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田中利典師の『吉野薫風抄』白馬社刊(3)/人はいつ死ぬか分からないから、今を大切にして生きる

2022年06月03日 | 田中利典師曰く
田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ。第3回の今回は「死について」。師のFacebook(4/24付)から転載する。
※トップ写真は、吉野山上千本付近の民家の庭に咲いていたカルミア(=西洋シャクナゲ、2022.5.20撮影)

シリーズ吉野薫風抄(3)/「死」について
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版されました。また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されました。

「祈りのシリーズ」の第3弾は、本書の中から不定期にですが、いくつかの内容を紹介しています。なにせ大方が若書きの文章ですので、いささか稚拙ではずかしいものばかりですが、よろしければご覧下さい。 

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「死について」
死は怖い。誰でも死にたくはない。釈尊のお説きなった教えの出発点には、そもそも人の死に対する苦悩があったといわれる。原始経典『スッタニパータ』にいう。「凡そ生まれた者が死なないような手段は全くない。老いに達しては死ぬ。生ある者はこのような本性を持っている。 熟した果実は早く落ちる恐れがあるように、生まれた者は死なねばならず、常に死の恐れがある」

釈尊はこの世の根源的な苦しみを四苦で説かれた。生・老・病・死である。しかし老いるのも病むのも、それが直接的に死に繋がるからこそ苦なのであろう。死こそ人生の最大の苦悩である。この世で他人の死に出会ったことのない人はいない。

私も過日たいへんお世話になった知人を喪(なく)したが、こんな身近な人の死は、魂を揺り動かされるが如く悲しい思いをする。他人の死は悲しい。親しければ親しいほどなお悲しい。けれども、だ。他人の死はどんなに辛く悲しくても、怖くはない。怖いのは自分の死である。

日本人の平均寿命がまた伸びたそうだ。女が79.1歳。男が73.7歳。男の寿命は世界一という(昭和57年調べ)。平和な証拠であり、なによりなことである。しかしこの平均寿命はなんら自分自身の死には関係ない。突然訪れるかもしれない死がなくなったり、延期されたりしたという保証などでは決してない。

平均寿命に関する発表があった数日後、九州の長崎では突然襲った集中豪雨に、百八十人にも及ぶ人々が犠牲となった。我々はまさに、いつ、何で死を迎えるかわからないのである。

死を徒(いたずら)に怖れるのではない。死は確かに恐怖であるが、恐れ戦(おのの)いてみたところで何程の役にもたたない。ただ、いつかは死ぬのである。いつか死ぬ、だからこそ我々は今を大切に生きなければならない。これを忘れてはならない。そして死んだ先のことはご本尊におまかせすればよいのである。それ以上は所詮(しょせん)、人智の及ばざることなのである。

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さすがに、いまから30年前に上梓した内容なので、使われているデータが古い(笑)。令和2年現在の平均年齢は女性が87.74歳、男性が81.64歳。ずいぶんと伸びたものである。まあ、でも、書いている内容はいまにも通じるところがあるのではないだろうか…。というか、あの頃と違って、おのれの「死」というものが、他人事ではない年代に私自身がなってきた(笑)

なお、Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
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