
以前もらっていた「雲仙のおさんぽマップ」です。

湯元ホテルに吉井勇の歌碑があるのは知っていましたが、地図を見ていたつれ合いが「2つあるよ」と言うのです。
そんなバカなと半信半疑で見てみると本当に2つ載っています。

先日、この「雲仙おさんぽマップ」を片手に、新たな歌碑を訪ねてきました。
ジャーン!


(揮毫は茶道と縁の深い京都大徳寺の15代管長高田明浦猊下)
夕されば雲仙焼きの陶ものの

湯元ホテルに吉井勇の歌碑があるのは知っていましたが、地図を見ていたつれ合いが「2つあるよ」と言うのです。
そんなバカなと半信半疑で見てみると本当に2つ載っています。

先日、この「雲仙おさんぽマップ」を片手に、新たな歌碑を訪ねてきました。
ジャーン!


(揮毫は茶道と縁の深い京都大徳寺の15代管長高田明浦猊下)
夕されば雲仙焼きの陶ものの
窯のけむりも幽かなるかも
この歌は吉井勇歌集「旅塵」に載っていますが、この歌を詠んだのは昭和11年の大歌行脚で雲仙を訪れた7月14日のことではないかと思われます。それは歌碑が建っている雲仙焼窯にあった資料から推察できました。
制作中の4代目(許可をいただき撮影)

仕事の手を休めて、いろいろとお話をしてくださいました。
ギャラリーも見せてもらい


その奥には立派な茶室が

雲仙噴火の火山灰を用いて焼き上げた「油滴天目」

本に紹介されています

この本の中に、「1935年頃、茶人・繁田百鑒斉が窯を開く」と書いてありますが、1936年(昭和11年)が大歌行脚の年です。また、歌集「旅塵」が出版されたのが1944年(昭和19年)ですので、吉井が詠んだ年が特定できました。
創業したての窯元を訪ねた吉井は大いに感じるものがあったのでしょう。
雲仙を詠んだ11首の中に雲仙焼の窯の煙が詠まれていました。

夕されば雲仙焼きの陶ものの
この歌は吉井勇歌集「旅塵」に載っていますが、この歌を詠んだのは昭和11年の大歌行脚で雲仙を訪れた7月14日のことではないかと思われます。それは歌碑が建っている雲仙焼窯にあった資料から推察できました。
制作中の4代目(許可をいただき撮影)

仕事の手を休めて、いろいろとお話をしてくださいました。
ギャラリーも見せてもらい


その奥には立派な茶室が

雲仙噴火の火山灰を用いて焼き上げた「油滴天目」

本に紹介されています

この本の中に、「1935年頃、茶人・繁田百鑒斉が窯を開く」と書いてありますが、1936年(昭和11年)が大歌行脚の年です。また、歌集「旅塵」が出版されたのが1944年(昭和19年)ですので、吉井が詠んだ年が特定できました。
創業したての窯元を訪ねた吉井は大いに感じるものがあったのでしょう。
雲仙を詠んだ11首の中に雲仙焼の窯の煙が詠まれていました。

夕されば雲仙焼きの陶ものの
窯のけむりも幽かなるかも
―吉井勇―
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