の道」を示唆(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第34回)

2017年09月21日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が毎週木曜日、毎日新聞奈良版に連載している「ディスカバー!奈良」、先週(9/14)掲載されたのは《「太陽の道」に思いはせ 二上山雌岳の頂上》、執筆されたのは奈良市在住の中村茂一(しげかず)さんである。「箸墓古墳を中心に、淡路島から伊勢まで北緯34度32分の線上に、太陽崇拝とつながりがある古代祭祀遺跡が並んでいる」というミステリアスなお話である。
※トップ写真は、二上山雌岳の頂上にある日時計

『日本歴史地名大系』の「石上神社(いわがみじんじゃ)」(兵庫県津名郡北淡町舟木八丁岩)によると《字八丁岩(はつちよういわ)の照葉樹林の中にある。現在の祭神は素盞嗚尊であるが、本来は巨石を神体とする社であった。社叢の中に巨石数個が立ち、それらを大小六十数個の花崗岩の石がおよそ三〇メートル四方にわたって環状にとりまいている》。

《当社は北緯三四度三二分線上にあり、太陽の道として一時注目を浴びた三重県鳥羽市の伊勢神(かみ)島から西へ延びる直線上に位置し、日の神としての天照大神信仰とのかかわりも想定されている》とあり、これは興味深い。では、記事全文を紹介する。


「太陽の道」と日時計の説明板

二上山は雄岳と雌岳の二つの峰からなる独特な姿をしています。雌岳頂上には日時計があり、「太陽の道」にまつわる説明板が立てられています。

箸墓古墳を中心に淡路島から伊勢まで北緯34度32分の線上に、太陽崇拝と何らかのつながりがある古代祭祀(さいし)遺跡が並んでいるという話が、1980年にNHKの番組で紹介されました。この東西の線は「太陽の道」と呼ばれています。

県内では二上山すぐ北側の穴虫峠、桧原神社(「元伊勢」と呼ばれ、天照大神に関係が深い)、長谷寺、室生寺などがほぼこの線上にあります。大阪には大鳥大社、日置荘(荻原天神)、三重には斎宮跡(天照大神に使える斎王が住んでいた所)などがあります。太陽にまつわるモニュメントの日時計を見ながら、東へ西へと思いをはせてみてはいかがでしょうか。

メモ 二上山雌岳(標高474㍍)へは、近鉄二上神社口駅から徒歩約1時間。(奈良まほろばソムリエの会 中村茂一)



この画像は、日経電子版(2011.8.10付)から拝借

「太陽の道の話、どこかで読んだことがあったな」とネットで検索してみると、旧知の吉田俊宏さんが、日本経済新聞(2011.8.10付)《奈良・大和盆地に「太陽の道」 一直線上に遺跡・社寺 異説の日本史(1)》という記事を書いておられた。今も電子版で読むことができる。吉田さんは同様に「聖なるライン」(異説の日本史(2))も、同紙に紹介しておられた。

中村さん、興味深いお話、そして珍しい日時計のご紹介、ありがとうございました!

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