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地蔵仏の信仰と、後南朝の悲しい歴史が残る金剛寺(川上村)/毎日新聞「やまと百寺参り」第39回

2020年02月12日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の発刊を記念して、毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。1月23日付で掲載されたのは「地蔵仏と後南朝の悲史/金剛寺(川上村)」で、私が書いた。金剛寺では毎年2月5日に「朝拝式」を営んでいて、今年も行われた。奈良新聞(2月6日付)には、

自天親王の遺品公開 80年ぶり由来記新調 川上・金剛寺で「朝拝式」
後南朝の歴史を語り継ぐ、川上村の「朝拝式」が5日、同村神之谷の金剛寺で行われ、自天親王の遺品と伝わるかぶと(=重要文化財、南北朝時代)などが一般公開された。

自天親王は後亀山天皇の孫で南朝最後の皇統。父、弟とともに同村三之公に逃れ住んだ。父が亡くなった後、上北山村で襲撃されて落命。川上村の郷士は、京都に戻る途中の敵から自天親王の首を取り戻し、金剛寺に手厚く葬ったという。

朝拝式は翌年の長禄2(1458)年から自天親王らをしのんで始まり、今年で563回目。経緯や郷士の忠義心をつづった由来記は今年、80年ぶりに新調され、儀式の最後に約15分かけて読み上げられた。保存会総代長の下西昭昌さん(76)は「563回目も無事に終わりほっとした。少子高齢の時代だが後を続けていってもらいたい」と願った。

村立川上小学校の6年生4人も見学。梶本真絢さん(11)と貝谷遥菜さん(12)は「勉強した歴史が自分たちの村にある」と感激。梶本美彬君(11)と中居穂希さん(12)は「500年以上も続いていてすごいこと。私たちも伝統を受け継いでいく」と話した。


このように金剛寺は後南朝の悲話で知られるが、もう1つ、ご本尊の地蔵菩薩にまつわるエピソードもある。今回の記事では、この両方を紹介した。では全文を紹介する。

役行者が開いたとされ、旧称は那迦寺(なかでら)とも大峯山上奥之院とも。大峯山から飛来したという伝承のある本尊は「抛(な)げ地蔵」「川上地蔵」として信仰され、和泉流狂言『川上』にも登場します。

盲目の男が地蔵仏にお参りし、目が見えるようにと願います。お堂にこもった男はその夜に夢を見て、目が開きました。念願かなった男は大喜びで家に向かい、迎えにきた妻と会います。しかし目が開く条件は、妻とは悪縁なのですぐに別れよということでした。妻は地蔵仏をののしり、絶対に別れないと言います。ついに男も承知し、連れだって家に向かいますが、道の途中で男の目は再び見えなくなりました。

この寺は、後南朝の悲史を伝えます。山里に隠れ住んでいた南朝の末裔(まつえい)自天王らは、北朝方に襲われ殺害されます。しかし自天王を崇拝する村人たちは跡を追って首と神璽(しんじ)を奪還し、この寺に手厚く葬りました。

自天王即位の日である2月5日には毎年、遺品の前で「朝拝式(ちょうはいしき)」(村指定無形民俗文化財)が営まれます。(奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)

■宗派 高野山真言宗
■住所 吉野郡川上村神之谷(こうのたに)212
■電話 0746・52・0144(川上村教育委員会)
■交通 近鉄大和上市駅からバス「北和田口」下車、徒歩約30分
■拝観 境内自由
■駐車場 無


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