てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

花鳥の調べ ― 上村松篁の世界 ― (8)

2014年08月02日 | 美術随想

『水温む』(1988年、松伯美術館蔵)

 写真家の飯島幸永(こうえい)は、生前の上村松篁の身辺に密着してシャッターを切りつづけてきた。人には知られていないプライベートな姿、熱心にスケッチに取り組む姿、そして画室で本画を仕上げる真剣なたたずまいなど、画家の生活の大変さを改めて思いやらずにはいられない写真がたくさんあり、それらは一冊の写真集にまとめられている。

 展覧会の会場にも、そのうちのいくつかが掲示されていた。考えてみれば、満98年という長寿に恵まれた松篁は、没してからまだ13年しか経っていないのだ。ある意味では、現代の作家といっても決して間違いではないのである。おこがましいながら、ぼくが関西に出てきてからも、さほど遠く離れてはいないところに、同じ20世紀末の空気を吸って生きていたことになる。

 しかし飯島氏の残した写真を観ていると、そこにはまったく別の時間が流れていたような気がしてならない。考えてみれば、日本という国が高度経済成長を遂げ、世界をリードするほどの力を得てからも、彼の視線はまったく乱されることなく、鳥と花とを追いつづけてきた。世間が慌ただしく、なかば力づくで変えられていくありさまが、自然のゆるやかな歩みよりも大切だなんて、いったい誰が決めたのであろうか。いやむしろ、この新しい世紀において、そんな幻想は脆くも打ち砕かれつつあるのではなかろうか。

 画室でひとり、『水温む』の仕上げにかかろうとする松篁の写真がある。彼の真剣な眼差しは、水から突き出した枝に止まっているキセキレイを見つめているが、そのキセキレイもまた、水面に落ちた椿を見つめている。今はみずみずしいその花弁も、やがては茶色く萎れていってしまうということを、この絵は容赦なく物語っている。われわれ日本人が長いこと見落としてきた生の真実を、鳥と花の絵から教えられるとは皮肉でもあるが、松篁はずっとそれを見据えて、描きつづけてきたのだ。

                    ***


『春愁』(1999年、松伯美術館蔵)

 長生きとはいえども、松篁の体力が徐々に衰えてきたのはやむを得ない。ついには背景に色を塗ることをやめてしまい、金潜紙や銀潜紙という、最初から色のついた紙を用いるようになった。“カラリスト”としての上村松篁は、ここに終焉を遂げたが、鳥たちに向ける視線は決して曇ることがなかった。

 『春愁』は、要するに銀の紙に描いたようなものなので、実際に画家が手がけた部分はごくわずかである。ただ、互いにそっぽを向きながらも、見事な相似形を見せて飛び上がる小鳥たちの姿に、ぼくは胸をうたれずにいられなかった。そこには描かれざる空間が無限に広がっており、自由を求めて羽ばたいていこうとする生命の躍動があるではないか。

 3月11日という日付は、もっぱら大震災が起こった日として記憶されるようになったが、松篁の命日でもある。21世紀を迎えた最初の年、静かにその画業を締めくくったこの画家は、この鳥と同じように、新しい天地を目指して飛び立っていったのかもしれない。

(了)


DATA:
 「上村松篁展」
 2014年5月27日~7月6日
 京都国立近代美術館

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