新緑の候、まばゆいばかりの木々の輝きは、日常の忙しさを忘れさせ元気にしてくれます。
五家原岳からの縦走路の入口。新緑の美しさに思わずシャッターを押しました。
ミツバツツジが彩りを添えてくれもう最高です。
そしてツクシシャクナゲ
新緑に加えてこのツクシシャクナゲの美しさ、桃源郷を彷徨っているようです。
この境地を吉井勇が歌に詠んでいます。(本ブログで毎年紹介しています)
石楠花の大群落のなかに来ぬうつし世のこといかで思はむ (吉井勇)
「長崎県の山歩き」というガイドブックに、「そこから(五家原岳)から中岳へ至る尾根道は、シャクナゲ鑑賞コースです」と書かれていますが、今回初めて実感しました。今年は例年になく花が多く咲いています。ここまで時間を忘れてゆっくりと花を愛でながら歩きました。
ここまでで山を十分に堪能した気分になりましたが、これからが中岳の登りです。
そして中岳山頂
ミツバツツジの鮮やかなピンクとツクシシャクナゲの淡いそれがみごとに調和していました。
次に目指したのが、これも恒例のヤマシャクヤクの咲く花園です。
以前は「秘密の花園」でしたが、今では広く知られています。
案内板こそ出ていませんが、多くの人が通るので自然と道ができています。
藤村の詩にある「おのずからなる細道」とはこういう道をいうのでしょうか。
ここにも静かな新緑の世界が広がっていました。
そしてヤマシャクヤクは…
残念ながら花の時季を過ぎていました。
一つぐらいは残っているだろうとずいぶんと探したのですが…
でも、静かな山の懐に包まれて豊かな時間を過ごすことができました。
これで引き返すつもりでしたが、予定を変更して中岳から黒木に続く稜線に足を伸ばすことにしました。
あそこのやせ尾根にもシャクナゲの木が多くあったのを知っていたからです。
ここで思わぬ出会いがありました。
その方は、シャクナゲに包まれた中で、手製の竹の笛(短めの尺八?)を演奏をされていたのです。
ここは一般的なルートではないので、誰もいないと思っていたからお互いにびっくりです。
「人が多いところが嫌いでね」とお互いに話が合いました。
また、最近は分かりきったところに標識や目印が多いことも嘆いてらっしゃいました。
目印に巻くのであれば布、布だったら自然に還るとも話されていました。
私も、ビニールテープは巻き方によっては木を傷めると以前の國次太郎先生のエピソードを思い出しながら話をしました。
そんな話をしたその日、足にビニールテープの切れ端を絡めた「窮鳥」に出くわしました。
あのビニールテープが目印のためのそれだったかどうかは分かりませんが、ビニールテープは思わぬ形で自然を傷つけかねません。
話がそれましたが、その方と別れた後、私も静かな尾根の一角でシャクナゲに包まれながら昼食としました。
ああ心の休日、「うつし世のこといかで思はむ」
以下は、本日の毎日新聞の「余録」の一部です。
「自然と向き合う時間は日常生活を見つめ直す時間でもある。新緑の候、大型連休のひと時は五感を研ぎ澄ませて身近な自然を感じてみたい。思わぬところで自分なりの『森の教室』が見つかるかもしれない。」(毎日新聞 「余録」5月1日)
五家原岳からの縦走路の入口。新緑の美しさに思わずシャッターを押しました。
ミツバツツジが彩りを添えてくれもう最高です。
そしてツクシシャクナゲ
新緑に加えてこのツクシシャクナゲの美しさ、桃源郷を彷徨っているようです。
この境地を吉井勇が歌に詠んでいます。(本ブログで毎年紹介しています)
石楠花の大群落のなかに来ぬうつし世のこといかで思はむ (吉井勇)
「長崎県の山歩き」というガイドブックに、「そこから(五家原岳)から中岳へ至る尾根道は、シャクナゲ鑑賞コースです」と書かれていますが、今回初めて実感しました。今年は例年になく花が多く咲いています。ここまで時間を忘れてゆっくりと花を愛でながら歩きました。
ここまでで山を十分に堪能した気分になりましたが、これからが中岳の登りです。
そして中岳山頂
ミツバツツジの鮮やかなピンクとツクシシャクナゲの淡いそれがみごとに調和していました。
次に目指したのが、これも恒例のヤマシャクヤクの咲く花園です。
以前は「秘密の花園」でしたが、今では広く知られています。
案内板こそ出ていませんが、多くの人が通るので自然と道ができています。
藤村の詩にある「おのずからなる細道」とはこういう道をいうのでしょうか。
ここにも静かな新緑の世界が広がっていました。
そしてヤマシャクヤクは…
残念ながら花の時季を過ぎていました。
一つぐらいは残っているだろうとずいぶんと探したのですが…
でも、静かな山の懐に包まれて豊かな時間を過ごすことができました。
これで引き返すつもりでしたが、予定を変更して中岳から黒木に続く稜線に足を伸ばすことにしました。
あそこのやせ尾根にもシャクナゲの木が多くあったのを知っていたからです。
ここで思わぬ出会いがありました。
その方は、シャクナゲに包まれた中で、手製の竹の笛(短めの尺八?)を演奏をされていたのです。
ここは一般的なルートではないので、誰もいないと思っていたからお互いにびっくりです。
「人が多いところが嫌いでね」とお互いに話が合いました。
また、最近は分かりきったところに標識や目印が多いことも嘆いてらっしゃいました。
目印に巻くのであれば布、布だったら自然に還るとも話されていました。
私も、ビニールテープは巻き方によっては木を傷めると以前の國次太郎先生のエピソードを思い出しながら話をしました。
そんな話をしたその日、足にビニールテープの切れ端を絡めた「窮鳥」に出くわしました。
あのビニールテープが目印のためのそれだったかどうかは分かりませんが、ビニールテープは思わぬ形で自然を傷つけかねません。
話がそれましたが、その方と別れた後、私も静かな尾根の一角でシャクナゲに包まれながら昼食としました。
ああ心の休日、「うつし世のこといかで思はむ」
以下は、本日の毎日新聞の「余録」の一部です。
「自然と向き合う時間は日常生活を見つめ直す時間でもある。新緑の候、大型連休のひと時は五感を研ぎ澄ませて身近な自然を感じてみたい。思わぬところで自分なりの『森の教室』が見つかるかもしれない。」(毎日新聞 「余録」5月1日)