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テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

今日は「さんせう太夫」公演の初日

2011-09-12 23:54:36 | Weblog

今日は「さんせう太夫」公演の初日。J・A・シーザー、三上宥紀夫といった天井桟敷ファミリーも加わって、恒例「いろは茶屋」で初日の打ち上げ。
舞踏論から数学論まで、楽しく語らっているうちに最後はわたしと矢野さん、賀来さんという藤沢組だけが残った。残りものをつまみながらうだうだ話を続けて、ようやくお開き。
初日からちょっととばしすぎた。


『さんせう太夫』初日まで一週間を切った

2011-09-05 00:32:32 | Weblog

遊行舎の『さんせう太夫』初日まで一週間を切った。
今日が公民館最後の稽古。
明日からは舞台を遊行寺本堂に移して、舞台設営と本番に向けた転換稽古・通し稽古にはいる。

毎年、素晴らしい舞台にかかわれる幸せをかみしめているが、今年も老体に鞭打って少しでもお手伝いしたいと思っている。

藤沢・湘南の皆様、藤沢にはこんにレベルが高いオリジナリティあふれる演劇があるんですよ。東京や横浜に出かけている場合ではありません。
東京・関東、いや日本全国の皆様、ぜひ遊行かぶきを見に藤沢においでください。

遊行舎ホームページ


『テスラ─発明的想像力』の増刷について

2011-09-05 00:16:08 | Weblog

 

  2003年に刊行した拙著『テスラ─発明的想像力の謎』(工学社)が、このほど増刷されて第3版となった。この出版不況の中、わずかずつでも増刷され、出版が継続されているのはありがたいことだ。
 本書はテスラの発明的な想像力を軸に、科学史、技術史、文学、神話、心理学などの知識を援用しながら、オカルトと技術の接点にあるイメージの起源に迫ろうしたものである。取り上げた話題も、UFO、電磁波、地震兵器、殺人光線といったあやうい話題から、電球、写真技術、航空機まで幅広い。
 わたしは1980年代からSF評論などに取り組むかたわらニコラ・テスラの研究・紹介につとめてきたが、その際、オカルト的・技術的イメージの考古学を隠れテーマとしてきた。本書はその部分を全面的に展開し、裏文化の正統的評価を企図したもので、表文化の裏面史的な前著『逆立ちしたフランケンシュタイン』とは対をなしている。
 何分浅学非才ゆえ、充分に論を尽くせたかどうかはこころもとないが、大筋の意図は貫けたのではないかと思っている。 「アマゾン」に掲載さている2つの書評は点数も評価も異なるが、どちらもあたっているように思える。
 妖しく、怪しく、奇しい想像力に興味がおありの方は、上記、書評などを参考に一度お手にとっていただけるとありがたい。

『テスラ─発明的想像力の謎』
新戸雅章
工学社
2003年
1800円


一二三の「うひょー」②

2011-09-02 18:40:07 | Weblog

 念願の名人位を手にした加藤は、翌年、22歳の谷川浩司の挑戦を受けた。今度の予想は加藤名人有利。いくら次代の覇者と目される谷川でも初陣では荷が重いというのがその理由だった。しかしやはり勝負はふたを開けてみるまではわからない。
 谷川の勝利で始まった第41期名人戦は、谷川優位に運び、5戦闘って3勝2敗。若き挑戦者が名人位に王手をかけた。そして迎えた6局目。

 この対局を、わたしは新宿駅西口の大盤解説で観戦した。念願のタイトルを手にした中年の星加藤名人への同情と、実際にご本人を見かけて、親しみを感じていたこともあって仕事帰りに立ち寄ったのである。
 当日の大盤解説は因縁の大山康晴15世名人だった。この戦いも谷川の有利に運び、加藤が駒を投じた。
「新しい名人の誕生ですね」。谷川の勝利を確認した大山の声がやけにうれしそうで、少し憎らしい感じがしたものだった。

 この後、加藤に名人挑戦のチャンスはめぐって来ず、獲得は一期限りだったが、神武以来の天才の名人位をかけた死闘16番は「うひょー」とともに永遠に語り継がれることだろう。


遊行かぶきの季節がやってきた

2011-09-02 14:48:34 | Weblog

 

 

わたしはこの十五年、湘南・藤沢演劇の中核をになってきた遊行かぶきをずっと応援してきた。その遊行かぶきの季節がまた近づいてきた。
 遊行かぶきは藤沢在住の演出家白石征さんが提唱している中世説教節に材をとった作品群である。これまで『小栗判官と照手姫』『一般聖絵』、『しんとく丸』などを世に問い、中世と現代をつなぐ地霊の演劇として絶賛を博してきた。昨年は説経節の代表作『さんせう太夫』に挑み、遊行かぶきの集大成を見せたが、好評に応えて、今夏もその続演が決定した。
『さんせう太夫』は、近世では近松半二や竹田出雲などによる歌舞伎や浄瑠璃の演目となり、近代では森鴎外の小説によって一躍有名になった。名匠溝口健二による映画化(田中絹代、香川京子ら)も高い評価を受けている。
 今回も、わたしは文芸・制作手伝いとして、稽古からおつきあいさせてもらっているが、その熱気を見る限り、昨年をしのぐ舞台になるのは必定。遊行かぶきのエッセンスを凝縮したこの中世演劇の傑作を、ぜひ多くの方にご堪能いただきたい。

さんせう太夫 ─母恋い地獄めぐり

 闇に聞こえる「鳥追い歌」に導かれて再会を果たす母子。その一途な思いに、日本人が忘れてきた〈幸福のかたち〉が

白石 征/脚本・演出 寺山修司/短歌 J・A・シーザー/音楽
◎期日:2011年9月9日(金)・10日(土)・11日(日)
◎会場:遊行寺本堂
◎期日:2010年9月9日(金)17:30開演/10日(土)15:30開演/11日(日)13:00無料シンポジウム、15:30開演  ※開場は各30分前

●料金
当日 3,500円、前売 3,000円、学生 2,000円 全席自由
●チケット取扱い
有隣堂藤沢店 0466-26-1411(代)
藤沢名店ビル2階サービスコーナー
電子チケットぴあ pia.jp/t(Pコード 412-802)0570-02-9999
●お問い合せ・電話予約
遊行舎 TEL 0466-34-9841


一二三の「うひょー」①

2011-08-28 22:41:48 | Weblog

 それは今から30年ほど前、千駄ヶ谷の将棋会館に出かけたときのことである。当時から将棋には興味があったが、そのときの用件は将棋とは無関係だったと記憶している。
 用がすんで玄関を出たところで、向こうから歩いてくる中年男に気付いた。たったったっと、早足で歩いてくる。丸みを帯びたからだから、すぐに加藤一二三氏だとわかった。
 明らかに常人とはオーラが違う。近づいてくるにつれて、体内からブンブンというダイナモの唸りが聞こえるような気がした。あまりのエネルギーに、思わず道をあけてしまった。
「あれが神武以来の天才か。たしかにすごいもんだな」
 わたしは後ろ姿を見送りながらつぶやいていた。

 加藤一二三氏は1940年生まれで、現在、71歳、段位は9段。最近は猫のえさやりとか、長すぎるネクタイとか、対局中に音がうるさいからと、庭の滝をとめさせたとか、奇癖、奇行ばかりが取り上げらているが、かつては「神武以来の天才」とよばれ、名人位にもついた大棋士である。18歳でA級8段、19歳で名人挑戦という記録は今も破られていない。
 名人に初挑戦した当時は大山康晴名人の全盛時代で、善戦むなしく1勝4敗で斥けられたが、いずれは大山を倒して棋界の覇者になると誰もが信じていたものだった。
 ところが大名人の牙城をなかなか崩せないうちに、7歳下の後輩で、「棋界の太陽」と呼ばれる中原誠が台頭、24歳で名人の座についてしまった。
 神武以来の天才は、次代のエースに「華麗にスルー」されてしまったわけである。
 気を取り直して、今度は若き覇者に挑戦するもどうしても勝てない。十段位など他のタイトルは獲得したが、一番ほしい名人がどうしても手に入らないのである。
 わたしが見かけたのはたしかこの頃だったと思う。あれほどの天才、あれほどのエネルギーがをもってしても、名人位には手がとどかないのか……。勝負の世界の厳しさと奥深さを感じたものだった。
 中原に名を成さしめているうちに、かつての若武者も30代半ばを過ぎ、40の坂を超えた。普通ならこれでめげてしまうところだが、「生まれてから一度も風邪を引いたことがない」加藤は違った。昼食には鰻重、おやつには明治の板チョコを2枚重ねでばりばり食べながら、空打ちの駒音も高く闘志あふれる将棋を指し続けた。そして42歳にして、ついに大舞台がめぐってきた。

 迎えて1982年。この年、加藤はA級順位戦を勝ち抜き、見事第40期名人戦の挑戦権を獲得したのである。
 戦前の予想は中原名人の圧倒的有利。これは当然だろう。このとき中原34歳。名人8期連続防衛を果たし、永世名人の称号も獲得するなど絶頂期あった。
 片やどんな大棋士も棋力の衰えを感じる40を超えたベテラン。
 しかし勝負はふたを開けてみなければわからない。対局が始まると両者互いに譲らず、ひとつの千日手、ひとつの持将棋をはさんで3勝3敗と、9局目にもつれこんでもまだ決着がつかない。文字通りの死闘だった。
 そして迎えた10局目、ここでも指し直し後、ついに女神が加藤にほほえむ時がきた。難解な終盤。最後に詰みを発見した加藤の口から出た叫びが、

「うひょー」

 伝統の名人戦で、歓声をあげるなど不謹慎だという声もあった。しかしそれは、名人の重みを誰よりもよく知る大棋士の心からの叫びだったにちがいない。

 


地震兵器に津波兵器、浜田和幸参院議員の仰天発言

2011-07-13 00:43:50 | Weblog

 昨日に続いてテスラがらみの話題。
 新しく復興担当の政務官に就任した浜田和幸参院議員が、衆院の委員会で地震兵器や津波兵器の可能性に言及したという驚くべき記事が飛び込んできた。
 11日(月)の東日本大震災復興特別委員会で、みんなの党の柿沢未途氏の質問に答えたもの。

 柿沢氏が取り上げたのは、雑誌「新潮45」2005年3月号に掲載された「スマトラ沖地震に隠された仰天情報」と題された浜田氏の論文。この中で浜田氏はスマトラ島沖地震が「地震兵器」、「津波兵器」により引き起こされた可能性があるとし、アメリカの関与を示唆しているという。
 浜田氏は復興担当の政務官として、国際協力を得なければならない立場。その担当者には不適格だとする柿沢氏に対して、浜田氏は「地震や津波を人工的に起こすのは技術的に可能で、国際政治、軍事上で常識化されている」と改めて持論を展開したそうである。
 衆院の委員会での発言だから、これは確信的な発言である。
 オカルト雑誌の読み過ぎだとか、なにか宗教か陰謀論にでもはまっているのだろうというのは簡単だが、仮にも浜田氏は国家の中枢にいる政務官。そんな要職にある者が、「地震兵器」などといったオカルト話を信じ、あまつさえ委員会で堂々と公言していいものか。
 大震災直後にも、同様の発言をした女性の県会議員さんがいたが、それとは重みが違う。

 浜田氏といえば「快人エジソン」という興味深いエジソン論もあらわしている気鋭の国際政治学者。エジソンとテスラを比較した拙著でも参考にさせてもらっているだけに、なぜにという思いが強い。
 確信的な発言だとすれば、これからも「トンデモな」発言が飛び出す可能性が高い。最近も本題とは関係ないところで話題になり、ろくに職務を果たせないうちに辞職した政務官や大臣がいた。このままトンデモ発言を続けていけば、彼らの二の舞になりかねない。
 浜田氏もエジソン学者なら、地震兵器や津波兵器など存在しないことは百も承知のはず。もちろん、まともなテスラ学者にも信じている者などいない。
 そんな与太話は早く忘れて、被災者のために職務に専念されることを望みたい。

 

 


テスラと節電でちょっと気になった記事

2011-07-10 23:28:52 | Weblog

 東北大震災以来、メディアでテスラの名を見かける機会がふえてきたような気がする。これにはいくつかの理由があるだろう。
 ひとつは脱原発・自然エネルギーの利用促進などが進む中で、今日の電力システムの創始者として紹介される機会がふえたこと。原発も基本的には、テスラのシステムの上に乗っていることはいうまでもない。
 もうひとつは、その一方で彼の無線送電や世界システムが脱原発・自然エネルギーの先駆としても評価されていることである。そして最後は毎度おなじみ「地震兵器」の一席。
 最後は論外としても、あとのふたつは当然の評価だろう。そんな中でひとつ気になる記事があった。それは超伝導直流送電を紹介した「<特集>「究極の節電」の実現に向けて(2)=効率送電、リニアモーターカーを支える超電導記事」と題する株式投信情報サイト「モーニングスター」の記事である。

 記者は、最近、節電技術のひとつとして超伝導直流送電がクローズアップされているとして、「米国における電力事業の草創期(1880年代)、大規模発電・交流送電を提唱するニコラ・テスラと、分散型発電・直流送電を支持するエジソンとの対立があり、前者が勝利したのは著名なエピソード」だと書いている。
 そして交流は現在の電力システムの主流だが、長距離送電におけるロスの大きさや、直流を前提としている自然エネルギーの普及に不利といった短所もあるとしている。そして超伝導を利用した直流送電がこれを克服する鍵になるかもしれないと指摘している。

 たしかに超伝導直流送電はすでに交流送電網の一部を代替しているし、両者の利点を活かした棲み分けや共生も進んでいる。
 記事は大筋では正しいが、上記の引用には読者に誤解されかねない部分もある。それは当時、送電方法には二つの選択肢があり、テスラは大規模・交流発電を選択し、エジソンは分散型・直流発電を選択した、とも読めることである。
 しかし、これは正確ではない。エジソンは直流を「選択」したが、それは交流と直流を比較して直流を選択したわけはなかった。彼が電力システムの建設に着手した当時、交流による電力システムは存在しなかった。交流による大規模発電・長距離送電という選択は、テスラによって初めて可能になったのである。つまり、エジソンは他に選択肢がない中で、当時、一応形が整いつつあった直流技術にかけたのだった。
 同じく分散型についても、最初から大規模発電を否定したわけではなかった。エジソンも大規模発電・長距離送電を望んでいたが、当時、直流では技術的に不可能だったため、やむをえず次々に(約3キロごとに)小規模発電所を建設したにすぎない。これをエジソンが分散システムを選択したかのようにいうのは、やはり無理があるだろう。

 これと似たような切り口の記事はほかでも見かけた。「電流戦争」を、現代の送・発電システムに結びつける議論はこれからも多くなると思うので、テスラを取り上げてもらったことには感謝を表しつつ、少し細かいところを指摘させていただいた。あしからず。


猪野修治『サイエンス・ブックレヴュー』について

2011-06-01 00:03:42 | Weblog
 旧知の猪野修治さんが先頃、2冊目の単行本を上梓された。
 タイトルは『サイエンス・ブックレヴュー』(閏月社)。新聞や雑誌に掲載した科学書や思想書の書評を集めたものである。
 猪野さんは、高校で物理の教鞭をとるかたわら、科学史、思想史に関心をもち、その主題の論考や書評などをメディアに発表してきた。また、わたしの地元である藤沢市で、湘南科学史懇話会という科学史の研究会を長年主宰されてきた。
 この研究会は毎回各分野の碩学を迎えて、講演と質疑応答でたっぷり4時間はとるというハードなもので、一回が優に一つのイベントに匹敵するほどの濃い内容だった。わたしにとっては日頃の不勉強を省みるよい機会となった。
 アインシュタイン研究家の金子務氏、科学史家の唐木田健一氏、グラムシ研究家の片桐薫氏、藤沢在住の思想家いいだもも氏など、こういう機会がなければ、あまりご縁のない方たちと、同席できたのも大きな収穫だった。
 この研究会で特筆すべきは、講演ごとにその内容をまとめて、毎回、分厚い冊子(『湘南科学史懇話会通信』)を刊行してきたことである。編集から製作まで、すべて猪野さんの尽力によると承知している。その労力たるや並み大抵のものではなかっただろう。
 さて本書は著者がその旺盛なエネルギーで、科学・技術・思想分野の力作・問題作に果敢に切り込んだ書評集である。いずれも変化球ではなく、真っ向直球勝負を挑んでいるところが、率直な人柄の猪野さんらしい。
 真っ向勝負と言っても、その批評は勢いにまかせた独断や蛮勇とはほど遠く、あくまでも書物に即して語るという姿勢に貫かれている。精緻な分析の中に、しかし随所にあふれる思いや、個性のきらめきは、科学史や思想史に寄せる著者の思いの深さと、それを通して鍛えた思想の密度によるだろう。
 集中の圧巻は山本義隆氏の『磁力と重力の発見』の書評である。魔術から近代科学技術の誕生に至る西洋科学史を独自の視点で扱ったこの大著を、著者は共感と畏敬の念をこめて丹念に読み解いている。物理学史、科学史の該博な知識に裏付けされたその読みは、長年の思想的随伴者ならではの卓見と強靱な思考力に満ちている。
 原爆労働者の息子の死を追求した嶋橋美智子氏の『息子はなぜ白血病で死んだか』(技術と人間)の書評は、現在の視点からとくに感慨を催させる。「嶋橋美智子氏の闘いは今も続いている」という著者の言葉どおり、ひとりの青年の死を通して原発労働の実態を告発した文章に真摯に向き合うのに、遅すぎるということはないだろう。
 紹介されている書物の中には未読のものも多く、わたしが翻訳したニコラ・テスラ、パトリック・ゲデスの著書に対する過分なお褒めの言葉もあったりで、冷静な評にはなりにくい面もあるが、著書を通して優れた一個の作品を読んだという充実感を味わうことができた。
 この骨太な書評集を少しでも多くの人に薦めたい。


猪野修治
『サイエンス・ブックレヴュー』
閏月社
2011年3月刊
2800円


地震と作業所のこと

2011-03-17 13:27:29 | Weblog
「遊行の盆」や「福祉まつり」のボランティアを通して仲良くなった矢野所長に誘われて、精神障害の作業所の非常勤職員になってからはや2年が立った。メンバーとも気心が通じるようになり、スタッフもよい人ばかりで、環境には満足している。
 作業所といっても、ここは所内での作業は少なく、メンバーのための文化・教養・スポーツなどのプログラムと、雇用契約による清掃事業が中心である。プログラムは絵画、生け花、茶道、書道、料理、ヨガ、体操、ハイキングなど十数種類あり、講師はみなボランティア。職員も特技や趣味をいかして、その一翼をになっている。わたしも「文章講座」を担当させてもらっている。
 文章講座も始めてから2年近くなる。講座と名前は堅苦しいが、内容はメンバーに書いてもらった短い文章をもとに雑談するだけである。その中で書き手自身が言いたかったことをよく理解し、少しでも掘り下げられれば目的は達したと思っている。はなから文章の巧拙は関係ないと思っていたが、その繰り返しのうちに、文章もしだいに上達してきたのはうれしい発見だった。
 毎回、こちらで用意した詩や短い文章も紹介しているが、星新一のショートショートが長すぎるといわれたり、意外な反応が返ってきてこれもおもしろい。これまでの文章は、年6回発行の機関誌に順次紹介してきたが、来年度は別冊形式でまとまられればと思っている。

 このたびの地震や原発事故で、メンバーの中には恐怖や不安を抱いて、変調を来している者が少なからずいる。こんなときは、作業所が開いていることが心の安定につながると考えて、停電中も開所し続けている。
 もちろん交通事情などもあるし、家のほうが安心できるメンバーには在宅を勧め、あとは電話で対応している。
 被災者の救出・支援、被災地の一日も早い復興とともに、作業所にも平穏な日々が戻ることを心から願っている。