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寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2549話) 自由な抹茶

2017年12月28日 | 知識

 “尾張地方でも庶民の伝統文化だった抹茶を飲む習慣が廃れつつある。昔の家々では少し立ち寄った人にも抹茶をたて、縁側で茶わんを手に談笑する大人を見掛けたものだ。近年はたてるのが面倒だと言う人もいようが、毎朝我流で抹茶をたてる私からすると緑茶やコーヒーと手間に大差はない気がする。色鮮やかな緑を目で楽しみ、うまさと苦さの味わいを舌で感じている。
 妻は茶道をたしなんでいるが、守らなければならない作法が多数あるようだ。茶の湯の世界と縁が深い「御深井焼」の有名な作家だった故加藤舜陶さんや千利休は「ただ飲めば良い」と言っていたとか。それなら現代らしく、自由な抹茶を楽しめば良いと私は思う。”(1月7日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の加藤さん(男・76)の投稿文です。抹茶文化は尾張地方独特のものであるのか・・・そんなことを聞いた気はするが、自信はない。でも、言われてみればそんな体験もある。ボクは海部地方に勤務していたことがある。仕事で訪ねると、まず縁側で抹茶を出されたことを思い出す。度々あった気がする。そしてボクの地域でも、寺院へ行けば抹茶がでる。報恩講などあれば抹茶を出すのが年行司の仕事である。これは今でもそうである。抹茶というとまずお茶の作法が思い浮かぶ。習ったことがない人はまず及び腰になる。ボクもそうである。茶碗を手前に回して、三口半などと不器用に見よう見まねではオドオドして、お茶を味わうどころではない。これをボクも長年してきた。知らないものは知らないのである。ここは下品と思われようと何と思われようと「ただ飲めば良い」と開き直った方が得策である。加藤さんが言われるように「自由な抹茶を楽しめば良い」のだ。つい先日ボクはこんなこともしてしまった。まず半分の茶菓子を食べる。そして抹茶を飲む。そして残りの茶菓子の半分を飲み、また残した抹茶を飲んだ。あれがボクの口に一番合っている。楽しくおいしく、これが一番である。


(第2545話) 新聞で息子に

2017年12月20日 | 知識

 “半世紀以上前、私は離婚して当時三歳の息子と別れて暮らすことになりました。息子のことを忘れた日はありませんでしたが、会うこともできず、私はつらくて「死にたい」と思った時期もありました。そんなときに新聞への投稿を始めました。自分の思いをつづることで気持ちが少し楽になっていきました。
 月日は流れ、息子が三十代になった二十五年ほど前のことです。大阪にいた息子が趣味の陶器を岐阜県土岐市から取り寄せたら、私の投稿が載った新聞に包まれて届いたそうです。子を思う内容の私の投稿を読んだ息子は心を動かされたのか、その後、私の住所を探して「会いたい」と連絡をくれました。
 三十数年ぶりに会った息子は立派に成長していて、親子の絆も復活しました。今は時々大阪から名古屋に来てくれて、一緒に食事をしています。”(11月29日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小野寺さん(80)の投稿文です。息子さんが買った買い物を包んだ新聞が、自分の投稿文が載っていた新聞とは、こんな偶然があるだろうか。それも遠い距離である、もう何十年と会ったことがない親子である。投稿文であるから小さな文である。探しても見つからない位のスペースであろう。これが目についた。これはもう奇跡である。こうなる宿命があった、としか思えない。そして、息子さんもお母さんを気にしていたのだろう。住所を探して連絡をくれた。親子の再会となった。人生こんなことも起こるのだ。
 親子は切っても切れない仲にある、そういうことと思う。一つ間違った親子は他人より難しい。不仲のまま人生終わることもある。それでも忘れられない、縁が切れないのが親子である。血のつながりとはそう言ったものであろう。亡くなった後、より思うものである。ボクも少しそれを担っている。


(第2542話) 脈拍知って

2017年12月13日 | 知識

 “長時間労働による過労死が社会問題となっている。私は外科医として忙しく働いていた四十八歳のとき自身の脈の異常に気付き、過労死を免れた経験がある。以来自らの働き方を見直してこの四半世紀、健康診断に携わってきているが、自分の脈拍数や不整脈の有無を知らない人が多い。手首の親指側の動脈に触れて脈を数える方法を知らない人も増えているようだ。
 正常な脈拍数は「一分間に規則的に60」とされている。健診では一分間に50~99を基準値としているが、健康でも100以上ある「頻脈」の人は少なくなく、スポーツをよくする人は「徐脈」といって30台の場合もよくみられる。
 脈拍は自律神経の活動に連動している。運動やストレスで交感神経が緊張すると脈拍数は増え、気持ちが落ち着くと今度は副交感神経が緊張して減る煩向にあり、ストレスや心の状態を映しているとも言える。自分で脈に触れれば心の状態を知ることにもつながるのでお勧めしたい。”(11月23日付け中日新聞)

 名古屋市の医師・小島さん(男・74)の投稿文です。投稿者は医師である。その医師が、長時間労働で脈拍以上に気づき、死を免れたという。医師は見ていても肉体的にも精神的にも辛い職業と感じる。高額を手に入れても使う時間がなかろうと、余分な心配をする。
 ボクは高血圧と診断されてから、時折自宅で血圧を測る。血圧を測ると脈拍も同時に測ってくれる。小島さんは「正常な脈拍数は一分間に規則的に60」とされていると言われる。ボクは平常時はまさにその60前後である。高い時には何かあるかと、自問する。ボクは小島さんが言われることを実行していることになる。これについてはまずは良しである。
 高齢になると、いくら健康を誇っていてもいろいろ異常が生じるし、弱っている。特に筋肉である。人は体中筋肉で覆われている。意識して鍛えても一部である。健康番組を見ていると気が遠くなる。すべてを意識することは出来ることではない。これが歳を取ると言うことであろう。脈拍も血圧も意識しやすい部類であるので、注意を払いたい。


(第2537話) 量り売り

2017年12月03日 | 知識

 “食欲の秋です。友達と会えばあいさつ代わりに「今度一緒にご飯を食べに行こう!」と声を掛けられます。私たちぐらいの年齢になると若い頃よりも食べられる量が減り、飲食店では出された分を食べきれず、残してしまうことがよくあり、抵抗を感じていました。先日、サークルの先生がそんな私たちに良い店を紹介してくれ、JR岐阜駅近くの和食店に仲間とランチに出掛けました。
 店内にはひじきや野菜の煮物などたくさんの種類の総菜が並べられています。自分の食べたい物を食べられる分量だけを取ることができ、それをはかりにかけると重さに応じた金額が表示されます。私が払ったのは千円足らずで、友達と「この仕組みは良いわね」と話しながら完食しました。食べ残してしまう人のために持ち帰り用の容器も用意されていました。
 食べ残しが社会問題となっていますが、超高齢化社会の中で、このような工夫をして提供する店が増えると良いなと思いました。”(11月14日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の主婦・長岡さん(69)の投稿文です。「量り売り」は、食料品店などで昔行われていたと思いますが、今はどうでしょう。妻の買い物を見てもほとんど見たことがありません。それがこんな飲食店で聞くとは、びっくりです。高齢になると食事量は減ってきます。ボクなど大食いを誇っていましたが、自分でも驚くほど減ってきました。そしてそれ程食べたいと思いません。レストランではある程度量が分かって注文できますが、旅館ではそうはいきません。老人会旅行を見るとかなり食べ残してあります。本当にこれでいいのかと思ってしまいます。日本では食品廃棄物は国民1人当たりだと171kgにもなり、世界で一番食べ物を捨てている国だといわれているようです。食品大量輸入国においてです。
 そんな中、量り売りの総菜がでるとは、良い知恵だと思います。いろいろな反省があってこのような知恵がでてきたのでしょうか。こんな店が多くなると良いと思います。


(第2531話) 「赤ちゃん乗車中」

2017年11月21日 | 知識

 “「赤ちゃんが乗っています」という表示がある車をよく見掛けます。私は「この車には大切な小さな子が乗っているのでくれぐれもぶつけないでね」という意味だと勝手に解釈していました。わが家にも幼児はいますが、おこがましい気がしてあえて表示はしませんでした。
 しかし先日、表示の本当の意味を知りました。「子どもがぐずったり騒いだりして運転者は集中できず、気になって後部座席を見て急ハンドルや急ブレーキをしてしまうことがあるかもしれません」という注意喚起だったのです。私自身の経験からもその真意に「なるほど」と思いました。表示がある車の近くを走行する車はなるべく車間距離をとるようにしてください。”(11月2日付け中日新聞)

 三重県桑名市の会社員・藤谷さん(女・34)の投稿文です。ボクはこの表示を見たことがありません。まだあまり普及していないのでしょうか。「赤ちゃん乗車中」のステッカーを始めて見た時この文字をどう受け取るのでしょうか。その例を藤谷さんが示してくれた気がします。そして、インターネットで少し調べて見ました。好意的、批判的、いろいろな意見があることを知りました。この「話・話」でもいろいろ表示を紹介したことがあります。知った時良いと思っても、正しく意味を知って普及しなければあまり意味がありません。車の初心者マークや高齢者マークはよく知られている方でしょう。そして、その効果はどうでしょうか。付けていることで近くの車が配慮してくれるのか、返って嫌がらせされるのか、よく分かりません。横断歩道でさえ止まる車はほとんどありません。そんな状況で、マークを付けることがいい意味になるか不安です。ボクももう高齢者マークを付けることに何の抵抗感もありませんが、でもそれが良いことになるのか確信が持てないことが躊躇させています。マークを貼る人も、またマークを貼った車を見かけた人も、お互いの思いやりの心がないと、逆効果さえ生じます。もっとやさしい社会になることを願いたと思います。


(第2523話) 正攻法の25歳

2017年11月04日 | 知識

 “新聞社にはさまざまな仕事がある。将棋や囲碁のタイトル戦の運営も、そのひとつ。今月は囲碁の天元戦(十一日、愛知県豊田市)の準備、そして将棋の王位戦の来年の会場選定に追われている。
 対局室の照明は暗くないか、畳は古くないか、思わぬ騒音はないか、空調は十分か。対局前のお茶、午前と午後のおやつ、昼食のメニュ・・・。会場となるホテルとの打ち合わせは盛りだくさんだ。盤面をインターネット中継するための天井カメラ設置の可否の確認なんて作業もある。
 そんな折、八月に今年の将棋の王位戦を制した菅井竜也七段(二五)から文化部にこんな手紙が届いた。「王位戦七番勝負で大変お世話になりました。対局者が集中出来る環境を作って頂き、感謝しています」ほんのり若草色の便箋に丁寧な手書きのボールペン文字。事務作業の疲れが吹き飛ぶ思いがした。
 平成生まれの棋士で初のタイトル保侍者で、流行のコンピューターソフトによる研さんがあまり好きでないとも聞く。定跡通りでない新手をたびたび放つことで知られるが、裏方への配慮は正玖法。話題の藤井聡太四段(一五)以外にも、棋界には魅力が多い。”(10月8日付け中日新聞)

 「世談」と言う欄から文化部長・清水さんの文です。将棋の対戦にこのような配慮がなされていることにびっくりもし、納得もする。何事も主催者や裏方になる人はいろいろな苦労がある。多くの人はそれをある程度知っていても、本当の大変さは知らない。表に出る人は、自分が主役と思っているが、裏方があってのことである。それを間違えてはならない。菅井さんはそれがよく分かっておられるのである。清水さんがわざわざこのことを文にされると言うことは、裏方にこれほどの配慮をされる人は少ないと言うことであろうか。何事も謙虚さを忘れてはならない。感謝を忘れてはならない。
 例えばこんなこともある。先日町会長から、雨のため一斉ゴミ拾い延期の知らせが入った。依頼した時には紙1枚で済むが、予定変更は電話等で緊急に知らせねばならない。そして苦情を言われることはあっても、何の成果にもならない。これが意外に大変なのだ。ボクも先日の老人クラブ役員会で、思わず苦言を吐いてしまった。提出日までに提出がないと、何度も足を運んで取りに行ったり、請求をしなければならない。キチンと約束を守ってもらえば何でもないことが、これは表に現れない大きな苦労である。役員や裏方に対する対応をいつも心しておきたい。


(第2515話) 広い駐車場

2017年10月12日 | 知識

 “自宅近くの大型スーパーへ1人で買い物に行き、広い駐車場に白い軽自動車を止めました。駐車場に番号などは振ってありません。その日はとても慌てていて、急いで買い物を終え、車に戻ろうとしましたが、止めた場所が分からなくなってしまいました。私と同じ色や車種の車がたくさん並び、駐車したときに近くに止まっていた車は入れ替わっていたのでパニックになりました。自分の車のナンバーを思い出して冷静になって捜すこと二~三分。ようやくマイカーが見つかりました。
 既に工夫している施設もありますが、大きな駐車場だと地面や柱などを色分けしてもらえたらと思っています。特に日本では白、黒、シルバーといった色の車が多い気がしますので。私たちはもっと目立つ色や柄の車体を選んだり、目印を付けたりすることも必要かもしれません。乗り手の個性が出て運転も楽しめるのではないでしょうか。”(9月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・犬飼さん(53)の投稿文です。これは有効な意見である。ボクも少し大きな駐車場だと、どこに置いたかな、と迷うことは多い。管理者がこのことに気づけば、実施することは比較的簡単なことである。それも一方法だけでなく、できることはして欲しい。高齢者には特に必要だが、若い人にも有効であると思う。
 先日孫の小学校運動会に行った。しかし、孫がどこにいるか分からない。探しているうちにその種目が終わってしまう。ところが、別の小学校の話が出た。1枚の紙に種目毎に略図が書いてあるものが学校から配布されたという。孫から、その略図に自分のいる位置が記入された物をもらったと言うのである。おおよその位置が分かれば探すのも早い。いい知恵と思った。頭は使いようである。


(第2510話) 食中毒防ぐ

2017年10月01日 | 知識

 “腸管出血性大腸菌O157による食中毒が問題になっているのを知り、私は一つの教えを思い出した。五十年以上前に林業関連会社で働いていたとき、ある男性と知り合った。彼は山で伐採した材木をケーブルで麓に搬出する作業を請け負い、現場で親方を務めていた。伐採作業中は簡単な山小屋を建てて、1ヵ月ほど作集員たちが集団生活をした。山小屋に冷蔵庫はなく、麓から食料を運んだり、町へ買い出しに行ったりしていた。
 親方は「食べ物を口にするときは『作れ』『焼け』『炊け』『ほったれ』の順番を守りなさい」と教えてくれた。新鮮な食材は刺し身などで、食べられるかが怪しくなったら焼き、さらに危ないと思ったら煮炊き、それでも駄目なら捨てろというのだ。作業員たちは山に入ると新鮮な食料を手に入れられなくなるので、生活の知恵として実践していたようだ。以来私もこの教えを守っている。”(9月13日付け中日新聞)

 津市の自営業・村田さん(男・81)の投稿文です。O157の患者が発生し、死亡者まで出た。その店は全店を閉鎖をした。大変な騒ぎになっている。今は食品の衛生管理がしっかりし、それに従っていれば問題なく過ごしている。しかし、その昔は個人が、その食べ物の状態を把握して判断していた。その一つの知恵がこの親方の言葉であろう。この知恵は食品を無駄なく使おうという知恵がある。今はどうだろう。賞味期限が過ぎれば捨てる。本当はまだ十分に食べられるのにである。自分の知恵で判断するのではなく、書いていることに従っているのである。書いてあることは、すべてを一律に扱うので、自然安全側に働く。食べられないものを売ったのではなく、賞味期限を過ぎた物を売ったことで処罰がされる。ものの溢れた豊かな日本だからであろうか。いつまでこのような生活が続けられるもだろうか。安全は自分で守るものではなく、守ってもらう時代になってしまった。他人任せである。これを進歩というのだろうか。マニュアルニッポン、どこへ行く。


(第2492話) 生卵

2017年08月22日 | 知識

 “一年前、ベトナムから日本に来ました。先に来日していた姉が迎えに来てくれ、すぐに牛丼店へ行きました。姉が注文した「ねぎたま牛丼」を見て、私はびっくりしました。ネギがたっぷりの牛丼の上に、何と生卵がのっていたのです。姉が「生卵を、ご飯と混ぜてから食べるんだよ」と教えてくれました。私は「とても食べられない」と思いましたが、食べたら本当においしかったです。
 日本より暑いベトナムでは、生卵を食べることはほとんどありません。姉から「生卵は健康に良いんだよ」とも聞きました。私は今では外食のたびに生卵とご飯を食べています。これまで日本でいろいろな驚きがありましたが、生卵を食べることが一番面白かったです。”(8月3日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の留学生・ウォー・ゴック・ユー・トゥイ(男・22)の投稿文です。食べ物もこのように変わるのか、まさに所変われば、です。生卵が好きな日本人は多いでしょう。ベトナムでは食べないとは・・・日本人のこれほどの好物を食べないのだ。日本に来て生卵のおいしさを知って感激されたとは、嬉しいことだ。世界中の嗜好を見れば驚くことばかりであろう。外国へ行く妙味がここにある。
 ネギ玉丼はボクの好物である。牛丼に生卵をかけると全く味が違ってくる。そこにネギのシャキシャキ感が加わると更に味が違う。最近は牛丼店へ行くと、いつもネギ玉丼である。昔の麦ご飯に生卵がごちそうであった頃と比べると、今は牛丼にネギ玉であるから、比較にならない高級化である。でも喜びは麦飯に生卵の方が大きかったと思う。ちなみにボクがカツ丼やさんへ行くと、いつも味噌カツ丼である。辛子を付け、生のキャベツと一緒に食べるとまたおいしい。


(第2487話) 畑に根付く

2017年08月12日 | 知識

 “近所で畑を借りて野菜を作っている。今年は良いタマネギができてうれしかった。去年は300本が全部ピンポン球ぐらいで、しかも半分は、「とう立ち」してしまった。
 実家の母はタマネギを作るのが得意で、近所の人たちに買ってもらっていた時期もあった。その母が言っていたことを思い出し、今年は植え付け場所へ早めの1月に施肥をしておいたのが良かったようだ。施肥の際、苗が霜で浮き上がらないように軽く土を踏んでおいた。苗は元気だったが、去年のようになってしまわないか少し心配だった。4月になると小さな玉ができはじめた。「肥料より耕作」との言葉を思い出し、回りの土を2回ぐらい起こしてやった。すると急に大きくなり始め、5月にはソフトボールほどに育ったのが押し合いへし合いするようになった。
 収穫は晴天に恵まれ、4個ずつ束ねて軒下につるした。その後で草取りをしていると、土中から太さ1ミリ、長さ20センチくらいの張りめぐらされたような真っ白な根が無数に出てきた。これらが栄養をどんどん集めて送り込んでいたのだ。母が言っていた「冬の間は根が育つ」を実感した。”(7月28日付け朝日新聞)

 三重県いなべ市の主婦・梅山さん(69)の投稿文です。野菜作りは全く複雑である。こうすれば絶対に良いと言うものではない。土、気候などいろいろなものに作用される。全く同じ条件にはならない。放っておいても結構出来ることもあるし、いくら丁寧にやってもうまく行かないこともある。それでも熱心になればやはり報いられることは多い。人生と同じである。
 梅山さんは、収穫後に根が一面に張っていることに感動された。栄養の多くは根から取るのであるから当然ではあるが、根は見えないところにある。見て改めて気づくのである。知らないことろで努力がされていたのである。わが家のタマネギも今年は大きなものができたが、とう立ちも多かった。種を蒔く時期が早いととう立ちが多いとある。少しの気温に影響されるのである。「肥料より耕作」という言葉は知らなかった。固まった土に空気を補充せよと言うことであろうか。ともかく野菜作りは一筋縄ではいかないだけに面白い。猫の額ほどの畑だと更に楽しい。