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てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

画家になりたかった男 ― ミュシャの商業芸術 ― (1)

2008年12月28日 | 美術随想

ミュシャ『ジスモンダ』のポスター

 今年最後の美術館めぐりとして、大阪南部の堺市をチョイスした。おそらく美術のメッカとは認識されていないと思うので、やや意外に思う人もあるかもしれないが、詳しい向きにはよく知られている施設がある。アルフォンス・ミュシャ館がそれだ。あの、アール・ヌーヴォーの代名詞ともいうべきポスター作家のミュージアムである。

 堺市は、世界でも指折りのミュシャのコレクションを有しているそうだ。何でも、某カメラ店の創業者のコレクションが遺族によって寄贈されたのだという。ただしミュシャの美術館を建設するというのが条件だったが、まだようやく候補地を物色しはじめた段階で具体化のめどは立っておらず、それまでの間はスーパーと賃貸マンションに上下を挟まれたフロアに仮住まいという、ちょっと気の毒な状態である。いわば大阪市が所蔵している佐伯祐三のコレクションと同じように、珠玉のお宝は持っているけれどハコがないというわけだ(ちなみにそのカメラ店は数年前に倒産してしまった。そうなるより前に堺市に寄贈されていたというのが、作品にとってはせめてもの救いである)。

 堺には何度か来たことがあるが、JR堺市駅に降り立ったのははじめてだった。駅からは連絡通路がのびていてアクセスは抜群だが、そのアプローチからは美術のにおいはこれっぽっちも漂ってこない(かつて堺市立東文化会館というところに出かけたときも、まったく同じような印象を受けた)。戸惑いながらも矢印に導かれて入っていくとショップを兼ねた受付があり、今ちょうど学芸員の解説をやっていますからどうぞと、せかされるようにしてエレベーターに乗り込んだ。

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 これまでにも、ミュシャの展覧会は何度も観たことがある。作品の多くはリトグラフだから、いわゆる一点ものではないため、同じ絵がさまざまなところにコレクションされているはずだ。もちろん詳しく観察していくと、刷りによって微妙なちがいがあったりするのだろうが、いざ作品の前に立つとそんな冷静なことはいっていられなくなる。流麗な曲線と繊細な草花の描写、そして何よりも20世紀の映画女優の時代を予告するかのような官能的な女性の姿に魅了されざるを得ない。観る者の理性を麻痺させ、つかの間の陶酔境へといざなってしまう。これこそ、広告ポスターとしての絶対の強みであることはもちろんだろう。

 そういった名作のかずかずを頭に入れたあとで、ミュシャの出世作となった『ジスモンダ』のポスターの前に立ってみると、意外なほどシンプルで生硬さの目立つ表現であることに驚く。眼につくのは曲線よりも、縦長の画面を支える堅固な直線である。ジスモンダに扮しているのは伝説的な女優のサラ・ベルナールだが、まるで日本の裃(かみしも)のように角張った衣装を着けていて、体の線はまったくうかがい知ることができない。それにくわえて、彼女の胴体が絵のほぼ中央に立っているのに比べ、頭部はやや右にずらして描かれていて、もし医学の専門家が見れば背骨と頸椎がつながっていないというだろう。これまでポスターを手がけた経験のない一介の挿絵画家が、慣れない画面に悪戦苦闘した形跡があらわに見て取れるのである。

 それにもかかわらず、『ジスモンダ』のポスターは一夜にしてミュシャをスターにしてしまった。これにはもちろんベルナールの人気もあったにちがいないが、やはりミュシャがこの一枚のポスター作りによって、ある決定的な秘策にたどり着いてしまったからではないかと思う。すなわち、ポスターには真実性よりもデザイン性が優先されるということだ。誤解をおそれずにいえば、人間を深く探求しなくても、魅惑的なポスターを作ることはできるのである。純粋絵画と商業ポスターとのわかれ道は、おそらくこのあたりに存在するにちがいない。

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ミュシャ『メディア』のポスター

 『メディア』のポスターは、『ジスモンダ』より3年後に制作されたものである。古代ギリシャを代表するこの芝居は血塗られた復讐劇であり、ポスターもミュシャには異色ともいえるおどろおどろしい仕上がりになっている。中央に立つ王女メディアに扮するのはやはりサラ・ベルナールで、左の腕には蛇が巻きついているが、これを気に入ったサラは宝飾店に蛇のブレスレットを作らせ、舞台で実際に着用したということである(このブレスレットもアルフォンス・ミュシャ館に展示されていた)。

 ここでもやはり、肉体に過度なデフォルメがほどこされていることに気がつく。ただしそれは自由の女神のような冠をかぶったサラではなく、足もとに横たわる女の姿に顕著だ。彼女は(死んでいるせいもあるかもしれないが)あり得ない具合に体をのけぞらせ、よくよく観ると左手が両足の間に挟まっているというまことに不可解な姿勢をとらされているのである。

 学芸員の話によると、右側にサラ・ベルナールの名前が縦書きで記されていることや、日本の落款を模したらしい文様が描かれていることから、この作品はとりわけジャポニスムの影響が強い一枚であるという。メディアの顔の背後に描かれたたなびく雲の表現も、我が国の屏風絵などにみられる金雲と似た表現であるともいっていた。たしかにそのとおりだが、『ジスモンダ』にしても『メディア』にしても、画面上部に描かれたモザイク風のタイトル部分は明らかに西洋の石の文化にその出自をもつように思われる。

 チェコに生まれ、ウィーンとミュンヘンに学び、パリに出てようやく開花したミュシャの才能は、さまざまな国の芸術のエキスを少しずつ吸い上げた複雑な遺伝子から成り立っていたにちがいない。

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