絵の具のしぶきの向こうへ その4

『ブルー - 白鯨』(1943年頃、大原美術館蔵)
ミロには、空の色のような濃い青を背景にした絵がいくつかある。ポロックの『ブルー - 白鯨』は、そのタイトルからすれば空ではなくて海の情景かもしれないけれど、一見してそんなミロの作品を連想させる。
ピカソとミロとはいわずと知れた20世紀を代表する2大巨匠で、長生きだった彼らはポロックよりもずっとあとまで生きるわけだが、その作風は根本的に相容れないものがあるように思う。ピカソを乗り越えようと苦難していたポロックが、まるでミロの亜流のような絵を描いていたとは、ずいぶん調子のいい話だという気がしなくもないけれど、ポロックの神経質な描線をとどめた油彩画としては、貴重なものではなかろうか。少なくとも、前に取り上げた『誕生』よりは、明らかに線が細い。
彼は精神分析の治療を受けているときに、おびただしいドローイングを残している。それはもちろん、眼で見たものを忠実に写生するといった技術偏重のものではなく、頭に浮かんだものを思うがままに、恣意的に描いていくことによって、精神の状態やなりたちに探りを入れるために描かれた(あるいは、描かされた)のだろう。
ぼくも若いころ、心身の不調が長い期間つづいて、心配する親に大病院の神経科のようなところへ連れていかれたことがある。医師はいくつかの問診のあと、不意に「リンゴの木を描いてください」と命じた。もちろん、手本などは何もない。ぼくは幼いころに漫画のマネゴトのようなものを描いていたので、自信をもって堂々たる幹を描き、ふさふさした梢を描き、そこにリンゴがいっぱい実をつけているところを描いてやった。
ただしそのときは、実際のリンゴの木がどのようなものか知らなかったのだ。ぼくが描いたのは想像上の、まさに漫画のようなリンゴの木にすぎなかった。しばらく待たされたあと、親とともに呼び入れられて診断結果を聞いていると、カルテに「子供っぽい絵」という評価が書かれているのが眼に入って、ひどく落胆したものである(それでいったいぼくの何がわかるというのだ、といいたい気もしたが・・・)。
ポロックのドローイングは、誤解をおそれずにいえば、さらに病的だといえるかもしれない。彼が非常にデリケートな神経をもっていて、それを宥めるために酒に溺れたのにちがいないということがよく理解できるのだ。
***

『ポーリングのある構成II』(1943年、ハーシュホーン美術館蔵)
『ポーリングのある構成II』は、ポロックがいよいよ絵筆やペンで線を描くことから脱し、したたる絵の具の痕跡で描くことを本格的にはじめたころの作である。
だが「ポーリングのある」というタイトルからもうかがえるように、彼はポーリングのみによって絵画を描ききることはまだ考えていなかったのだろう。ポロックがどうやってポーリングという技法にたどり着いたかはわからないが、おそらく最初は誤って絵の具をキャンバスに垂らしてしまったという、単純な理由からではなかろうか。
それだけではなく、彼が“自分の意志で線を引かないこと”に魅せられたもうひとつの原因があるようにも思う。つまり精神分析の対象とされたドローイングのように、いかなる症例とみなされることもない純粋な造形としての絵画を描くためには、どうしても描線を自分の手から離して、いわば自立させる必要があったのだ。絵の具そのものに命を吹き込み、自分の精神から解き放ってキャンバスの上に躍らせてやることをポロックは念じたのかもしれない。
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『ブルー - 白鯨』(1943年頃、大原美術館蔵)
ミロには、空の色のような濃い青を背景にした絵がいくつかある。ポロックの『ブルー - 白鯨』は、そのタイトルからすれば空ではなくて海の情景かもしれないけれど、一見してそんなミロの作品を連想させる。
ピカソとミロとはいわずと知れた20世紀を代表する2大巨匠で、長生きだった彼らはポロックよりもずっとあとまで生きるわけだが、その作風は根本的に相容れないものがあるように思う。ピカソを乗り越えようと苦難していたポロックが、まるでミロの亜流のような絵を描いていたとは、ずいぶん調子のいい話だという気がしなくもないけれど、ポロックの神経質な描線をとどめた油彩画としては、貴重なものではなかろうか。少なくとも、前に取り上げた『誕生』よりは、明らかに線が細い。
彼は精神分析の治療を受けているときに、おびただしいドローイングを残している。それはもちろん、眼で見たものを忠実に写生するといった技術偏重のものではなく、頭に浮かんだものを思うがままに、恣意的に描いていくことによって、精神の状態やなりたちに探りを入れるために描かれた(あるいは、描かされた)のだろう。
ぼくも若いころ、心身の不調が長い期間つづいて、心配する親に大病院の神経科のようなところへ連れていかれたことがある。医師はいくつかの問診のあと、不意に「リンゴの木を描いてください」と命じた。もちろん、手本などは何もない。ぼくは幼いころに漫画のマネゴトのようなものを描いていたので、自信をもって堂々たる幹を描き、ふさふさした梢を描き、そこにリンゴがいっぱい実をつけているところを描いてやった。
ただしそのときは、実際のリンゴの木がどのようなものか知らなかったのだ。ぼくが描いたのは想像上の、まさに漫画のようなリンゴの木にすぎなかった。しばらく待たされたあと、親とともに呼び入れられて診断結果を聞いていると、カルテに「子供っぽい絵」という評価が書かれているのが眼に入って、ひどく落胆したものである(それでいったいぼくの何がわかるというのだ、といいたい気もしたが・・・)。
ポロックのドローイングは、誤解をおそれずにいえば、さらに病的だといえるかもしれない。彼が非常にデリケートな神経をもっていて、それを宥めるために酒に溺れたのにちがいないということがよく理解できるのだ。
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『ポーリングのある構成II』(1943年、ハーシュホーン美術館蔵)
『ポーリングのある構成II』は、ポロックがいよいよ絵筆やペンで線を描くことから脱し、したたる絵の具の痕跡で描くことを本格的にはじめたころの作である。
だが「ポーリングのある」というタイトルからもうかがえるように、彼はポーリングのみによって絵画を描ききることはまだ考えていなかったのだろう。ポロックがどうやってポーリングという技法にたどり着いたかはわからないが、おそらく最初は誤って絵の具をキャンバスに垂らしてしまったという、単純な理由からではなかろうか。
それだけではなく、彼が“自分の意志で線を引かないこと”に魅せられたもうひとつの原因があるようにも思う。つまり精神分析の対象とされたドローイングのように、いかなる症例とみなされることもない純粋な造形としての絵画を描くためには、どうしても描線を自分の手から離して、いわば自立させる必要があったのだ。絵の具そのものに命を吹き込み、自分の精神から解き放ってキャンバスの上に躍らせてやることをポロックは念じたのかもしれない。
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