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馬見古墳群・中群をゆく

2009年03月09日 | 奈良検定
2/22(日)、馬見丘陵公園周辺を歩いてきた。いわゆる馬見古墳群「中群」である。Wikipedia「馬見古墳群」によると、

《奈良盆地西南部、奈良県北葛城郡河合町、広陵町から大和高田市にかけて広がる馬見丘陵とその周辺に築かれ、北群、中群、南群の三群からなる県下でも有数の古墳群。4世紀末から6世紀にかけて造営されたと見られる。古代豪族・葛城氏の墓域とみる説もある。この葛城地域には、古墳時代前期の中頃から有力な古墳の造営が始まり、前期中葉から中期には、墳丘長200メートルを超える規模の古墳が造営されている》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%A6%8B%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

以前、馬見古墳群・南群の代表的な古墳である新山(しんやま)古墳(大塚陵墓参考地)は、当ブログで紹介したことがある。
※近畿文化会「古代葛城の仏像」(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/c6e8410d55dc28fe64c5673def9443fb

さて馬見古墳群・中群にあり、馬見古墳群のなかで最も著名な古墳が「巣山古墳」(特別史跡)である。広陵町(北葛城郡)のHPによれば《周辺の新木山古墳(陵墓参考地)とともに丘陵中央部に集中する古墳群の中核をなし、昭和27年には国の特別史跡に指定されています。周濠が農業用溜池として利用されており、水位変動や波によって墳丘と外堤の裾が大きく削り取られ、埴輪列が露出していました》。
http://www.town.koryo.nara.jp/kankotokusan/kanko/suyamakohunn_gaiyou.html


巣山古墳

《巣山古墳は、大王の墓域が佐紀から河内へ移動する時期に築かれた前方後円墳で、大阪府藤井寺市の津堂城山古墳とほぼ同時期と考えられ、周濠内に島状遺構を設け、水鳥形埴輪を配する点は非常によく似ています。墳丘から渡り土手を設け、島状遺構に蓋、家等の埴輪を置き、王の居館を埴輪によって再現するところは、三重県松阪市宝塚1号墳の埴輪配列にも共通するものと考えられます》。

《前方部に設けられた島状遺構の祭祀は、造出し(前方部左右の張出し部分)で行われる祭祀とは異なると考えられ、島状遺構の突出部や立石が三重県上野市城之越遺跡に酷似することから、外堤から途切れることなく湧き出す水を神聖視し、首長が司る水に関わる祭祀を表現しているのかもしれません》。残念ながら今は周辺を工事中で、古墳に近づくことはできなかったが、全長約220mという規模だけはよく分かった。


馬見丘陵公園内の梅園

巣山古墳の西北に馬見丘陵公園が広がる。写真は公園の南エリア(巣山古墳の西)にある「三吉(みつよし)2号墳」である。帆立貝式古墳(前方後円墳より前方部が短い)で、復原整備により、墳頂に登れるようになっている。
http://74589594.at.webry.info/200901/article_14.html


三吉2号墳

佐味田狐塚古墳は、無惨にも、公園内を横切る道路によって真っ二つに分断されている。河合町のHPによると《巣山古墳外提の北西に接して築かれた帆立貝式古墳である。墳丘全長86m、後円部径66m、同高7m、前方部長20m、同幅25m、同高5mで周囲に浅い空濠がめぐる。町道建設により後円部中央を分断されているが、発掘調査で木棺を粘土で保護した粘土かくが確認され、鏡や鉄刀の破片等が出土している。築造時期は古墳時代前期後葉と考えられる》。


佐味田狐塚古墳の後円部

古代史跡探訪がご趣味のDon PanchoさんのHPによれば《今までずいぶん多くの古墳を見てきたが、佐味田狐塚古墳ほど哀れな姿を留めている墓を見たことがない。片側2車線の都市計画道路が後円部の真ん中を貫通しているのだ》。
http://www.bell.jp/pancho/travel/umami/kitunezuka%20kofun.htm


佐味田狐塚古墳の前方部

《佐味田狐塚古墳は、河合町の飛地に築かれている。現在は馬見丘陵公園の中に取り込まれていて、前方部は公園の中央エリアに、後円部は公園の南エリアに位置し、その間を都市計画道路の上にかかる歩道橋のような橋でつないである。南エリアから見る古墳は小綺麗に整備されているが、都市計画道路から眺めた姿は、とてもここに古墳が位置しているとは思えない。後円部の中心を道路に貫通されては、被葬者も浮かばれまい》。全く同感である。トンネルを通して古墳を守ることは、できなかったのだろうか。

乙女山古墳は、公園の中央エリア(下池の西)にある。河合町のHPによると《5世紀前半に造られた乙女山古墳は、平面形が帆立貝に似ていることから帆立貝形古墳の典型として有名です。墳丘の全長は131mで、帆立貝形古墳としてはわが国最大級の規模を誇ります。墳丘の周囲には水田や溜池として周濠が残り、周濠の外側には外堤が残っています》。正確には、宮崎県西都原古墳群の中にある帆立貝形古墳の次に大きい古墳(全国2位、県内1位)だそうだ。周濠に水がなく荒れているので、やや離れて撮影した。
http://www.town.kawai.nara.jp/mytown/shiseki-iseki.html



さて、馬見丘陵公園内で最も人気が高いのが「ナガレ山古墳」(中央エリア南西・国指定史跡)である。「奈良観光」のHPによると


ナガレ山古墳(復原・冒頭の写真とも)

《南向き二段築造の前方後円墳です。全長105m、後円部直径64m、前方部幅70mで、5世紀前半頃の築造と推定されています。昭和50年、奈良県教育委員会が調査された結果、前方部の埋葬施設は木棺を粘土で覆った粘土槨(ねんどかく)で、墳丘の裾部に埴輪を巡らしている事が判りました。埴輪列は10cm間隔に円筒埴輪を建て、10~20本毎に大型の埴輪を配置しており、遺存状況も良かったので、東側は葺石と埴輪列を復元整備して、約1600年前の姿に再現されています》。
http://urano.org/kankou/kawai/kawai05.html#nagare




向かって左に「墓壙(ぼこう)」、右に「粘土槨(ねんどかく)」の標示がある

この復原された姿は、圧巻である。何度訪れても見飽きることはない。この日は小雨の混じる寒い日だったが、多くの家族連れなどが「わぁ~」と言いながら写真を撮っていた。

公園を出て、都市計画道路(佐味田狐塚古墳を分断した道路)を西に行くと、牧野(ばくや)史跡公園があり、その中に牧野古墳(国指定史跡)がある。広陵町のHPによると、《丘陵の奥部にある直径約50mの大型円墳で、墳丘は三段築成で造られ、二段目に横穴式石室が開口している》。《全長17.1mを測る大型石室である。玄室内には奥壁に沿って横向きに刳抜(くりぬき)式の家形石棺が安置され、その手前には組合せ式の家形石棺が置かれていた》。以前は石室内に入れたそうだが、今は厳重に施錠されている。暗すぎて、写真撮影もままならなかった。


牧野(ばくや)史跡公園。うしろが牧野古墳

《副葬品は意外に多く残されていた。装身具類は金環(きんかん)と各種の玉(金銅製山梔玉(くちなしだま)・ガラス小玉・粟玉(あわだま))が、馬具は木心鉄地金銅張の壺鐙(つぼあぶみ)や、縁金具のある障泥(あおり)、心葉形の鏡板(かがみいた)と杏葉(ぎょうよう)等が二組分出土してる。武器は、銀装の大刀と400本近い鉄鏃(てつぞく)があり、羨道に集中していた容器類のなかには、木心の金銅張容器と総数58点の須恵器があった。古墳時代後期末葉の古墳で、舒明天皇の父にあたる押坂彦人大兄皇子(おしさかひこひとおおえのおうじ)の成相墓(なりあいばか)の可能性がある》。


牧野古墳の石室入口

さて、おしまいは「三吉(みつよし)石塚古墳」(県指定史跡) である。巣山古墳から、ずっと南に下がった墓地の一角にある。ナガレ山古墳のように円筒埴輪も含めて復原されているので、よく分かる。


三吉(みつよし)石塚古墳(復原)

広陵町のHPによると《東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径41.4m、高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付く。周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、さらに外堤があり、堤を含めた全長は62mとなる》。



《墳丘は二段築成で、第一段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬがさ)、短甲(たんこう)、家形埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉の築造と考えられる》。


馬見丘陵公園館エントランスの天井。新山古墳出土の「直弧文鏡(ちょっこもんきょう)」をデザイン

馬見丘陵公園の周辺は古墳が集中しているので、短い時間でたくさんの古墳を訪ねることができる。公園内(乙女山古墳のすぐ西南)に「馬見丘陵公園館」(入場無料)がある。館内では古墳に関する展示のや公園の見どころを映像で紹介しているので、とても便利だ。

奈良検定(奈良まほろばソムリエ検定)のテキストには、ここに紹介した古墳のうち、新山古墳(大塚陵墓参考地)、巣山古墳、ナガレ山古墳、乙女山古墳、牧野古墳が記載されているので、要チェックである。

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2 コメント

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古墳の復元 (畳薦)
2009-03-09 07:36:23
 馬見丘陵公園の復元された「ナガレ山古墳」や帆立貝式が良く分かる「三吉古墳」はなかなか良いですね。豊中の桜塚は地名の通り前期古墳が残っていて、一つが復元されています。偶然 昨日 所用のついでに、再訪しました。ここは、ナガレ山より小規模ですが、市役所近くで小学校のとなりの住宅地内。柵があって自由に登れません。ナガレ山は規模もそこそこで良い、垂水の五色塚並です。
 巣山古墳はフェンスが邪魔で調査がまだまだ続くでしょう。水鳥のイメージは大阪の近つ飛鳥博物館に津堂城山の大型埴輪が展示されています。
巣山古墳 (tetsuda)
2009-03-09 21:31:42
畳薦さん、コメント有難うございました。

> 復元された「ナガレ山古墳」や帆立貝式が良く
> 分かる「三吉古墳」はなかなか良いですね。

> 巣山古墳はフェンスが邪魔で調査がまだまだ続くでしょう。

その通りです、この辺りも畳薦さんの守備範囲ですか。ナガレ山や三吉石塚のように、じっくり巣山古墳を見てみたいものです。

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