tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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室生ダムに沈む「濡れ地蔵」/ 宇陀市榛原の磨崖仏

2018年07月02日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。先週(6/28付)掲載されたのは《ダムに沈む「濡れ地蔵」 宇陀市の磨崖仏》、執筆されたのは宇陀市にお住まいの楠田英雄さん。室生ダムの水位が上がると水没する不思議なお地蔵さんがあることは、私も以前から聞いていた。宇陀市役所が立てた看板には、
※トップ写真は、全身が見えている濡れ地蔵

「濡れ地蔵」
古くは背後の山から水を引いて、この地蔵菩薩に注いでいたというので、俗に濡れ地蔵と呼ばれている。この像は、左手に宝球、右手に鎖杖を持った半身彫の立像で、舟型に掘りくぼめているのが光背の部分である。背部の右側に「建長六年甲寅八月十五日建」と二行に陰刻されているので、鎌倉時代の造立であることが知られている。像の左右には各一体十王の立像と地蔵分身の肖像が陰彫されている。



水が引いたときの濡れ地蔵(遙拝所から望む)。写真はこちらのサイトから拝借

ダムができる前から、山の清水で濡れていたのだ。「建長六年甲寅八月十五日」は、鎌倉時代の1254年9月28日。「鎖杖」は「錫杖(さくじょう)」の誤りだろう。「各一体十王の立像と地蔵分身の肖像」の部分がよく分からなかった。「十王」とは冥府(死後の世界)で亡者を裁く「10人の王」のことだから。しかしあるサイトに、向かって左に閻魔王(えんまおう)、右に泰山王(たいせんのう)とあったので納得した。では、以下に楠田さんの記事全文を紹介する。


半身だけ姿を現した濡れ地蔵

ダムに沈む「濡れ地蔵」 宇陀市の磨崖仏
宇陀市榛原山辺三に「濡(ぬ)れ地蔵」と呼ばれる磨崖仏(石仏)があります。場所は、室生ダム入口の「榛原ふれあい広場」の近くです。夏から秋にかけて、川岸でお地蔵様を拝むことができますが、ダムの水位が上がる11月~翌6月は、お地蔵様がダムに水没してしまいます。

「濡れ地蔵」という呼び名は、背後の山から水が湧き出て常に濡れていたことが由来とされ、ダムが完成する1974(昭和49)年以前からだそうです。梅雨と台風に備えてダムの水位を下げる5月後半からお地蔵様は徐々に姿を現し、半身だけ水に浸かった姿はどこか幻想的で神々しさすら感じます。

石には刻銘「建長六年甲寅、八月十五日建」とあり、歴史のあることが分かります。ダム建設時、移転することも検討されたそうですが、石がもろくて断念したそうです。毎年9月末には地蔵会式が行われ、今も地元の人に大切にされています。

■メモ 近鉄榛原駅から室生方面へ約4㌔。無料駐車場あり(奈良まほろばソムリエの会 楠田英雄)。

これは不思議なお地蔵さまだ。9月末の地蔵会式には、いちどお参りしたいものだ。楠田さん、ご紹介ありがとうございました!

コメント (2)
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