天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

朝日新聞 こころの風景

2006-08-03 23:58:32 | 仏教
昨日の夕刊で「お浄土」ということばが目に飛び込んできました。
なかなか一般紙上で宗教的なことばを目にすることは少ないので、「ん?」と思って読んでみると納得、書いているのはお坊さん。
本文をご紹介します。

こころの風景「お浄土の風景」

 「遠くて近きもの、極楽」といったのは清少納言だ。私も同感。阿弥陀さまやお浄土と同じ次元にいないことは確かだが、極薄のすき間を隔てて、私の内側だか外側だかわからないぐらい身近な存在である。

 一方、紫式部は「源氏物語」に横川の僧都のことを記していて、それは源信和尚のことらしい。「往生要集」を著した和尚はまた山越し阿弥陀の図像を編み出したとされる。山の向こうから巨人のような阿弥陀さまが拝む来迎図だ。源信和尚は当麻郷の人で、私の住む奈良県広陵町と生誕地が近い。図像の山は二上山に思える。和尚も子どものころ、二上山に沈む夕日を眺めたに違いない。

 私には、信頼できる極楽浄土のビジュアルイメージが何もない。見たことがないから、当たり前ではあるが。「無上仏と申すはかたちもましまさず」という親鸞聖人の言葉にはほっとした。「何ものにもとらわれない自由」という当代の本願寺門主の言葉には親近感を覚えた。そして「はるばるとひろがる無限なるいのち」と表現された我が心の師の言葉からは、暗くはなくまぶしくもなく、静かだけれど無音でなく、温くもないが冷たくもない、穏やかな時空が広がった。それが唯一、私が勝手にイメージした、ピースフルなお浄土の光景である。

 山の向こうや空の上には何もない。でもここにとどく不思議。

(塚村真美氏 編集者・僧侶)


(2006.08.02 朝日新聞掲載)

塚村さんは浄土真宗本願寺派のお坊さん。
天真寺と同じお宗旨の方です。
だから、親鸞聖人やご門主の名前が出てくるんですね。
弟は大阪の「ワークルーム」でお会いしたことがあるらしいです。

「お浄土の風景」を読み大変共感しました。
私は仏さまという人、浄土という国と・・・すがた・かたちにこだわり頭が混乱し仏教がよく分からない時期がありました。
けれどそれは実体ではなく「はたらき」なんだと学び、納得できた覚えがあります。
今生きてることの不思議さ大切さに気づくことができるのは、そのはたらきにあうからこそ。

いつかは迎える死ならば、
お浄土って、天国ってと自分の往く世界のことを考えたり想像するのも大事な時間かも。。
安心して往ける世界があるからこそ、安心して生きられる。
大切なことを忘れないでいたいものだと思ったことです。

(静)