“わが家は、豊かな自然がいっぱいの静かな山村に住む三世代、七人家族です。テレビで気象予報土が、これからの季節は「一雨一度」と言っていました。雨が降るごとに気温が一度下がるとのことで、なるほどそうなんだと、興味深く聞き入っていました。
ここ岐阜県・聞ケ原は伊吹おろしの直下。時には新幹線も止めてしまう雪の名所。昔から積雪量は「一里一尺」と聞き伝わっています。伊吹山から一里遠ざかるごとに、雪の積もる量が一尺減るという意味。現代の言葉で言えば「四キロ三十センチ」ということです。
滋賀県境あたりから四キロ伊吹山寄りなら、三十センチ雪が深く、四キロ南なら三十センチ浅いということ。本当にその通りで、うまく言っているなと思います。
朝、家を出るときは大降り。長靴をはいて駅まで行くとぐっと小降り。大垣駅前ではからっから。そんな経験は何度かありました。勤め先に着くと、みんなから心配されたり、慰められたり。でも、私は雪自慢、「明日は屋根の雪下ろしに来てね」などと、楽しい雪談議に花が咲いたものです。最近はあまり降らなくなり、ありがたい半面、何か寂しい思いがしています。”(10月25日付け中日新聞)
岐阜県関ケ原町の農業・相撲さん(男・82)の投稿文です。この時期一雨ごとに寒くなる。これは長年、身に沁みて思ってきたことである。でも「一雨一度」という言葉は知らなかった。日本には味わいのあるいい言葉があるものである。「一里一尺」と言うのもいい。これはその地域の言葉である。まさに地方文化である。
ボクの家は相撲さんから比べれば、はるかに伊吹山から遠いが、それでも伊吹おろしの影響を受けている。空風が吹く。それで大根切り干しを作る。ボクは今の所から知多半島に通勤していた時がある。雪で長靴を履いて家を出る。ところが勤務地は快晴である。苦労して出てきたのにと、力が抜けてしまう。相撲さんと同じ経験である。
ところでボクの地方にこんな言葉はないか。何かあるだろうが、考えてみたが思い当たらない。こういう言葉は伝えなければ残らない。ボクは昔からの行事や言い伝えを残さねばいけない、と思ってきた。長老と言われ人に話したこともある。でもまだ何もできていない。最近長老が次々と亡くなった。もう時間はない。立たねばいけないだろうか?