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テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

テスラのデスマスク

2012-01-23 03:30:47 | Weblog

 テスラをはじめ、ベートーベン、ヒッチコック、リンカーンなど著名人11人のデスマスクを並べたブログを見つけた。 (⇒kuriositas.com)
 よく知られているように、テスラのデスマスクを制作させたのは「アメリカSFの父」ヒューゴー・ガーンズバック。だれより深くテスラを信奉するガーンズバックは、完成したデスマスクをオフィスに飾って、来客に披露したという。
 現在、このマスクはベオグラードのテスラ博物館に収蔵されている。1996年に、テスラ博物館を訪問した際に念願の対面を果たして、深い感銘を受けたことを思い出す。他の有名人のデスマスクについても、それぞれに制作者の思いがあふれているのだろう。
 途中にはさまれている制作風景も興味深い。テスラのデスマスクもこうやってつくられたのだろうか。


映画脚本「テスラ -電気の詩人」

2012-01-13 01:39:08 | Weblog

 米国フィラデルフィア市の「テスラ科学財団」が、ハリウッドの映画プロデューサーによるテスラ伝記の脚本にお墨付きを与えたという記事を目にした。
「スタンダード・ニュースワイア」の2012年1月9日付け記事によれば、財団は、映画プロデューサーのジェームズ・ジェーガーによる「テスラ ─電気の詩人」が「テスラの生涯に新たな視点をもたらす最良の脚本」であると讃辞を贈った。

 脚本の詳細は不明だが、関係者によれば、テスラを真の科学者、エネルギーの予言者として描きながら、テスラのロマンスや、マーク・トウェイン、サラ・ベルナール、ジョン・ジェイコブ・アスターといった著名人との友情にも踏み込んだ作品だとのことである。
 脚本はジェーガーによってハリウッドにオファーされ、これまでのところ二社が、適当な監督の参加という条件付きで、企画の「始動」を申し出たという。とはいえジェイガーの希望にそう監督はまだ見つかっていないようだ。
「プロジェクトに興味を表明した著名監督は多い。しかし我々が本当に求めているのは、テスラのみならず他の素晴らしい配役に関しても完璧なキャスティングができる本物のテスラフリークスの監督だ」と、ジェーガーはきっぱり語っている。

 ジェーガーはこの道30年のベテランで、史実にそった物語ということなので、脚本自体に大外れはないと思うが、さてどうなるだろうか。


新年のごあいさつと、木村摂津守・駿吉父子についての講演のご案内

2012-01-10 01:13:53 | Weblog

 新年を機にブログを再開したいと思います。

 ここ十年来の懸案だった「木村摂津守父子」の物語を書く準備がようやく整い、昨年から書き出した。偶然というか、「幕末史研究会」の小美濃清明さんからお誘いを受けていた木村父子の講演が2月25日(土)に決まった。
 小美濃さんとは遊行フォーラムの高須譜生さんのご紹介で知り合い、木村の本が出てから講演したらという話をいただいていた。しかしいつまでも原稿があがらず、のびのびになってきた。今回はここらで発奮させようという小美濃さん、高須さんのご配慮だと思う。心して準備を進めたい。

 幕末の軍艦奉行木村摂津守喜毅は、勝海舟、福沢諭吉らを率いて初の太平洋横断を成し遂げた幕末の偉人である。しかしその人物、業績についてはほとんど知られていない。
 幕府きっての俊才岩瀬忠震に引き立てられて目付にのぼった木村は、軍艦奉行として幕府海軍の創建に尽力、のちの明治海軍、日本海軍の礎を築いた。その功績は勝海舟にまさるとも劣らない。
 また、咸臨丸の渡米前に一介の陪臣であった福沢諭吉を使節団に加える決断をし、世に出るきっかけを与えたのも彼だった。福沢は終生、木村を尊敬してやまなかった。
 咸臨丸渡航に際して、喜毅は家伝の骨董・美術品を売り払い、借金までして3500両の大金を用意した。いざという時に備えるためと、士官や水夫、火夫の不充分な報酬を補うためだった。
 初の大洋横断は困難をきわめたが、彼の清廉・実直な人柄が、外国人士官、日本人士官、水夫などの融和を保ち、航海とその後のサムライ外交を成功に導く原動力となったのは間違いない。
 帰国後、のちの明治海軍につながる大海軍計画を献策したが、幕末期の混乱の中で陽の目を見なかった。最後は勘定奉行勝手方として、官軍への明け渡しという難事を成し遂げて引退。その後は明治政府の要請にも応じず、一切の公職につかなかったのも彼らしい。
 いわゆる勝者史観によって、明治維新の敗者である幕府側の人物は過小評価されがちである。福沢は生前、喜毅の業績が忘れられていることを嘆いて、「わが国の海軍史上に特筆大書してその功労は遂に埋没すべからず」と記している。しかしこの事情は今も余り変わっていない。

 彼のふたりの子息は二男の浩吉が海軍にはいり、日清戦争の黄海海戦で活躍、のち少将にのぼった。三男駿吉はハーバード大学に留学して数学と物理学を修め、帰国後は第一高等学校、第二高等学校をへたのち海軍に転じて、無線機の開発に従事した。
 日本海海戦において哨艦信濃丸が「敵ノ第二艦隊見ユ」とバルチック艦隊発見の報を打電したのは、彼が技師松代松之助とともに開発した三六式無線機だった。これを秋山真之参謀が「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動コレヲ撃滅セントス。本日天氣晴朗ナレドモ波高シ」とアレンジして大本営に打電したのだった。
 秋山と島村速雄参謀長とは、終戦後ただちに駿吉に深甚な感謝の意をあらわし、凱旋した乃木大将、児玉大将、黒木大将らは打ち揃って彼のもとを訪れ、礼を述べたという。
 ちなみに駿吉は無線事情の調査で渡米した折り、かのニコラ・テスラに面会して無線について教えを乞い、その放電パフォーマンスを目撃している。

 近代日本建設に特筆すべき功績を挙げながら、己を誇らず、出処進退をわきまえた一人のサムライと、その意志を継いだ父子の物語は近日大公開というわけで、本年もよろしくお願いいたします。

「幕末史研究会」
http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken

 

 


体操の神に挑んだ内村航平選手

2011-10-19 17:18:47 | Weblog

 世界体操選手権の種目別決勝、内村航平選手は鉄棒の最終演技者として。団体や個人総合の時より難度を上げながら、見事な演技で有終の美を飾った。その前の平行棒も出来は悪くなかったが、棒下からのひねり倒立に小さなミスが出てメダルに手が届かなかった。フル出場で疲れが出ているのかなと思いきや、さすが体操界の怪物。鉄棒ではそんな懸念を払拭して最高の演技を見せてくれた。
 競技が終わってみれば、個人総合と床で金メダル、団体で銀、鉄棒で銅と、金銀銅のそろい踏みとなった。団体鉄棒の落下はあったが、それ以外はほぼ完璧な実施。種目別では床のリ・ジョンソン(後方2回宙返り3回ひねり)、鉄棒のカッシーナ(伸身コバチ一回ひねり)などの大技を入れ、最後まで攻めの姿勢を崩さなかった。
 この調子なら、ロンドン・オリンピックの個人総合金はもちろん、世界選手権の4連覇、5連覇も夢ではないだろう。
 だが、内村選手の最終目標はそんなものではないかもしれない。今回の鉄棒の演技で感じたのは、彼の相手はもはや人間ではなく、体操の神ではないかということだった。
 神に召され、どこか天空の競技会場で、鉄棒を演じる内村選手。会場には選手も審判も観衆もなく、対戦相手はただひとり体操の神のみ……。滞空時間の長いコバチや完璧な着地に陶然としながら、そんな妄想が湧いてくるのをおさえられなかった。
 内村選手おめでとう。そしてこれからも怪我にだけは気をつけて、神に挑み続けてください。
 


体操の内村航平選手に応援を

2011-10-01 20:35:01 | Weblog

 10月7日から東京で世界体操選手権が開かれるが、日本体操界に野球のイチローや競馬の武豊と並ぶ天才チャンピオンがいるのをごぞんじだろうか。それは内村航平選手である。
 内村選手は現在、世界選手権個人総合2連覇中である。その実績はかつての体操の名選手をしのぐし、アマチュアスポーツの世界では、水泳の北島康介選手や陸上の室伏広治選手にも匹敵するだろう。
 しかし体操競技はマイナースポーツで、かつてはオリンピック5連覇を成し遂げた日本のお家芸であるにもかかわらず、スポットを浴びるのはオリンピックの年だけ。従って内村選手もその才能や実績の割には今ひとつ知名度が低い。
 東京オリンピックの頃から見てきた体操ファンからすると、遠藤幸雄、加藤沢男、笠松茂、具志堅幸司、冨田洋之など、数々の名オールラウンダーを生んできた日本の体操界でも、内村選手の才能はひときわ抜きん出ている。
 技の難度、さばきの美しさ、着地のキメ、6種目そろった安定感。どれをとっても申し分ない。難度と美しさの両立というのがもともと日本体操の伝統だったが、その半世紀の伝統が生んだ最高傑作が内村選手なのである。
 顔もかわいいし、お母さんのキャラクターもよい。多くの方が彼の演技を見てこれを機にもっと人気が出てほしいと、一体操ファンとして切に願う。

 


親友の結婚披露パーティ

2011-09-29 13:09:10 | Weblog

 日曜日に中学校時代の同級生で、銀座で画商を営む親友の結婚披露パーティに出席した。画家の奥様も以前からぞんじあげているが、才能豊かで、よく気の付くたいへんすばらしい女性である。
 最近はやりの年の差カップルだが、これ以上のお似合いのふたりはいないとお見受けした。ともかくめでたい。


「遊行の盆」でひと踊り

2011-09-29 13:04:27 | Weblog

 先週の土曜日は「遊行の盆」のコンテスト。作業所の職員、メンバー、花柳輔礼乃先生のグループとともに「踊りポトピーズ」で参加した。
 今年からコンテストは市民まつりの中に組み込まれたが、会場は例年通り、遊行通りだった。参加チームも昨年とほぼ同数。もっと参加者がふえて、盛り上がってほしいが、5年たって少し息切れしてきたか。
 昨年は準優勝をいただいたが、今年は残念ながら賞とは無縁だった。それでも楽しく踊ることができ、気分は上々。加えて、福祉まつりでご縁のあるジャズ・ダンスグループ「ジャジャサークル」(小学生中心)が、見事、優勝に輝いたことが、わがことのようにうれしかった。
 疲れたので打ち上げは次の機会ということになったが、東京から遊びに来てくれた「遊行の盆」の作曲者J・A・シーザーと有志で遅くまで飲んだ。


昨日、テスラの夢を見た

2011-09-14 20:17:23 | Weblog

 きのうテスラの夢を見た。

 気が付くとわたしは大きな会場の奥にすわっていた。場内は聴衆で満員。どうやら電気の専門家が集まっているらしい。
 油断していると、突然、議長に指名された。
「会場に新戸さんがきているから、テスラについて3分間で話していただこう」
「ええっ?」
 準備も無ければ、時間もわすか3分。いったいどうやって。
 そうかノートパソコンの中に原稿がと気付いて、あわててバッグを探ったが、みつからない。困惑しているうちに、演壇のうしろに立たされていた。
 目の前には絶叫する女性講演者。熱弁をふるうも、野次とブーイングの嵐にかき消されてしまう。最後は司会者に足をつかまれて引きずり下ろされた。
 なんとか考えをまとめなければ、あせっているうちに自分の番がきた。
「テスラとは……」
 第一声をあげたものの、頭は真っ白。次の言葉がどうしても出てこない。
 ふとひらめいて、もっていたマーカーで鼻の下にひげを描いた。
 ひげをはやしていた頃、一度だけ、テスラに似ているといわれたことを思いだしたからだ。
「これがテスラです」
 顔をあげて大見得を切ったが、みなポカンとして見上げている。
 あわてて、今度はうしろのホワイトボードにテスラの似顔絵を描いた。
 意外にうまく描けたつもり。
「これがテスラです」。
 しかし会場からは相変わらず反応がない。そのうち、奥のほうがざわついてきた。やむをえず講演にはいったが、考えがまとまらないせいか、うまく言葉が出ない。
 そこへ専門家らしい男がチャチャをいれてきた。
「交流の周波数がああだらこうだら、関東と関西がどうたらこうたら、ゼネラルエレクトリックとウェスティングハウスがうじゃうじゃ……」
 わたしはいらつきながら答えた。
「そんな些末な話はどうでもよろしい」
 それでも、まだしつこくからんでくる。
「直流送電と交流送電がうんたら、かんたら……」
 場内は野次と怒号で、声もかき消されるほど。
 わたしのいらいらは極に達し、ついに爆発した。

「いいか、君たち。東北大震災や原発事故で問題になっている電力システム、その基礎をつくったのはだれか。ニコラ・テスラだろう。しかし彼の名前は歴史から消されてしまった。これは君たち専門家が怠慢だったからじゃないのか」
 怒りの余りわたしはほとんど絶叫していた。
「それだけじゃない。電力利権と一体化した君たちは、無線電力システムを推進しようとしたテスラを抹殺しようとしたではないか。今日の原発事故はその私利私欲の帰結だろう。ちがうのか」
 言い終わると、場内は一瞬にして水を打ったよう。
 それから割れんばかりの歓声、拍手が起こった。
 わたしは聴衆を見回し、静かに一礼して演壇を降りた。
 ここで目が覚めた。

 夢の中の科学者への怒りは、おそらくわたし自身への怒り。テスラの名を広められない不甲斐ない自分への怒りでもあっただろう。
 あるいは、そんなわたしへのテスラからの叱咤激励だったかもしれない。

 芝居で滞っていたテスラ本(「天才の発想力」)の電子出版化と「テスラ研究」の編集を急ぐことにしよう。


「さんせう太夫」公演、無事終了

2011-09-14 20:01:27 | Weblog

 9月11日(日)は「さんせう太夫」の楽日。
 公演前に恒例、本堂でのパネル・ディスカッション。
 パネラーは地元在住の作家佐江衆一氏、愛知学院大学教授で、国際寺山修司学会の創立者清水義和氏、遊行かぶきの創始者で「さんせう太夫」演出の白石征氏の三氏、そして司会は不肖わたくし、テスラ新戸(笑)。
 半年前の東北大震災を踏まえながら、今回の芝居を軸に、中世、別離、漂泊、孤独、家族、共同体、芸能などのテーマについてたっぷりと語っていただいた。
 パネラーとの縁で、寺山修司の短歌が語られたかと思えば、遊行寺つながりで一遍の歌に及び、震災、津波、原発事故などの災害から、戦争と破壊、科学と近代文明、日本人強制収容所、満州などへ話題は飛んだ。
 司会の力を超える場面も多かったが、主題を大きく踏み外さずにすんだのは逆境に立ち向かう日本人に寄せるパネラーたちの深い信頼と共感があったから。それは引き裂かれながら、なおも家族再会を信じる安寿と厨子王の魂とも相通じるものではないか。そんなことを考えながらお話をうかがっていた。
 
 この後の公演は大成功。出演者一同全力を出し切った満足感にひたりつつ、打ち上げに突入した。
 制作サイドの一員として、出演者、スタッフ、そしてなにより残暑厳しい中、3時間の長丁場におつきあいくださった観客の皆様に厚く御礼申し上げたい。

 


芝居のご縁で楽しいひととき

2011-09-12 23:58:04 | Weblog

今日は「さんせう太夫」2日目。芝居を観に来てくださった科学書評家の猪野修治さん、東京大学出版会編集局長の竹中英俊さん、工作舎社長の十川治江さんと居酒屋「宗平」で打ち上げ。
東大出版会といえばその名の通り知的権威の牙城。片や工作舎といえば1970年代、80年代に一世を風靡した反権威の象徴。そのトップ同士が居酒屋の片隅で酒を酌み交わすというのも、なかなか乙なもの。
イデオロギーや理論とは無縁な四方山話で愉しい時間がすぎた。