10連休初日の昨日(4/27)「第123回けいはんな市民雑学大学」(イオンモール高の原4階「こすもすホール」)で、「現代に生きる『古事記』」という講話をさせていただいた(14:00~15:45)。雑学大学で講師としてお招きいただいたのは、2009年7月の「奈良にうまいものあり!」(第15回)以来、実に10年ぶりである。
先着60人限定だったが13時過ぎからどんどん行列ができ、定員の60人を軽くオーバーし、約20人の方には入場していただけなかった(消防法の関係)。これはとても申し訳ないので急遽、当ブログで昨日の話の内容を紹介させていただくことにした。熟読いただければ、ほぼ全貌を分かっていただけると思う。100分以上の話だったのでやや長いが、ぜひ最後までお読みいただきたい。
この写真は、奈良まほろば館(東京・日本橋三越前)での「古事記講座」の様子(4/8)
現代に生きる『古事記』
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」専務理事 鉄田憲男
『古事記』は歴史的文学書であり、日本で現存最古の書物。現代では、古過ぎて関係ないと思うかも知れないが、決してそうではない。『古事記』を読めば、日本人の心情がよく分る。
『古事記』と『日本書紀』の違い
『古事記』の3巻に対して『日本書紀』は全30巻と系図が1巻ある。『古事記』は物語風の歴史書であり、『日本書紀』は中国風の正史。収録時期は、『古事記』は推古天皇までだが、『日本書紀』は持統天皇までの記録が残っている。
一番の違いは表記。どちらも漢字だが、『古事記』は変体漢文(いわば万葉仮名)なので日本人しか読めない。しかし『日本書紀』は正式な漢文体なので、中国人も読める。つまり『日本書紀』は海外向けに日本のことを伝えるための本で、『古事記』は日本の中で日本の物語を残す目的で作られた本である、という大きな違いがある。
『古事記』とは
稗田阿礼が誦習(しょうしゅう)、つまり節をつけて詠み上げたものを太安万侶が文章にしたのが『古事記』。原文は万葉仮名と同じ「変体漢文」。例えば「漂へる国」は「多陀用幣流之國」と表記してある。そして上巻(神代=神さまの世界)、中・下巻(人代=天皇ごとの出来事を記したもの)の3巻ある。いわゆる古事記神話の大部分は上巻に載っており、舞台は高天原(天上の国)や出雲。中巻には初代・神武天皇から応神天皇までの時代の内容で、大和が多く登場する。われわれ県民にとってはこの中巻が興味深い。下巻は仁徳天皇から推古天皇までで、比較的淡々と記述されている。
古事記ワールドのカテゴリ
『古事記』を語る場合、忘れてはいけないのが本居宣長の功績。彼は『古事記』の研究に一生を捧げた。難解な変体漢文などを解読した。今、われわれが普通に『古事記』が読めるのは、この人のおかげだ。西郷信綱著『古事記の世界』(岩波新書)には古事記ワールドの「カテゴリ」が端的に示されている。
『古事記』の世界は大きく分けて3つあり、1つめは「甲類」で、天(=聖地)。代表的な神はアマテラス(天照大神)など高天原の神である天津神(あまつかみ)で、土地でいうと日向や大和、伊勢。2つめが「乙類」で、この地上(葦原中国)、地の神である国津神(くにつかみ)。代表的な神はオホクニヌシ(大国主命)。土地でいうと出雲、熊野。3つめが「乙'類」であの世である「黄泉の国」「根の国」。これらの3つのカテゴリを頭に入れて読めば『古事記』がよく分かる。天津神(天神)が地上に降臨し、地の神(国津神=地祇)を征服する話だ。よく「天神地祇」というが、これは天津神と国津神の総称。
『古事記』の著名なストーリー
古事記には著名なストーリーが12本ある。①天地初発とイザナキ・イザナミの国生み②イザナキの黄泉の国訪問③アマテラスの天の岩屋戸ごもり④ヤマタノオロチ退治(スサノオ)⑤オホクニヌシの国づくり⑥国譲り(オホクニヌシ)⑦天孫降臨(ニニギ)⑧神武東征(イハレビコ)⑨三輪山の神(オホタタネコ)⑩ヤマトタケルの西征と東伐⑪狭穂彦王(サホヒコノミコ)の叛乱⑫衣通姫(ソトオリヒメ)伝説。
イザナキの黄泉の国訪問
代表的なのが『イザナキの黄泉の国訪問』。イザナミは最後に火の神様(カグツチ)を生む。燃えて出てきたのでイザナミは火傷をして死んでしまう。死んだイザナミを取り戻そうと夫のイザナキが黄泉の国に行く。しかし黄泉の国に行ったイザナミはすでに体から蛆(うじ)が湧くような無残な姿に変わり果てていた。びっくりしたイザナキは地上の世界に逃げ帰り、黄泉の国と地上(葦原中国)を繋ぐ場所を大きな岩で蓋をした。この場所が現在も松江市東出雲町に「黄泉比良坂(よもつひらさか)」として今も残っている。
神武東征(東遷)
そして『神武東征』。神々の系譜は、イザナキとイザナミの子がアマテラス(天照大神)。その孫がニニギノミコト。アマテラスの孫だから「天孫」と覚えてほしい。アマテラスから5代目の直系の子孫がイハレビコ(のちの神武天皇)。イハレビコノミコトは兄のイツセノミコトと一緒に高千穂の宮で相談した。「この地は日本の国土からすれば西の外れだ。国の中心にある大和という素晴らしい場所に行き、この国を治めよう」とした話が『神武東征』。
ヤタガラスの案内により吉野川の河尻(今の五條市)を経て宇陀の穿(うかち)という地に着く。ここには兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)という兄弟がいた。兄弟の意見が異なり、兄は神武を殺そうと考え、弟は神武に服従する考えだった。兄は大きな宮殿を建てそこに罠を仕掛けたが、弟の密告でそれが露見し、兄は自らその罠にかかり命を落とした。以来、この地を「血原(ちはら)」と呼び、現在もその地名が残る。宇陀では地元を守ろうと戦った兄がヒーローで、弟が悪者になっている。古事記とは真逆なのが興味深い。
ヤマトタケルの西征と東伐
そして『ヤマトタケルの西征と東伐』。景行天皇の皇子・ヤマトタケルは乱暴者だった。あまりにも乱暴なので天皇は息子に殺されるのでは、と恐れ西征を命じる。そして九州のクマソタケル、出雲のイズモタケルを征伐。平定後、大和に戻るが天皇はすぐに東伐を命じた。
関東平定後に大和に帰る途中、刀を置いたまま伊吹山の神の平定に向かうが負けてしまう。そして能煩野(のぼの・亀山市)で力尽きて亡くなった。亡くなる直前に詠んだ歌が『古事記』に出てくる「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし』。めでたい歌(賛歌)ではなく、辞世の歌。ヤマトタケルは悲劇のヒーローであり、『古事記』で最も人気がある。
現代に生きる『古事記』
古事記を読めば、いろんなことが分かる、特に語源。「案山子(かかし)」は実は神さま。クエビコという知恵の神でその正体が案山子だ。案山子は同じ場所にずっと居るので、その場所の歴史や地理など全てを知り尽くした知恵の神。もちろん農業の神であり田畑の神でもある。また「禊(みそぎ)」、「橘(たちばな)」、「へそくり」などの語源も古事記に出てくる。
奈良市に「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」がある。『古事記』に、ウワナリ、コナミという名前が登場する。昔は一夫多妻制で若い奥さんを「ウワナリ」、古女房を「コナミ」と呼んだ。いくさで勝った時の戯(ざ)れ歌である久米歌(くめうた)に「コナミには肉の少ないところ、ウワナリには多いところを削いでやれ」とある。「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」の被葬者は不明だが、新妻と古妻にたとえたのが名前の由来だと分かる。
日本で最も古い和歌は、スサノオの「八雲立つ 出雲八重垣(やえがき)妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」。スサノオはヤマタノオロチを退治して助けた女性を結婚相手として迎えた。これはそのときの歌。
現代人は「『古事記』は古過ぎて、今の自分とは関係ない」とつい思ってしまうが、決してそうではない。『古事記』を読めば日本人の心が分る。もちろん神さまのこともよく分かる。学校でも教えるべきだ。ぜひこの機会にお読みいただき、県内にある『古事記』ゆかりの地も訪ねていただきたい。
ざっとこのような話をさせていただいた。『古事記』をもっと勉強したい方には、学研パブリッシングの『古事記 完全講義』(竹田恒泰著)をお薦めする。ご参加いただいた皆さん、お世話いただいた雑学大学事務局の皆さん、ありがとうございました!
先着60人限定だったが13時過ぎからどんどん行列ができ、定員の60人を軽くオーバーし、約20人の方には入場していただけなかった(消防法の関係)。これはとても申し訳ないので急遽、当ブログで昨日の話の内容を紹介させていただくことにした。熟読いただければ、ほぼ全貌を分かっていただけると思う。100分以上の話だったのでやや長いが、ぜひ最後までお読みいただきたい。
この写真は、奈良まほろば館(東京・日本橋三越前)での「古事記講座」の様子(4/8)
現代に生きる『古事記』
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」専務理事 鉄田憲男
『古事記』は歴史的文学書であり、日本で現存最古の書物。現代では、古過ぎて関係ないと思うかも知れないが、決してそうではない。『古事記』を読めば、日本人の心情がよく分る。
『古事記』と『日本書紀』の違い
『古事記』の3巻に対して『日本書紀』は全30巻と系図が1巻ある。『古事記』は物語風の歴史書であり、『日本書紀』は中国風の正史。収録時期は、『古事記』は推古天皇までだが、『日本書紀』は持統天皇までの記録が残っている。
一番の違いは表記。どちらも漢字だが、『古事記』は変体漢文(いわば万葉仮名)なので日本人しか読めない。しかし『日本書紀』は正式な漢文体なので、中国人も読める。つまり『日本書紀』は海外向けに日本のことを伝えるための本で、『古事記』は日本の中で日本の物語を残す目的で作られた本である、という大きな違いがある。
『古事記』とは
稗田阿礼が誦習(しょうしゅう)、つまり節をつけて詠み上げたものを太安万侶が文章にしたのが『古事記』。原文は万葉仮名と同じ「変体漢文」。例えば「漂へる国」は「多陀用幣流之國」と表記してある。そして上巻(神代=神さまの世界)、中・下巻(人代=天皇ごとの出来事を記したもの)の3巻ある。いわゆる古事記神話の大部分は上巻に載っており、舞台は高天原(天上の国)や出雲。中巻には初代・神武天皇から応神天皇までの時代の内容で、大和が多く登場する。われわれ県民にとってはこの中巻が興味深い。下巻は仁徳天皇から推古天皇までで、比較的淡々と記述されている。
古事記ワールドのカテゴリ
『古事記』を語る場合、忘れてはいけないのが本居宣長の功績。彼は『古事記』の研究に一生を捧げた。難解な変体漢文などを解読した。今、われわれが普通に『古事記』が読めるのは、この人のおかげだ。西郷信綱著『古事記の世界』(岩波新書)には古事記ワールドの「カテゴリ」が端的に示されている。
『古事記』の世界は大きく分けて3つあり、1つめは「甲類」で、天(=聖地)。代表的な神はアマテラス(天照大神)など高天原の神である天津神(あまつかみ)で、土地でいうと日向や大和、伊勢。2つめが「乙類」で、この地上(葦原中国)、地の神である国津神(くにつかみ)。代表的な神はオホクニヌシ(大国主命)。土地でいうと出雲、熊野。3つめが「乙'類」であの世である「黄泉の国」「根の国」。これらの3つのカテゴリを頭に入れて読めば『古事記』がよく分かる。天津神(天神)が地上に降臨し、地の神(国津神=地祇)を征服する話だ。よく「天神地祇」というが、これは天津神と国津神の総称。
『古事記』の著名なストーリー
古事記には著名なストーリーが12本ある。①天地初発とイザナキ・イザナミの国生み②イザナキの黄泉の国訪問③アマテラスの天の岩屋戸ごもり④ヤマタノオロチ退治(スサノオ)⑤オホクニヌシの国づくり⑥国譲り(オホクニヌシ)⑦天孫降臨(ニニギ)⑧神武東征(イハレビコ)⑨三輪山の神(オホタタネコ)⑩ヤマトタケルの西征と東伐⑪狭穂彦王(サホヒコノミコ)の叛乱⑫衣通姫(ソトオリヒメ)伝説。
イザナキの黄泉の国訪問
代表的なのが『イザナキの黄泉の国訪問』。イザナミは最後に火の神様(カグツチ)を生む。燃えて出てきたのでイザナミは火傷をして死んでしまう。死んだイザナミを取り戻そうと夫のイザナキが黄泉の国に行く。しかし黄泉の国に行ったイザナミはすでに体から蛆(うじ)が湧くような無残な姿に変わり果てていた。びっくりしたイザナキは地上の世界に逃げ帰り、黄泉の国と地上(葦原中国)を繋ぐ場所を大きな岩で蓋をした。この場所が現在も松江市東出雲町に「黄泉比良坂(よもつひらさか)」として今も残っている。
神武東征(東遷)
そして『神武東征』。神々の系譜は、イザナキとイザナミの子がアマテラス(天照大神)。その孫がニニギノミコト。アマテラスの孫だから「天孫」と覚えてほしい。アマテラスから5代目の直系の子孫がイハレビコ(のちの神武天皇)。イハレビコノミコトは兄のイツセノミコトと一緒に高千穂の宮で相談した。「この地は日本の国土からすれば西の外れだ。国の中心にある大和という素晴らしい場所に行き、この国を治めよう」とした話が『神武東征』。
ヤタガラスの案内により吉野川の河尻(今の五條市)を経て宇陀の穿(うかち)という地に着く。ここには兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)という兄弟がいた。兄弟の意見が異なり、兄は神武を殺そうと考え、弟は神武に服従する考えだった。兄は大きな宮殿を建てそこに罠を仕掛けたが、弟の密告でそれが露見し、兄は自らその罠にかかり命を落とした。以来、この地を「血原(ちはら)」と呼び、現在もその地名が残る。宇陀では地元を守ろうと戦った兄がヒーローで、弟が悪者になっている。古事記とは真逆なのが興味深い。
ヤマトタケルの西征と東伐
そして『ヤマトタケルの西征と東伐』。景行天皇の皇子・ヤマトタケルは乱暴者だった。あまりにも乱暴なので天皇は息子に殺されるのでは、と恐れ西征を命じる。そして九州のクマソタケル、出雲のイズモタケルを征伐。平定後、大和に戻るが天皇はすぐに東伐を命じた。
関東平定後に大和に帰る途中、刀を置いたまま伊吹山の神の平定に向かうが負けてしまう。そして能煩野(のぼの・亀山市)で力尽きて亡くなった。亡くなる直前に詠んだ歌が『古事記』に出てくる「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし』。めでたい歌(賛歌)ではなく、辞世の歌。ヤマトタケルは悲劇のヒーローであり、『古事記』で最も人気がある。
現代に生きる『古事記』
古事記を読めば、いろんなことが分かる、特に語源。「案山子(かかし)」は実は神さま。クエビコという知恵の神でその正体が案山子だ。案山子は同じ場所にずっと居るので、その場所の歴史や地理など全てを知り尽くした知恵の神。もちろん農業の神であり田畑の神でもある。また「禊(みそぎ)」、「橘(たちばな)」、「へそくり」などの語源も古事記に出てくる。
奈良市に「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」がある。『古事記』に、ウワナリ、コナミという名前が登場する。昔は一夫多妻制で若い奥さんを「ウワナリ」、古女房を「コナミ」と呼んだ。いくさで勝った時の戯(ざ)れ歌である久米歌(くめうた)に「コナミには肉の少ないところ、ウワナリには多いところを削いでやれ」とある。「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」の被葬者は不明だが、新妻と古妻にたとえたのが名前の由来だと分かる。
日本で最も古い和歌は、スサノオの「八雲立つ 出雲八重垣(やえがき)妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」。スサノオはヤマタノオロチを退治して助けた女性を結婚相手として迎えた。これはそのときの歌。
現代人は「『古事記』は古過ぎて、今の自分とは関係ない」とつい思ってしまうが、決してそうではない。『古事記』を読めば日本人の心が分る。もちろん神さまのこともよく分かる。学校でも教えるべきだ。ぜひこの機会にお読みいただき、県内にある『古事記』ゆかりの地も訪ねていただきたい。
ざっとこのような話をさせていただいた。『古事記』をもっと勉強したい方には、学研パブリッシングの『古事記 完全講義』(竹田恒泰著)をお薦めする。ご参加いただいた皆さん、お世話いただいた雑学大学事務局の皆さん、ありがとうございました!