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田中利典師の『吉野薫風抄』白馬社刊(5)/欲張るな、怒るな、グチるな!

2022年06月16日 | 田中利典師曰く
田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ。第5回の今回は「花咲か爺さんへの道」。師ご自身が「この文章はけっこう気に入っている」とお書きの自信作である。師のFacebook(4/26付)から転載する。
※トップ写真は吉野山中千本付近で撮影(2022.4.11)。テーマに合わせ満開の桜の写真とした

シリーズ吉野薫風抄⑤/「花咲か爺さんへの道」
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。よろしければご覧下さい。 

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「花咲か爺さんへの道」
日本は今や高齢化社会ということで、老人問題が大きく取沙汰されている。平均年齢はどんどん高くなり、百歳を越えるお年寄りが来年には全国で2千人を上回るという。有難い話である。老人問題は社会的な面、経済的な面、福祉の面などいろんな問題を含んでいるが、私は個々人の問題として考えてみたい。

「子供叱るな来た道じゃ、年寄り嫌うな行く道じゃ」という道歌の通り、老いも若きもそれぞれに老いるということは自分自身のことである。誰しも必ず老いるのである。それならば見事に老いねばならない。よき老後を迎えることを考えねばならない。

人間の心には三つの毒がある。貪・瞋・痴(とん・じん・ち)の三毒である。貪はむさぼりの心、つまり欲ばり爺さんである。瞋はいかりの心、つまり怒ってばっかりいるガミガミ爺さんである。痴は愚痴をいうこと。つまりぐちぐち文句ばかり言う爺さんである。

この三毒が老いるにつれて、少しずつうすれて無くなっていくか、逆に益々増えていくか、これによって、その人の老後のあり方が決まってしまうのである。若い頃、どんなにりっぱに生きようが、年老いて三毒の毒牙にまみれてしまうようであれば、その人の人生はやはり幸せであるとは言えない。

どんな美しい花でも枯れ果てれば醜いし、どんな素晴らしい車でも、乗りつぶせばただのポンコツである。けれど、人間はそんな植物や道具などとは違うのである。同じになってはいけないのである。受け難き人身を受けた我々こそ、老いに等しい時間をかけて、心の修行を積まねばならない。

貪らないこと、怒らないこと、愚痴を言わないこと、この三つを充々肝に銘じておきたい。ただそれだけで充分、良き老いの道が開かれるにちがいない。童話の花咲か爺さんのように、年老いて、花を咲かせる、そんな老人になりたいものである。

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この文章はけっこう気に入っている。でも、私が30歳の頃に認(したた)めたものなので、「百歳以上の高齢者が来年は2千人を超える」と文中に書いているが、笑えるほど、隔世の感がある。2021年の厚生労働省調べによると、なんと全国で百歳以上は現在、86,510人。1年で前年比6,060人の増というから、もの凄いことになっている。

統計を遡ると、1987年にようやく2千人を超えているのだから、本文を認めてからここ35年ほどの増加率は爆裂的というほかない。高齢化社会といわれて久しいが、日本は間違いないの超老人社会なのだと改めて痛感した。

さてさて、花咲か爺さんのような老人に溢れている現代社会なのだろうか。老害ばかりを目にする毎日にため息が出ますよね。ま、いつの間にか、私自身も老人の身になっているのですが…。なお、Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
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