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コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の提言「富士山の世界遺産登録に向けて 2008」

2023年08月16日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈富士山世界文化遺産国際シンポジウム「世界遺産と富士山の象徴性」〉(師のブログ 2013.5.5 付)である。2008年に静岡県富士市で開催されたこのシンポジウムに、師はパネリストのお1人として参加された。当時の師は、脂の乗りきった53歳だ。
※トップ写真は吉野山の桜(3/31撮影)

その講演録から、師の発言部分と、氏の発言に関わる他の参加者の発言を抜粋したのが今回のブログ記事である。90分のシンポジウムで、師はとても熱心に話されている。中身は濃いが表現が平易なので、すらすらと読める。今回の記事の文字数は約17,000字、400字詰め原稿用紙の43枚分もある。

そんな長い記事だが、師の「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録へのご尽力ぶりがうかがえて、とても興味深く、一気に読み終えた。皆さんも、ぜひ全文をお読みいただきたい。

富士山世界文化遺産国際シンポジウム「世界遺産と富士山の象徴性」
富士山の世界文化遺産登録のニュースがこのところ、いろんなメディアで取り上げられている。この6月には間違いなく、本登録されることだろうと思う。

以前にも書いたとおり、5年前に静岡県富士市で行われた「富士山世界遺産推進国際シンポジウム」にパネリストとして呼ばれて以来、富士山の世界遺産登録には関わりを持ち、静岡、山梨両県での講演会に何度か呼ばれることとなった。この5月26日には静岡県の浅間大社(せんげんたいしゃ)での講演会にも行くことになっている。

そんな中、一番最初の国際シンポでの、講演録の生原稿が出てきた。久しぶりに読んだが、結構面白いし、今こそ、富士山の世界遺産登録を前に、多くの人に語っておかないといけないような内容がそこにはあった。それで改めてブログにアップする。

基調講演後、パネリストとして参加されたカメロンさんやミッチェルさんのお話しはカットして、私のところだけをアップした。コーディネーターの稲葉信子さんのお話しも私の発言に関わるところだけを書いているので、ご了解いただきたい。

なんか、あの頃はホントにけなげに頑張っていたなあと、今更ながら、私的には懐かしい記録である。富士山の世界遺産登録に興味、意見のある方はどうぞ…。

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富士山世界文化遺産国際シンポジウム テーマ:世界遺産と富士山の象徴性

【コーディネーター】
 稲葉信子氏(筑波大学大学院人間総合科学研究科世界遺産専攻教授)
【パネリスト】
 クリスティーナ・カメロン氏(モントリオール大学建築学部教授)
 ノーラ・J・ミッチェル氏(バーモント大学客員准教授)
 田中利典(金峯山修験本宗宗務総長、金峯山寺執行長)

2008年11月9日(日)15:30~17:00 富士市交流プラザ多目的ホール(富士市富士町)

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(稲葉)
いくつかの霊場が集まっている「紀伊山地の霊場と参詣道」。いくつかの霊場が集まっているものの中の一つの霊場をずっと守ってこられた方です。

けれども、少し、ご自身の紹介を兼ねて、それから富士山との関係、あるいは、特に信仰やあるいは日本人の精神的なもの、日本人の想いと世界遺産の関係について、世界遺産に登録する準備の段階からその後にへ向けて考えておられたことについて、少しお話しをいただけたらなと思います。よろしくお願いします。

(田中)
皆さん、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました田中でございます。「紀伊山地の霊場と参詣道」は平成16年に世界遺産登録を受けました。この世界遺産は、吉野・大峯と、高野と熊野という3つの霊場と、それぞれの霊場に関わる3つの参詣道から成り立っています。その3つの中の、1つのコアである吉野・大峯にある中心的な寺院の一つが私のいる金峯山寺という寺院で、我国独特の山岳宗教ー山伏の宗教である修験道の総本山からやってまいりました。

さて私は今はドキドキしてこの舞台に座っています。何をドキドキしているかというと、この舞台にいるのは女性の先生方ばかりで男性は私一人なのです。こんな大切なフォーラムにまるで世の男性を代表してここにいるようで、恐縮しております(笑)。

まあ、それはさておき、このシンポに呼ばれましたことに、私は天の使命を感じております。別に男の代表としての天命というわけではございません。少しスクリーンで写真を紹介したいと思いますが…ちょっと見えにくいですけれども…これは今から160年くらい前、1849年(嘉永2年)に出た嘉永版の『大日本永代節用無尽蔵』(節用集)という書籍です。

節用集というのは、簡単に言うと百科事典のようなもので、江戸後期に出版されたものは、全300ページぐらいある大部なものでした。江戸後期の節用集には、この嘉永版の他にも文久版とか寛政版とか色々あるのですが、それらの口絵(最初に出てくる絵)には、常に吉野山の桜の眺望図と、富士山の眺望図の二つが描かれています。その意味は、この二つが外国にはない、日本を代表する、日本の絶景として当時はシンボライズされていたということなのです。

ところでこの吉野・大峯を世界遺産にしようと最初に手を挙げたのは実は私です。おかげさまで、吉野は平成16年に世界遺産登録されました。で、今、富士山が世界遺産登録に向けて努力をなさっている…その富士山の世界遺産に私がお手伝いに呼ばれることになった。

節用集に描かれるとおり、日本の二つの絶景の内、先に吉野が世界遺産に登録されたわけですが、そのきっかけを作った私に、今度は富士山の世界遺産登録にお手伝いをしなさいと、いわれていると思ったのです。それはまさに江戸時代からの約束であり、いわば天命だというわけです。天命というのは自分で天命と思うから天命なのですよね。そのように思って今日はやって参りました。

先ほど稲葉先生からご質問がありましたが、吉野・大峯を世界遺産に登録しようという活動は、吉野・大峯が持つ歴史性・唯一性を、広く世の人たちに再認識していただきたいという、私の切なる思いから始まりました。

明治初期に、私どもの修験道という宗教が禁止された時代があったのですが、これによって、修験道を育んだ吉野・大峯の地が持つ歴史性とか聖地性とかも同時に損なわれることになります。その後修験道の禁止も解かれ、徐々に復興をするのですが、それでも未だに損なわれたままの部分が大きく、そんな中で世界遺産を通じて、日本国民全体の中に、あるいは地域の人たちの中に、この地の聖地性・歴史性の意識回復を計ることができたらなあという思いを持ったのです。

二つ目は、吉野・大峯が持つ歴史性・聖地性を司ったというか、基盤としたもの…それはこの地に栄えた日本古来の山岳信仰である修験道という宗教なのですが、この修験道そのものが、明治以後の欧米化・近代化政策による修験道禁止によって、力を失います。

後で詳しく申し上げたいと思いますが、修験道というのは近代以前の価値観を持った宗教なのですが、まるで近代化政策の生贄のようにして衰えさせられることとなりました。その修験道を、世界遺産登録を通じて再び高揚させたい。そういう思いがありました。

更にもう一つ。これも大変重要な目標だったのですけれども、修験道は山で修行する宗教なのですが、ここ20年ばかりの間に、その修行の場となる肝心の吉野・大峯の山々の自然環境破壊が極めて急速に進みました。後で紹介しますが、私たちには大峯の大自然の中で行う奥駈修行という修行があります。

私がこの修行に初めて行きましたのは27年前なのですが、27年前には潤沢に保たれていた大峯の自然環境が、ここ20年くらいで、急速に壊れてきたのです。ご存じのように、世界遺産というのは、自然と文化を二つながらに保護・保全していこうというのがその精神ですから、世界遺産登録運動を通じて大峯の環境保全を図っていきたいと発願しました。

で、もう少し言いますと、私は手を挙げた段階からこの地域は世界遺産になるだけの価値があるという自信がありました。けれどもたとえ世界遺産登録されなくても、そのような活動を通じて地域の人々に、この土地が持っている価値、歴史性や聖地性の認識を取り戻してもらうきっかけになればという思いで活動を始めました。幸い、3年あまりで世界遺産登録されたのですが、この辺のところは後ほどもう少し詳しく申し上げたいと思います。

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(稲葉)
田中さん。修験という言葉がございましたが、文化と、そうですね、自然と人間、仏と神などどういうことなのか、仏と神ですかね。そういうもの2つが一緒になっていますね。「紀伊山地の霊場と参詣道」を世界遺産にしていく時の、非常に重要な一つのキーワードとして、日本人は、あるいはアジアの人はとい言うべきでしょうか、そういう形で、非常に自然と密接に生きてきた、そのことが何か意味を持つということに関して、日本は十分にそれを証明したわけですけれども。

修験ということは1300年以上の歴史があるということだと思いますが、吉野・大峯の自然を修行の場とされてしている修験道が、世界遺産としてどういう価値を表明しているのかということについて、お話しをいただきたいということと、それからもう一つ、ベテランである田中さんから、ベテランから見て、富士山というものをどのように考えたらいいのか、富士山の、ここでいう「象徴性」という言葉で、何を言っているのかということについて、どう思われていますかお話しいただけますでしょうかしら。ご意見を。

(田中)
今の日本の人にも修験道を説明するのは難しいわけですから、まして外国の方に説明するのは非常に難しいわけであります。これには、先ほど少しふれました明治の修験道禁止に問題の始まりがあります。

日本人は今から1450年前に仏教を受容いたします。仏教を受容してしばらくは崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との相克があり、神さまと仏さまの間で多少もめたことはありましたが、その後は基本的に1300年間、神さんと仏さんは仲良くやって参りました。そのことを神仏習合といいます。

さてご存じのように、明治期に神仏分離が行われます。神仏習合を壊すわけです。それで今は、神さんと仏さんは別々のものになってしまいました。修験というのは、神仏習合という神道と仏教が夫婦関係のような中で生まれた宗教で、いわば夫婦の間でできた子どもみたいなものですから、神と仏を分け隔てなく拝んできました。

その修験道が明治に神仏分離されることによって、神道になるか、あるいは山伏を辞めて還俗(げんぞく)するかという、そういう時代がありました。神仏分離を断行した神仏判然令が明治初年に出ましたけれども、明治の5年にはご丁寧に修験道廃止令というものまで出まして、修験道の全面解体が行われます。

そのせいで現在の富士山にも修験信仰がほとんど残っていないようになりました。ところが「紀伊山地の霊場と参詣道」には修験道の世界が現代も息づいています。で、これを簡単に説明するのはすこぶる難しいので、修験とはどのような宗教なのかが簡単にわかる映像を持ってきました。ここでその映像で見ていただければと思います。

この映像は夏に吉野から熊野にかけて、あるいは熊野から吉野にかけて、大峯山脈を縦走する大峯奥駈という約10日間ほどの山修行の様子です。私たちは1日約13時間、集団で山の中を抖數(トソウ。抖數の數は手偏に數)、つまり山を歩き通す修行をするのです。

山念仏とか掛け念仏と言われる「さんげ、さんげ、ろっこんしょうじょう」というかけ声を唱えながら歩くのですが、山中にいる神や仏に相まみえ、大自然の中に深く抱かれて、そこに神を観じ、仏を観じ、人間の眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)、つまり六根といいますが、いわゆる煩悩をつくり出すところの人間の身と心を懺悔(さんげ)して神・仏に近づいていく…そういう修行をするわけであります。

行に出発する段階では、お堂があり祠があるのですが、山の中に入って行きますと、祠もお堂もなくて、ついには、石を拝み、木を拝み、空を拝み、大自然そのものを拝んでいく。ただひたすら神・仏がおられることを前提に歩き通す。そういう修行を行うのが修験道なのです。このように山深い深山幽谷をくたくたになって歩く、そういった修行をするわけであります。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、熊野という神道の霊場と、それから高野山という真言密教の霊場、それから吉野・大峯という修験の霊場、この3つの異なる聖地が道によって繋がれています。つまり、日本人が神や仏を分け隔てなく拝んできた、いわゆる多様な信仰の形が現在も残っている。

で、その残り方が自然の中に育まれながら、自然そのものに神・仏を感じる、日本人が持ってきた自然に対する畏怖、恩恵に対する感謝、そういったものが今もまだ奥駈修行など形や実践を通して残っているところに、私は世界遺産たるべく、日本の宝としての価値があるのではないかと思っています。

世界遺産というのは、実は、個々の国の宝を、まず先に個々の国自身が自覚をして、それを個々の国の宝としてだけではなくて、世界共有の宝として守っていこうという、そういう理念の上に成り立ったものですから、まず自分たちの宝物を自覚することが大切なのではないでしょうか。ま、そのような思いがどこかで通じて、うまく世界遺産になったのかなという気持ちでございます。

さて本題の富士山のことなのですけれども、このシンポ出演の話をいただいた時に、私はお寺の小僧さんをちょっと呼びましてね、「君は富士山っていうとどういう印象を持つか」と聞いたんです。そうすると、彼は即座に「日本の象徴です」と答えました。それで更に、「では君、富士山は日本の何を象徴してんねん?」と聞いたわけです。そうするとじっと考えた挙げ句、「わかりません」と言いました。

「日本の象徴はわかるけど、日本の何を象徴してんねん」「わからない」…と言うのですね。それで、質問を変えましてね。「日本の象徴は富士山ていうのはよくわかる。ではほかに何がある?」と聞いたんです。彼、しばらく考えましてね。「桜!」と答えました。

確かに、桜もある種日本の象徴で、先ほどの『節用集』では吉野の桜と富士山がまさに日本の象徴とされていたわけですから、そういう代表的象徴の意味があるのかなと思ったのですが、その桜って日本の何を象徴しているのでしょうか。これは、日本人の憧れの生き様である散り際の潔さ、そういうような、ある種日本の心情というか、そういったものを象徴しているのが桜でありましょう。

ではもう一度戻って、富士山が日本の何を象徴しているのか?実はこれを考える時に、欧米と日本との違いというのをまずみておかなければいけません。目の前には欧米の方がいらっしゃるので少し気をつけてしゃべらないといけません(笑)が、キリスト教が広まった後の欧米は、山には悪魔が棲んでいると考えた。

キリスト教以前の欧米世界には、いろんな信仰がありまして、山には聖なるものも存在したのですが、キリスト教が根付いた後以降は山は悪魔が棲む場所になった。トーマス・マンの『魔の山」とか、あるいは映画の「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」を見ると、森や山にいるのは悪魔なのですね。

ところが、200年ぐらい前から自然科学が発達してきて、山には悪魔がいなくて、氷と岩の塊であるということがわかってきました。そこでやっと欧米人は登山を始めるのです。ですから、西洋登山はわずか200年くらいの歴史しかないのです。ところが、日本人というのは、それこそ役行者という修験道の開祖以来1300年にわたって山を崇めるとともに、山に入って修行してきた。山の中で神や仏に近づいて来た、そういうカルチャーを持ってきました。  
 
もう少し言いますと、富士山ですが、日本人は昔から富士山の絵を描いてきたのです。欧米で山を絵に描くというカルチャーはもともとなかったのですが、日本では、国宝の那智滝図はじめ、自然そのものに神聖性を見てその自然の姿をそのまま描いてきたのです。キリスト教社会の絵というのは宗教画であって、山や自然そのものをそのような目で見るカルチャーというのはなかったようなのです。

で、そういう欧米とは違う、日本人が持ってきた文化、宗教心、自然観、そういうものの延長線上に「紀伊山地の霊場と参詣道」の持っている多様な信仰と、それから自然観っていうのがあるのですが、富士山もそういった意味では、日本で最も高い秀麗な山であるが故に最も優れた聖山なわけです。そういう日本人が自然に対して抱いてきた自然観、自然に対する畏怖、畏れ、あるいは神・仏に対する神聖なる思い、そういうものの全部の象徴が富士山に集約されているのではないでしょうか。

先ほど、北斎の津波の絵が紹介されましたが、あの絵を北斎は津波として描いたのではないのです。あの勢いのある波の躍動の中に、自分を超えた聖なるものを感ずる感性があったから、あの構図を絵にしたのです。しかしながら、今まだキリスト教社会の人達はあれを津波としか理解できない。欧米のお二人の先生には大変申し訳ない、…申し訳ないですけれども、そういう大きなカルチャーの違いがある、ってことなのです。

実はようやくグローバリズムの行き詰まり、いわば近代の破綻が見えつつあり、欧米諸国においても、そういった近代以降の欧米主義的な価値観ではない、カルチャーの違いに気付こうという流れがここ数年の間に広がっていると聞き及んでいます。いや、もうそろそろ、そういった違いに気付かなければいけない。近代以前のもの、あるいはキリスト教以前に持っていたものが、この日本の中にはまだ残されていて、そういうものの象徴としての富士山に気付くことが大変大事なことではないかと私は思っています。

美しいということと、聖なるものであることというのは、大変近しいものであると私は思います。美しいものは完成形に近いものであります。それはまた神と仏の領域でもあります。富士山は、その姿からして神・仏の領域に近い景観を持っていて、しかも1000年にわたり、私たち日本人は、あの富士山の中に浅間大菩薩や木花開耶姫を始め様々な神・仏を見てきた。そこに気付かなければ、富士山の世界遺産性ってのは、なかなか生まれないのではないかと、私はそのように思います。

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(稲葉)
ここで田中さんに伺いたいと思います。紀伊山地の時にも色々そういう作業をされてこられた中で、修験の価値を証明していくプロセス、あるいはそういうことについて、その価値をどういう形で説明されてきたのか、ということについて、少しお話しをいただければと思います。

(田中)
はい。先ほど申し上げましたように、修験道というのは明治期に国によって禁止された宗教です。それ以後復興は遂げたとはいえ、なんと、明治期に修験道禁止によって還俗(げんぞく)させられた山伏の数というのが、17万人だったというのですね。ちなみに現在日本には約22万人のお坊さんがいるのですが、明治初期の日本の人口は3300万人からせいぜい4000万人ですから、現代の人口1億2700万人の中の22万人より遙かに17万人は多いわけです。

それほど、明治以前は山伏さんがそこら中にいて、私たち庶民の生活に深い関わりがあったのです。それが忽然といなくなったわけですから、今の日本人に山伏のことを説明するのが難しいのもおわかりいただけると思います。でも、まず日本人に知ってもらわなければいけないわけであります。…で、あの、長くなっていいですか?

(稲葉)
はい、もちろん。

(田中)
仏教でね、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という思想がありますが、日本人はこれをよく見聞きしてますよね。これ、山も川も木も草も全部仏性を持っていて、成仏するんだという思想なのですが、実はもしこれをお釈迦さんが聞いたらきっと腰を抜かすほどビックリされると思うのです。

お釈迦さんは決して、木や草やまして石や岩に仏性なんか認めていないのです。これは中国を経て日本に伝わって来た仏教が、ある種、もともと日本にあった神道的なものと融合して出来できた、いわば日本独特の思想なんですね。八百万の神ですね。修験というのは、そういう思想というか、自然観の上に成り立った宗教なのです。日本独特のカルチャー、文化というのをまず自覚することが大事なのです。

先ほどの繰り返しになりますが、西洋人が北斎の版画を見て感動するのは、版画自身が富士や波の絵の中に聖なるものを感じる感性のもとに描かれているからなのです。それは、少なくともキリスト教以降の欧米にはなかったカルチャーなのです。だから、欧米人も逆に感動するのです。それは、私たちが伝え保持してきた大変大事なものなのです。この自覚は、富士山の世界遺産登録を見ていく時に非常に重要であるということを、繰り返し申し上げておきたいと思います。

で、修験という大変わかりにくいものや、修験が成り立つ吉野・大峯の価値をどう伝えるかというのは、頭の中だけで考えると難しい。しかし、私自身が実践を通して、先ほど見ていただいた山修行の中に見つけることが出来た。明治以降の日本は近代化することによってそれ以前のものを随分損なっていくのですが、明治以前のものを見ようとした時に、山修行にはたくさん残されている。神も仏も分け隔てなく、尊んでいく…、自然の中にある自分を超えたものへの畏怖を持ち、崇めていく。

そういったものは近代以降本当に急速に衰えていったのだけれども、私が奥駈修行で得た体験的なものをそのまま伝えることで、理解されるようになった…、世界の人々に届いたのではないかと思います。実際に私自身が世界遺産委員会に行って話したり、しゃべった訳わけではないのですが、日本の調査官やイコモス(国際記念物遺跡会議)の調査に立ち会う時など、担当の人たちに訴える中で、奈良県での推薦の道筋が開けてきたのではないかと思っています。

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(稲葉)
今までの取り組みと、それから、これからどういう形で取り組んでおられるのかということを少しお話しいただけますか。

(田中)
平成16年に世界遺産登録され、吉野に限ってはその年の観光客は20倍に増えました。で、それ以降の17年、18年、19年も世界遺産に登録される前よりも常に2倍増をキープしております。実は世界遺産による動員の平均値が、だいたい登録された年度が1.8倍増で、3年経つと元に戻って4年経つと減っちゃう、というらしいのですが、それを考えると、私どもの場合は取り組みも成功した例になると思います。

ところがね、先ほど言いましたように単に観光客を増やすのではなく、吉野の聖地性・歴史性を再認識させる、それから自然環境を守っていくきたいという目標があったのですが、観光客が増えて逆に環境破壊になるようなことであれば、何のための世界遺産かわけわからなくなってしまいます。これは大変ゆゆしき問題です。

私はこれまでこの世界遺産を通じてもう200回ぐらい講演会とかシンポジウムに呼んでいただいて、たくさんの方々と知り合うことができました。特にイコモスの委員である宗田(好史)先生という方にお会いした時に、イコモスが定めた国際文化観光憲章の中にカストーディアン(第一の門番)という大変重要な概念があることを教えていただいたのです。

カストーディアンとは、世界遺産の自然と文化を守っていく役目を担う人々のことを指すのですが、「田中さんはやっぱり自分で手を挙げたんですから、世界遺産登録で逆に荒らしてしまってはいけない。第一の門番としての役割をなすべきだ」というアドバイスをもらったのです。それでそういう意識を持って取り組んでおります。

カストーディアンというのは、たとえば、この富士山の場合では、浅間神社の神主さんもそうですし、地域の人々もそうですし、行政の人々もそうですよね。富士山を世界遺産にする以上は、カストーディアンに自分がなるんだということを自覚と覚悟を持って進めなければいけないのではないでしょうか。

「紀伊山地の霊場と参詣道」には三重・和歌山・奈良の三県協議会という三県の合同の会議があるのですが、私は世界遺産登録された年に、これとは別の、吉野・大峯の保全に関する官民一体の連絡協議会を立ち上げました。毎年一回金峯山寺で、奥駈道に関っている市町村と、修験の寺院、それから関連保護団体などと合同で、一年の事業計画を確認し合う保全のための連絡会議を開いています。

更に来年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録5周年に当たるのですが、この5周年を記念して高野山、熊野三山、吉野・大峯の3霊場で、保持寺社同士の、保全のための協力会議を発足させようと準備をしております。今年12月5日に第1回の準備会を開くのですが、来年には正式に発足させようと準備を進めているところです。

「紀伊山地の霊場と参詣道」っていうのは、実はその中から宗教性を抜くと世界遺産としての意味がなくなってしまう遺産です。ところが行政というのは…特に日本は世界で唯一に近い形で政教分離がガチッとした国ですから…もう宗教という言葉を聞いただけで腰が引けてしまい、その分野になかなか入ってこられないところがあります。

ですからやはり守っていくためには保持寺社同士で、そういう協力を深めていくような協議会を作らなければならないと思っているのです。常に第一の門番という使命をどこかで感じながら、皆さんと共に歩む道を探っています。日本のこれまでの世界遺産は、こう言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、カストーディアンがいない世界遺産ばっかりなのですよ。是非、富士山については初めから第一の門番を作るという意図を持ってやっていただければ、と思っております。

(稲葉)
ありがとうございます。

(ミッチェル)
とても素晴らしいお話が佳境に入ってきたと思います。色々な組織の中で、それぞれが色々な組織の中で役割を果たしていかなければならないわけですね。そしてそれぞれのやり方で貢献していくことが必要だと思います。それによって保護されていくのだと思うのです。将来のビジョンを持ってらっしゃる、連絡協議会を持つというようなことは、とても良いことだと思います。

それは、やはり富士山の場合にもそのようなういうことが起こると良いと思います。また、色々な組織も関与させてそれぞれなりの役割を果たしてもらうことが必要だと思います。それぞれの役割が果たされると、良い将来が生み出されると思いますうのですね。「全ての人たちが、門番の役割を果たしてくださいね」と田中先生がおっしゃいましたね。それはとても素晴らしいことだと思います。それぞれが自分のミッションを持ちって、自分の機会を生かし、貢献していくことが必要だと思います。

それだけではなく、例えば技術的な援助が必要な場合もあるでしょう。だから色々なツールがあるので、それぞれの組織に参画してもらって、計画管理に参加してもらうことで、全部が合わさって追加していくと素晴らしく強い能力を持つことができるようになると思いますよ。そしてそのビジョンを将来に向けて実施していくことができるようになるかだろうと思います。

田中さんに質問したいと思います。と言いますのは、このテーマというのは、非常に私も気になりますし、ここちょっと少し心配な点もあるのですね。と言いますのは、宗教性のある世界遺産であるというは吉野の方ですけれども、しかしその、例えば、巡礼の道とい言いますか、そこには宗教的な意味もあるということでした。

しかし、問題としていわゆる冒険観光というのが進出してきております。つまり、経験しようということで冒険的な気持ちで人がどんどん来る。新しい体験をしたいということで観光客が押し寄せる。そういった人たちは、特に世界遺産を目指して行きたがるのです。ちょっと少し変わったている体験をしたいからと、世界遺産を目指すような観光客になります。つまり、重要性の、神聖だからという理由かそういうことで来るわけではありません。

遺産によっては、観光客が積極果敢に介入してくる。むしろ宗教の儀式を妨げるような行動すらとる観光客が増えていまする。変わっているし面白いから体験したい。過去に見たことがないからという理由だけで、つまり、敬意を示さないでそのようなところに入ってくる。つまり世界遺産の重要性を無視するしているような観光客が来ています。そのような観光客の世界が、今広がって進出してきています。

そこで、お聞きしたいのは、吉野では何か積極的な対策をとっていらっしゃるのでしょうか。つまり、こうした観光を管理するあるいはコントロール、対策をとっていらっしゃいますか。それとも来る人はみんな皆受け入れていらっしゃるのでしょうか。

(田中)
(お話のように)行政はそういう単に観光客を呼び込むキャンペーンをたくさん仕掛けました。それで、連絡協議会をつくることにしたのです。放っておくと、どんどんアドベンチャー的巡礼者を呼んでくることになりますからね。奈良県は吉野大峯の奥駈道だけではなく、小辺路という熊野古道の世界遺産も持っているのですが、熊野古道はそうあまり危険な道ではないので、それでもいいのです。

ところが奥駈道というのは、一般の人がアドベンチャー気分で入ると、危険も多いし命に関わる危ないところがたくさんある。やはり山伏たちが長い伝統の中で培ってきた道であって、決してハイキング道でも、単なる登山道でもない。そこのところをきちっと行政には働きかけて注意してやってもらうようにしているのです。それでも、勝手に入る人については、やはりなかなか止めるわけにはいかないですね。そこは課題です。常に私たちが言い続ける以外にないのかなと思っています。

そういう意味では日本の宗教家というのは、結構消極的なのですよ。近世初めに秀吉が刀狩りを行って以来、日本の宗教者は欧米と違って権力や武力を持っていませんから、常に体制側に付いてきたので、できることはといえば体制の中で可能な限りの抵抗をするだけです。

こういったシンポジウムに出るのも、その、一つの抵抗というか、その一助となるのですけれども…。こういった渉外活動を通じて、「あの道はハイキングの道ではないから、危ないですよ」ということは言い続け、行政が安易な観光客誘致をやりたがるのを止めることぐらいしかない。

先ほど申し上げましたように、来年はその枠を広げて紀伊山地全体の保持者同士で協力会を作り、互いの意識を高めていこうと考えています。あくまでもそういう程度の取り組みなのでちょっと頼りないかもしれないですが、日本の伝統宗教はいずれもそんなものなのですから。

(稲葉)
いやいや。でも修行者にはやはり日本語を喋る人でないと、ということがを求められていますよね。

(田中)
はい。外国人の方も最近は修行においでになりますが、参加して貰うには条件があります。それは日本語ができる人以外は修行には連れて行かないということ。なぜなら、私たちがフランスに行ってフランスの文化を学ぶ時や、アメリカに行ってアメリカの文化を学ぶ時は、フランス語なり英語なりができないと学べないわけであります。同じように外国の方が日本に来て、修験道という日本人にさえわかりにくいような日本の文化を学ぶのであれば、まず日本語を勉強しなさい、と思うのです。

またね、日本語を学んでいないと大変危ないのですよ。修行ではまだ外が暗いうちから歩くのですが、道中、暗闇の中で「段差注意」とか「根っこ注意」とか、注意が飛ぶんです。前にいる人たちは見えますけど、行列の中の人間は見過ごしてしまうので伝令を伝えていかないと、事故に繋がる。

ところでね、一昨年の奥駈修行にドイツ人が来ましてね、途中で伝令が何度もとぎれるのですよ。「何してんねやー」と先達が怒るのです。「いやぁ、ドイツ人が日本語がわからへんから、そこでとぎれて後ろに伝令が行かない」となったわけです。これは大変に危ない。このように実際に危ないこともあるので、私たちは参加者はすべからく日本語ができることを前提にしていて、そういう人しか連れて行かないというルールを定めています。

(ミッチェル)
え、では、もし、私が理解した限りではするといたしますと、これは良い例をお話しになったと思います。つまり、何かどこかの組織がいろんな色々なことを促進している。しかしその一方ではそれをコントロールする必要が出てくるし、しなければいけない。その場合、何か方法を見つけるといいかもしれません。例えば協議会のようなものをつくる。そこでこのような目標を一つにすることで整合性を持たせ、、調整を図ったらどうでしょうか。

つまり、ほかのグループが促進したようなことを少しだけコントロールして解決するためにほかの人が関わると。そうするとこのような協力関係をつくることができると思います。どのような環境なら意味があって、招いてもいいのかと、特性にあった形の良き観光といったものをがそこで調整して決めることができるのではないでしょうか。そのためには、誰に意志決定権があるのか等、というようなことで関係者の意見の整合性を図ることが大事じゃないかと思います。

そうすればお互いにもっと整合性をもってバランスの取れた形で政策を進めることができます。つまり、どのようなういった人たちに来てほしくて、そのためにはどのようなメッセージをそのために発信できるかということも意見をまとめられると思います。

(田中)
私どもの取り組みもある程度の成果は上がったと思います。奈良県に対しても、単にアドベンチャー的な観光客を呼ぶことに協力せず、まず行政の担当者を山の修行に連れて行ったりして、こちらの思いを理解させる方法をとりました。そういうことで少しは奈良県も変わりました。それをやっていなければ、多分、アドベンチャー的な人たちばかりが呼び込まれて、随分ひどいことになっていたと思います。

(稲葉)
ありがとうございました。観光というものはの参加のプロセスやがあり、交流のプロセスもありですので、観光は一方的なものではないはずですのもの。特に文化遺産、あるいはや自然遺産、あるいは世界遺産の観光については、そうしたことを考えて、何のための観光かということと何を伝えたいのかということを考えるとで、観光の質とレベルが生まれてくる。

このことについて、お互いのステークホルダーや、関係者、もう少しちょっと堅く言うと利害関係者なんですけれども、利害と言うと堅いのであまり使いたくありませんがないんですけれども、利害関係者が協議をしていったうえでコンセンサスを得ていくということが大事なのんだと思いますね。

それからもう一つ。カストーディアンという言葉が出てきましたけれども。カストーディアンとは、地元で守っている人たちということですが、それを田中さんは「第一の門番」という言葉で表現されていました。あの、カストーディアンは日本語に置き換える時に困るのですけれども、確かに「第一」ですね。

というのは、例えば世界遺産をで守る際になんでも行政がずっと上まであるわけですよね。それから、行政のその先には例えばユネスコがいて、あの、ユネスコが必ずしも別に世界遺産を守るわけではありませんがけれども、色んな意味でユネスコをサポートするものとして、地元の外に行政があるわけです。

けれども、一番大事なのは地元が何をどう考えるかということです。それが第一の門番、カストーディアンということですね。田中さんからあるいは田中さんがしておられる活動の実践を通して、それが一番大事なことだということを私たちは本日充分学んだでいるんだろうと思います。どうもありがとうございました。

あの、そろそろ終わりにしなければいけません。実は30分早く始まったので、4時30分ぐらいに終了するぐらいつもりでいましたが、現時点でそれでも15分オーバーしております。あの、富士山の象徴性ということでお話しをして参りましたけれども、象徴性ということが少しわかってきたのではないでしょうか。「いや、それでも富士山は日本のシンボルだけれど何がシンボルなのかよくわからない」という感想でしょうか。どうなのか。いくつかのキーワードが出てきたと思います。

世界遺産にしていくためには、それをさらにもう少し詳しくその価値をわかりやすく世界に示していくということと、それからもう一つご理解いただきたいのは、それと同時に、それを保存管理していく体制が整っているということが大事ということなんだと思います。その2つについて、今日は勉強をさせていただきました。どうもありがとうございました。

(田中)
いいですか。

(稲葉)
はい、どうぞ。

(田中)
あの、さきほど申し上げましたように、私は江戸時代からの約束の天命を持って来ましたから(笑)、ここで、最後に提言をと言われておりましたので、これが天命と思うことがあり、お話しさせていただきます。提言というより、お願いというか、提案のようなものですが…。

カメロンさんも講演の時におっしゃいましたけれども、世界遺産というのは登録がゴールではないのですね。私は「紀伊山地の霊場と参詣道」で最初に手を挙げた時から、世界遺産は登録されたのがゴールではなく、スタートだという位置づけで当初から活動をしてまいりました。登録に向けて手を挙げた時に、すぐさまNHKを口説いて、世界遺産登録の展覧会「祈りの道展」という企画を始め、登録されたと同時にその展覧会を開催しました。これは33万人を動員しました。

それから、登録年には日本中の山伏を集めて、22回にわたり、様々な流儀の大護摩供という修験独特の行事を開催しました。その大護摩では世界平和の祈りを行いました。また日本ユネスコ協会連盟を通じて、世界の人たちにも平和の祈りに参加協力を仰ぎました。併せて、地元吉野町に働きかけて、吉野にユネスコ協会をつくるようにお願いし、世界遺産登録と同時期に吉野にユネスコ協会を設立させました。世界遺産はもともとユネスコで始まったものですから、地元にユネスコ協会は是非必要だと思って、活動をしたのです。

そういった地道な活動があったから、その年には観光客が20倍になったのですが、ただ、ゴールではなくスタートだというのは、単なる観光開発のスタートではないのです。何度も申し上げたように、保全・保護のためのスタートであり、そこが肝心です。富士山の場合は、日本のシンボルとして、山を畏怖する…日本人が持ってきた山を畏怖する信仰心、あるいは自然観、これをもう一度取り戻すという地域の活動が大変大事になるだろうと思います。

私は今日、女性の先生方とともにこの会に出席できたのが大変ラッキーだったと思っています。女性はスピリチュアル性が高い、霊性が高い存在でありまして、男よりもはるかにスピリチュアルなものを持っておられます。巫女さんってのは女の人ですからね。で、こういった霊性の高い人たちにまず富士山の力を理解して、語って欲しいのです。男にはわかりにくいのです。女の人の方がわかるはずです。ですから、是非、地元の人々に富士山の良さを、女性の力でわからしめてくださるようにお願いしたい。

聞き及んだところでは、今年の富士登山者は過去で一番多く、45万人だったそうです。はっきり言いますと、本当は土足で聖地を踏みにじるような人には来てもらわなくてもいいのであります。聖地性を取り戻すことの方が大事なのです。色々なことを言いましたが、実は吉野でも道半ばの状態でありまして、実のところ、なかなか地域の意識は上がっていません。ぜひ是非、この富士山では、地域の意識を上げていただきたい。

私は先にたとえ登録されなくてもいいと思いながら、世界遺産登録への手を挙げましたと言いましたが、富士山は世界遺産登録に名乗りを挙げてから、ゴミが取り除かれ、掃除が行き届くようになって、見違えるように山がきれいになったそうです。これは素晴らしいことだと思います。こういう活動を是非続けていただきたい。

吉野は今、桜の危機が言われております。これは、実は、地域の劣化が原因なのです。吉野の桜は、蔵王権現という我々の御本尊の御神木として、1000年にわたって地域の人々が守ってきたのですが、その蔵王権現に対する信仰が明治の神仏分離・修験道禁止以来薄れて、結果、桜の手入れが行き届かなくなり桜の危機を迎えることになりました。これは信仰を守ってきた地域の劣化だと私は思っています。

同じように、富士山の神聖性についても、実は、地元の人によって壊されている部分がたくさんあると思います。これは十分気をつけていただきたい。世界遺産になったこともあって、吉野の桜は、読売新聞とNHKが注目をし、読売新聞や金峯山寺及び地元が中心となって「吉野桜を守る会」という会ができました。これも、世界遺産の一つの力の現れだろうと思います。そういう力をつくる世界遺産登録を目指していただきたい。

最後に、観光の問題があります。観光について、この中にも観光業者の方がおられるでしょうからよく聞いていただきたいのですが、観光というのは、本当は長い目で見ることが一番大事なのです。観光は、それまでその土地で培われたものを壊したのでは意味がないのです。長い年月にわたって、人々に守られているから、観光の価値が継続するわけで、一時のことで食いつぶしていったら、その価値は、あっという間になくなってしまいます。本当の意味で観光開発をするのなら、保護・保全のスタンスを持ってその地を見ていかないと、本当の観光にならないということを肝に銘じていただきたいと思います。

是非、静岡県と山梨県の方にはがんばっていただきたい。先ほど申し上げましたように、富士山というのは、日本人が持ってきた自然観・宗教観の象徴であります。で、今の日本はそれを、日本人全体の問題として損ないつつあります。

富士山の登録を通じて、日本人が大事にしてきたそういう自然への畏怖心、人間中心で生きるのではなく、神仏がいて、先祖があって、自然があって、そういう周りのものを大切にする。そういった明治以前の人たちが普通に持っていた感性を、取り戻すきっかけになるような、そんな世界遺産活動にどうぞしていただきたいとお願い申し上げたい。このことを申し上げて、私の天命としての提言を終わりたいと思います。ありがとうございました。
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