てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

100年目の祭典

2013年05月29日 | その他の随想


 ちょうど100年前の今日5月29日、ストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』がパリで初演され、大騒動を巻き起こした。

 こう書くと、ずいぶん昔のような感じがするのもやむを得ない。だいたいストラヴィンスキーが亡くなったのがぼくの生まれる4か月半前のことだったのだが、そのぼくが今すでに中年にさしかかっているのだから、彼が30代のはじめに築き上げた前衛音楽の金字塔など、とっくにカビが生えていてもおかしくはなかろう。日本の年号にいいかえると、実に大正2年ということになるから、その古さがよくわかる。

 だが『春の祭典』は、“現代音楽の古典”などというやや矛盾した称号を捧げられたままこんにちまで演奏されつづけているし、おそらくはそのたびにはじめて聴く人を驚かせつづけている。今やロックとかヘヴィーメタルとかラップとか、ぼくは詳しく知らないが新しい音楽のジャンルが出尽くしたと思われるほどの段階で、100年前のクラシックがいまだに新鮮な破壊力をもって人の心を揺さぶることができるというのは、奇跡としかいいようがない。

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 ぼく自身、10代の半ばごろにストラヴィンスキーに憑かれたことがあった。『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』の3大バレエのいずれかを聴かないことには、その日を生きた感じがしなかった。バッハやベートーヴェンが耳にしたら卒倒したであろうような荒々しい不協和音や、錯綜したリズムの乱舞に身をゆだね、一種の快感としか呼びようのない境地に遊んでいた。

 だが、当時東京に単身赴任していた父親に頼んで3大バレエのオーケストラスコア(輸入版)を買ってきてもらったところ、あの斬新な音楽が極めて緻密な計算のうえになりたっていることを思い知らされた。特に『春の祭典』などは、楽譜というよりも現代建築の設計図のごときもののようなのである。



 あの有名な冒頭、ファゴットが通常の低音部記号ではなく、テノール記号で記譜されているのを見たのはこの曲がはじめてだった(譜例参照)。「4分の11拍子」などという数字が書かれた小節を見るのもはじめてだった(実際には同じ音が11回連打されるだけなので、ストラヴィンスキーがなぜ「11」という数にこだわったのか、という問題に行き着く)。そして、ほぼ1小節ごとに拍子が変わる“変拍子”の極致ともいうべきクライマックス。

 だが、そればかりでもない。曲の途中には、単調な4分の4拍子がえんえんとつづく箇所も出てくる。音の強弱、地味さと派手さ、単純さと複雑さ、ロシア民謡を思わせる土着的なメロディーと無国籍的なパッセージなど、振幅の広さが『春の祭典』の特徴だといえる。35分ほどの決して長くはない時間のなかに、それらの要素がまんべんなくちりばめられていて、われわれは聴きはじめたが最後、濃密な時間のなかを流れ下っていくしかない。

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 『春の祭典』の最大の醍醐味は、やはり生演奏に接することであろう。ぼくは過去に2度、眼の前で演奏されるのを聴く機会にめぐまれた。

 それにしても、ステージにあれほどぎっしりと団員が乗るのは、ちょっとした見ものだ。おそらく、よその楽団からエキストラを呼んでこないとカバーできまい。いわゆる5管編成で、ホルンは8本、トランペットは(持ち替えを含めて)6本要る。さらに大勢の打楽器奏者が背後に控える(もちろん弦楽合奏も必要なのだが、演奏が困難なわりには、管楽器や打楽器の大音響に隠れてしまいがちだ)。

 ちなみにぼくは銅鑼の音が大好きなのだが、それは『春の祭典』を愛聴していたせいにちがいない。チャイコフスキーの『悲愴交響曲』のように、たった一発しか銅鑼が鳴らない曲もあるが、『春の祭典』では「ちょっとやりすぎではないか」と思うぐらいよく鳴らしてくれる。とくに「大地の踊り」という曲では、まるで火山が爆発するような派手な連打を何回も聴かせるのだ。

 いつのことだったか、この部分の音楽が不意にテレビから流れてきたので、驚いたことがある。見ると、富士通のパソコンのCMだった。今ほどパソコンが家庭に普及する以前の話で、どういう商品だったか記憶にないが、例の銅鑼の響きの合間にチラリと写ったのは、アイドルの南野陽子の顔であった。“ナンノ”と“ハルサイ”という取り合わせは、何ともいえない違和感を醸し出していて、なぜか印象に残っている。

 さて話がそれたが、そんな臨時編成の大オーケストラを、指揮者がタクト一本で統率するのだから、見事なものである。しかも、拍子がめまぐるしく変わるから全員の音を合わせるのが至難のわざで、テンポの速いところは曲芸を見ているような感じにもなる。ぼくはホールの客席で演奏を聴きながら、「どうにか最後まで無事にたどり着いてくれますように」などと祈るような気持ちで指揮者の背中を見つめていたことを思い出す。

 ただ、ときには失敗もあるようだ。亡くなった岩城宏之はかつて暗譜で『春の祭典』を振っていたとき、頭のなかにコピーしてあるスコアが突然真っ白になり、演奏を中断せざるを得なかったことを告白している。つねに危険と隣り合わせなわけだが、それでも『春の祭典』は初演から100年経ってもあちこちで演奏されつづけ、人々に新たな驚きを与えつづけているのである。

(了)

(画像は記事と関係ありません)


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