4月9日から始まった遠忌法要にお参りしてきました。
50年に一度のよろこび春となるはずでしたが、震災が起きて多くの人々が苦しむ姿を日々目にする中で、
私にとっては、手を合わせることの意味を自分の心に問い直す意義深い法要となりました。
一日目は、日野誕生院、大谷本廟と、親鸞聖人の足跡をたどりました。
夜は雄琴温泉へと向い、二日目はいよいよ法要当日。
緊張と楽しみが入り交じった思いで、京都までの道のりをバスで走りました。
いよいよ本願寺に着くと、境内は沢山の職員、また全国からの参拝のご門徒さんで溢れています。
3500人の満堂の御影堂にて、お参りをさせていただきました。
ご門主さまのお言葉。
新門さまのお言葉。
それぞれの椅子には、「震災にあわれたすべての方々の悲しみに寄り添いおつとめします」と書かれていました。
親鸞聖人が生きられたのも、混迷し、飢饉や争いの絶えない激動の時代だったと聞きます。
苦しみや悲しみにあった方々に思いを重ね、本当の救いを求められたのが聖人だったのでしょう。
今回のご縁に遇い、より深くそのお心に触れられたような気がします。
帰りは伊勢志摩と回って、三日間の参拝旅行が終わりました。
ちょうど桜が満開で、いい記念の旅になりました。
ただ今回はあまりに慌ただしく。。もう一度ゆっくりお参りしてみたいです。
あとはやっぱりお正信偈をあげないと、何となくお参りした気がしないな~というのが本音。
次は後半の音楽法要に、と思っています。
写真は壮年会会長のOさん撮影。
ありがとうございました。
(静)
50年に一度のよろこび春となるはずでしたが、震災が起きて多くの人々が苦しむ姿を日々目にする中で、
私にとっては、手を合わせることの意味を自分の心に問い直す意義深い法要となりました。
一日目は、日野誕生院、大谷本廟と、親鸞聖人の足跡をたどりました。
夜は雄琴温泉へと向い、二日目はいよいよ法要当日。
緊張と楽しみが入り交じった思いで、京都までの道のりをバスで走りました。
いよいよ本願寺に着くと、境内は沢山の職員、また全国からの参拝のご門徒さんで溢れています。
3500人の満堂の御影堂にて、お参りをさせていただきました。
ご門主さまのお言葉。
新門さまのお言葉。
それぞれの椅子には、「震災にあわれたすべての方々の悲しみに寄り添いおつとめします」と書かれていました。
親鸞聖人が生きられたのも、混迷し、飢饉や争いの絶えない激動の時代だったと聞きます。
苦しみや悲しみにあった方々に思いを重ね、本当の救いを求められたのが聖人だったのでしょう。
今回のご縁に遇い、より深くそのお心に触れられたような気がします。
帰りは伊勢志摩と回って、三日間の参拝旅行が終わりました。
ちょうど桜が満開で、いい記念の旅になりました。
ただ今回はあまりに慌ただしく。。もう一度ゆっくりお参りしてみたいです。
あとはやっぱりお正信偈をあげないと、何となくお参りした気がしないな~というのが本音。
次は後半の音楽法要に、と思っています。
写真は壮年会会長のOさん撮影。
ありがとうございました。
(静)