テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

★わたしとテスラ(2)

2005-08-28 23:39:55 | Weblog
 各種事典、科学史、電気工学史などの資料をひもといてみると、テスラに関する記述にはかなりの幅とバラツキがあることがわかった。
 テスラを交流電力システムの発明者としている点では共通していたが、その栄誉は他の発明家(たとえばガリレオ・フェラリス、ドリボ・ドブロボルスキーなど)に分け与えられている場合も多かった。無線の業績については「高周波の先駆的研究」について簡単にふれられているだけで、無線電信やラジオに対する貢献を記したものはほとんどなかった。
 もちろん、それらの正統的なソースに「世界システム」や「粒子ビーム兵器」の語を見出すことはなかった。そしてテスラの伝記的な記述に関しては、オカルト関係のソース以上のものは見つけることはできなかった。
 当時のわたしは編集者とライターの掛け持ちで、単行本も執筆していた関係で、忙しくなかなか本格的に取り組めなかった。それでもひまをみつけては神保町の洋書屋で資料をチェックし、ジョン・オニールによる伝記(John J. O'Neill"Prodigal Genuis")や講演の論文集("Inventions,Researches and Writing of Nikola Tesla"など)を購入して、少しずつ読み始め、興味のある部分を翻訳したりしていた。
 とくにテスラ伝記の嚆矢となったオニールの著作は読みやすく、エピソード満載でわたしの英語力からすれば、かなりのスピードで読み進んだ。読後はテスラの全体像がそれなりに見えてきた気がしたが、少しおもしろすぎることと、ソースの提示がないことが不満だった。
 同じ頃、ケネス・スウェジーによるコンパクトなテスラ紹介記事も読んだ。テスラの伝記作者をめざしながら、その死によって志を果たせなかった彼の文章は、オニールとは異なり、終始冷静な記述の中に、テスラに対する熱い思いが感じられ、出色のものだった。
 そんな折り、友人のサイエンスライター永瀬唯氏が新宿の紀伊國屋にテスラの伝記が並んでいるとおしえてくれた。それがマーガレット・チェニーの「Tesla:Man out of Time(邦題:テスラ-発明王エジソンを超えた偉才)」だった。(この項つづく)





★わたしとテスラ(1)

2005-08-28 01:46:09 | Weblog
少し思いで話につきあってください。
テスラとの出会いを考えると、実に長い道のりをへて、出会うべくして出会ったという感をぬぐえない。
テスラの名を最初に認識したのは、1980年代に新潮文庫で「サイエンス・スクランブル」という科学コラムのシリーズを編集・執筆したときのこと。だから、もう20年も前のことになる。その中で「マッドサイエンティスト特集」をやることになり、誰か適当な人はいないかとオカルト本を探していたときに偶然目にしたのがテスラだった。
テスラの名はそれ以前からなんとなく知っていたが、ちゃんと認識して、記事を読んだのはそのときが最初だった。
エジソンのライバルだった天才発明家。交流と無線で業績をあげたが、あまりの天才ゆえに世に入れられず、不遇な晩年を送った。しかし、ビーム兵器や地震兵器などを含むその超発明は、今も米ソが秘かに研究している超兵器の技術的ルーツとなっている。
オカルト雑誌の編集らしく内容は扇情的だったが、SFファンだったわたしの興味を引くに充分だった。早速、執筆候補に入れることにした。本にはほかにライヒ、ジョージ・デラワー、ノーマン・ディーン、ヘンリー・モレイ、ジョルジュ・ラコヴスキー、トーマス・ヒエロニムスなどの名が並んでいたが、通読した限りテスラほどの魅力は感じられなかった。
しかし原稿を書くとなると、オカルト本にたよっているわけにもいかない。他になにか適当なソースはないか。そう思って資料を漁り始めたときに最初に出会ったのが、物理学辞典の記述だった。
そこには、交流システムの発明者としてたしかにテスラの名前が挙がっていたのである。交流と言えば今わたしたちが使っている電気。その発明者というのは、考えてみれば大変なことなのではないか。それだけで間違いなく航空機のライト兄弟、電球のエジソン、電話のベルなどに比肩する大発明家である。
しかもその業績を記念して、国際単位にも名前が使われているという。
では、それほどの発明家がなぜ、オカルト雑誌のヒーローなどになっているのか?
このあたりの疑問から、わたしのテスラ病が始まったのだった。
                                               (この項続く)