旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・鹿児島市(旧・鹿児島市)の旅 第41回

2017-05-29 22:11:44 | 41.鹿児島県・鹿児島市(旧・鹿児島市)の旅

 

こんにちは!!

第41回目の今回は、鹿児島市の中心地を訪れたいと思います。

ついに鹿児島県でもっとも都会な場所に行くことになるのですが、

初めに言っておかなければならないことがあります。

それは、とてもじゃないですが、1日だけでは鹿児島市内の市街地を回ることは不可能であることです。

あまりにも観光スポットや名所、お店、繁華街などが多すぎて

1日、実際には8時間程度の制限時間内では足りなすぎるということです。

道も複雑だし初めて訪れた私にとっては迷路のような場所でした。

天文館などは車で近くまで来たものの駐車する場所が空いてなかったり、混んでいたりして結局行けなかったのです。

しろくまアイス食えなかったのが悔やまれます・・・・

 

そんな鹿児島市内の旅ですが行ってみましょう。

仙巌園(せんがんえん)。

19代 島津光久によって別邸として建造された庭園。

後に28代 島津斉彬の集成館事業によって

仙巌園を含むこの場所は日本の産業革命のさきがけの地として

日本をリードすることになる。

庭園内の様子。

入場料は大人1000円と少々お高いが(御殿も見学なら1600円)

様々な見所満載の大名庭園なので払う価値は十分にある。

 

桜島を築山に錦江湾(鹿児島湾)を池に見立てるという壮大な庭園。

過去には勝海舟やグラバー、ニコライ2世など著名人たちも数多く訪れている。

 

 

 鉄製150ポンド砲(復元)。

島津斉彬の集成館事業の一環として軍備力増強の為、製造された。

反射炉跡。

燃料を燃やして発生した熱を壁に反射させて鉄を溶かす為の施設。

溶かされた鉄は大砲鋳造などに使われた。

反射炉跡を上からのぞいた画像。

仙巌園内は多数のお土産屋があり、そのどれもが江戸時代風の建物。

示現流(じげんりゅう)を紹介している建物。

 

 

示現流とは薩摩藩に伝わる剣術の一派で東郷重位が確立させた。

一撃必殺の剣で薩摩藩士の気迫とともに迫り来る太刀筋は幕府や他藩を恐れさせた。

また、示現流にはもう一つの流派があり野太刀自顕流(のだちじげんりゅう)というのがある。

これは大隅の大名家肝付氏の流れを汲む薬丸家に伝わる剣術で

後に薩摩藩の下級武士を中心に伝わり明治維新に至るまでに大いに活躍したことから

「明治維新は薬丸流でたたき上げた」と言われたそうな。

 

戦国時代まで犬猿の中であった島津氏と肝付氏。

結果、肝付氏は敗れ大隅半島を追い出されることになるが

江戸時代の間、剣術という形でついにタッグを組み、倒幕の原動力の一つになったというのは感慨深いものである。

仙巌園正門。

外は国道10号線。

仙巌園の風景その1。

錫門。

身分の高い人しか通ることが許されなかった。

御殿。いわゆる大名屋敷。

御殿の外廊下の様子。

御殿の庭。

これがどういうものか名前は忘れた。

仙巌園の風景その2。

仙巌園の風景その3。

仙巌園の風景その4。

仙巌園の風景その5。

水力発電用ダム跡。

おそらく水力発電の歴史では初期中の初期にできたものとされている。

仙巌園から見た鹿児島市街地方面の風景。

仙巌園の山側部分には石垣が多数残る。

城としての機能もあったか。

江戸時代、琉球王国から取り寄せた孟宗竹。

橋の下には水路があるが

これは旧・郡山町の旅の回で訪れた世界遺産の一つ、関吉の疎水溝から流れてきたものである。

米つき機。

玄米を精米するために使われていたとのこと。

園内には鹿児島県名産の水を集めた自販機も。

朝鮮出兵の時には猫を連れて時間を把握していた。

猫の目の瞳孔の大きさによって判断していたという。

仙巌園の隣りにある尚古集成館本館(旧集成館機械工場)。

現存する日本最古の機械工場。

現在は博物館として公開。島津氏ゆかりの品など非常に貴重な品々があるため館内の撮影はNG。

所変わって鹿児島市内市街地の様子。

交通量が非常に多いし、道が迷路のようだ。

初心者の私にとってかなりきつい運転となった。

都会の運転は難しい。

あらかじめ、行きたい方面の車線にいないと

全く違う方面に行ってしまうことも。

右折したい場合、中央分離帯は線路である。

どこで待機すればよいのか?

対向側に路面電車が見えます。

 

変わって県道19号線。

先ほどの市街地とは違い風景が変わりすぎである。

県道20号線。走りやすい。

再び鹿児島市街地。照国神社近くの交差点。

仙巌園以来、全く車から降りられないので地下駐車場に停めて付近を散策することに。

ちょうどその交差点のある場所にラーメン屋を発見。

腹がものすごく減っていたので躊躇うことなく入る。

黒味噌ですと・・・・?

味噌ラーメン、味噌ラーメン、へっへっへ。。。

私はあまりの空腹に頭がおかしくなっていた。

三平ラーメンお品書き。黒味噌ラーメンにとろろをかけて食べるのがここのオリジナルの食べ方らしい。

私は元祖黒味噌濃い味大盛りにトッピングにバターと野菜をつけ、さらに白飯・小を注文。

そして私は蓮華にスープを入れ一口飲んでみる。

・・・うまい。こってりまろやか、そして少しスパイシーなお味。

バターの甘みもブレンドされるとさらに美味い!

拙者、満足っす。

照国神社。

島津斉彬公を祀る神社。

イヌマキという樹木。保存種。

境内前入り口。

拝殿と境内の様子。

巫女さんがいる。やっぱり神社には巫女さんが合う。

 

島津斉彬公の銅像。

 

照国神社の参拝を済ませ、再びラーメン屋の交差点に戻る。

写真の使いまわしで申し訳ないが、真正面にある建物は県立博物館。

ここを訪れることに。入場料無料。

動物が展示してあったり

剥製や模型などで鹿児島県や近隣の県に生息している動植物を説明してある。

ジオラマセットのようになっており、子供だけでなく大人も楽しめる。

城山公園。

市街地を見渡す山の上に公園がある。

さすがに鹿児島一の都市を見下ろすことのできる場所なだけに

単なる展望公園という扱いではなく

乗り継ぎバスが運行していたり、

展望所までの道のりにはお土産屋なども多数ある。

展望所から見下ろした鹿児島市内の風景。

霧島市や鹿屋市とは市街地のレベルが違う。

鹿児島1強都市である。

桜島方面の風景。

 

鹿児島市内(旧・鹿児島市)の旅おしまい。

本来なら1週間くらいないと十分に回れない場所なだけに

いけないスポットが多数残ってしまったのは心残りである。(天文館とか)


鹿児島県・さつま町(旧・宮之城)の旅 第40回

2017-05-22 20:38:28 | 40.鹿児島県・さつま町(旧・宮之城町)の旅

 

こんにちは。

久々のさつま町シリーズで、今回は旧・宮之城町を旅します。

今回の旅ですが、画像がほとんど道路写真です。

面積こそさつま町のなかで(薩摩町・鶴田町・宮之城町のなかで)一番大きいのですが

特にこれといったスポットを見つけられなかったせいか味気ない旅となってしまいました。

感動を得られるようにあえて事前調査をしないスタイルが仇となってしまいましたが

そこは割り切るしかありませんね。

まあ、私にとってはほぼドライブみたいな旅もそれはそれで楽しかったですが。

 

 

旧・宮之城町中心街。屋地付近。

さつま町役場もあることから旧・宮之城町というよりさつま町の中では一番栄えているところ。

川内川。奥に見える橋は山崎大橋。

県道394号線。山崎付近。

山崎駅跡地。

かつては宮之城線が走っていたが1987年廃線となった。

川内市から旧・大口市(伊佐市)間を運行していたが

時代とともに車社会の波に押され利用客は減っていった。

廃線跡地のすぐ近くは太陽光発電の施設となっている。

時の流れは早い。

麺亭 笹家ラーメン。

見た目が居酒屋のようなデザインである。

お昼時もあってかなり混んでいた。

 

いろんなラーメンがあったが、毎回みそラーメンばかり食べていたので

今回は和だし醤油麺を選ぶ。650円。

ラーメンなのに上品さを感じさせる味。

ネギの切り方がいい。

宮之城歴史資料センター。

郷土の歴史や人物の説明の他、発掘品や出土品の展示などをしている。

古くは古墳時代の遺跡が数多くあり、鉄剣や土器などが出土している。

 

ここで簡単に旧・宮之城町(さつま町)の簡単な歴史について記述する。

 

奈良時代後期(700年代後半)から平安中期(1000年くらい)までの記録は特になく

その後、大前氏が文献に現れる。

 

しかし源平の争いの後、大前氏は追い出されることになる。

鎌倉時代に入り、関東・相模にいた渋谷氏(東京の渋谷もこのうちの一つ)が幕府の命で鹿児島・さつま町のあたりに移住し大前氏は追い出される。

その渋谷氏は5人の兄弟が周辺の土地を治めることになり

それぞれ東郷氏(旧・東郷町)、入来院氏(旧・入来町)、祁答院氏(旧・祁答院町、宮之城町)、高城氏(川内市の一部である高城郡)、鶴田氏(旧・鶴田町)と名乗った。

 

戦国時代になると島津氏の台頭により、渋谷一族は没落していった。

その後、江戸時代、幕末、明治初期の西南戦争など激動の時代を経て旧・宮之城町となった。

国道504号線。

旧・宮之城町の風景。国道504号線沿い。

国道328号線。

 

旧・宮之城町の旅 おしまい

(最後は道路紹介日記みたいになってしまったが)


鹿児島県・鹿児島市(旧・郡山町)の旅 第39回

2017-05-15 22:55:32 | 39.鹿児島県・鹿児島市(旧・郡山町)の旅

 

こんにちは。

第39回目の今日は鹿児島市の旧・郡山町です。

尺の関係で郡山町付近の地域も訪れています。

まずは旧・吉田町南部にある下田町にある関吉の疎水溝に参るとします。

関吉の疎水溝。

なんと世界遺産である。

え?失礼な言い方だが何故こんなところに?

全く知らなかったので調べてみるとそれもそのはず、2015年に世界遺産として登録されたので

知名度的にまだ低いことと、登録された名称が、

「明治日本の産業革命遺産 製鉄 製綱 造船 石炭産業」の数ある遺産の一つに過ぎなかったことが知らなかった原因である。

その証拠に見物客は私以外に誰も居らず、いるのはガイドのおっちゃんだけだった。

画像はガイドのおっちゃんで説明しながら案内中のところ。

関吉の疎水溝というのはそもそも何なのか?

ガイドの話によると、稲荷川の凝灰岩がある場所は川幅が狭いので

ここで水をせき止めて水量を貯め

それを水路(疎水溝)に送り込み、農業用水(灌漑)や工業用水として使用したとのこと。

もともとは仙巌園に水を送り込む為の水路だったが

江戸時代幕末、島津斉彬公が富国強兵のため集成館という工業地帯に水路を増築し

水車を通じて圧力で大砲に穴を開ける動力に用いたり、砂鉄の選別に利用していた。

これが産業革命の一端を担ったとして世界遺産に登録されたのだ。

画像左上部に堰を差し込むための岩をくりぬいた跡がある。

当時は堰を入れてダムのように水を貯めていた。

県道208号線、伊敷台付近。

県道206号線、犬迫町付近。

県道210号線、同じく犬迫町付近。

国道3号線。小山田町付近。

鹿児島市内だというのに先ほどからずーっと山の中である。

どの道を通っても山の中である。

が、考えてみれば東京都だって奥多摩のほうは山林地帯だし

有数の都市や県庁所在地でも常にビルが建っているわけではない。

健康の森公園。

スポーツしたり、キャンプしたり、散歩したりと市民の憩いの場となっている。

芝生の上に転がりたくなる。

しかし家族連れの目が・・・!

いい大人が一人で芝生に戯れていたらニヤニヤしながら寝転んでいたら

通報はされないかもしれないが稀有な目、哀れな目で見られそうである。

卵の城という名の彫刻。

色が白という以外どこに卵要素があるのだろうか?

彫刻の一部に穴が開いているが、これが卵型だからか・・・?

 

県道211号線。ここからやっと旧・郡山町。

本来のスタート。

郡山温泉。

大人1回400円。浴槽内の温泉を毎日入れ替えているのでとてもきれい。

お客も少なく実にゆっくりできた。

浴場は2つあり(露天入れれば3つ)、そのうちの一つに

30分くらいいたが誰も来なかったため独り占めできた。

健康ランド的な温泉施設とは違って一般客はこういう正統派の温泉には来ない傾向があるのかも。

とてもお得である。

県道36号線。西俣町付近。

とある農風景。

県道36号線に近い場所には岳の池というメダカの池がある。

水面を観察してみたもののメダカらしき魚を発見できなかった。

もしかしたら1匹、2匹それらしいものが遠くの水中で動いているが見えたかもしれないが

確証はない。

メダカをモチーフにした可愛らしい工作物。

 

池にはメダカ以外にも数多くの生き物たちがいるらしいが・・・

アメンボとミナミヌマエビは確認できました。

というかマムシいるんかい。それは確認したくない。

 

が、そんな不安は現実に・・・?

 

うわぁぁぁああああああああああ!!

ひえぇマムシ!?

とっさに構えて距離を置く俺だったが

しっかりと画像をカメラに収める。

 

後で調べたがどうやらマムシではなさそうだ。

多分、ヤマガカシかシロマダラかな。

しかしヤマガカシだったら毒蛇じゃん。怖っ。

蛇の恐怖から逃げるように岳の池を退散し、

割とすぐ近くにある轟滝というスポットに到着。

これは神之川という川。

下流側を移しているが上流川に滝がある。

轟滝。

まあまあの迫力だが、水は比較的濁っている。

国道328号線。湯須木町付近。

旧・入来町方面へと続く。

八重の里という農産物等を販売する物産館。

道の駅的存在。

物産館と併設して

ラーメン「ココ十八番」という食事亭もある。

濃厚トンコツラーメンというのを頼んだが店外にあるラーメンの写真と比べて具材が少ないようだ。

味はまあまあだったが量はやや少なめ。お昼を過ぎた微妙な時間帯のせいか店員の態度はやる気があまり感じられなかった。

八重の棚田。

切った竹が田んぼに無数に刺さっているが

どうやら水神祭りというのが行われるそうで一つ一つの竹に火を灯すのだろう。

暗くなってから見たいものである。

甲突池。

平成の名水100選の一つ。

ちょうど八重の棚田の道路を挟んだ向かい側にある。

この水で育った八重米は美味しいんだろうな。

池の鯉達。

こんな綺麗な池の水で泳ぐ鯉ってあまり見たことない。

県道211号線。花尾町付近。

花尾地区にある隠れ念仏洞の駐車場。

隠れ念仏洞というのは、その名の通り、世間から隠れて念仏を唱える為の洞窟。

江戸時代、薩摩藩では浄土真宗(一向宗)を禁じていた。

しかし、庶民の間ではかなりの人数で広まっていた為、禁じたところで教えを止めるはずもなく

山奥や洞窟の中でひっそりと続けられていた。

このような山中の洞窟に仏具を隠し信者たちは昼夜問わず念仏を唱え教えを守っていたのだ。

念仏禁制が解かれたのは明治9年(1876年)のこと。

それまでの間、弾圧に耐え続けた浄土真宗信者たちの当時からの様子が今も窺える。

隠れ念仏洞を離れ次の場所は距離的もすぐ近くにある花尾神社。

鳥居には島津の家紋が。

花尾神社は1218年、鎌倉時代に島津忠久公が創建したと伝わる。

何と中に入れる神社である。

現在の社殿は1713年の建造で彫刻美術を駆使した壮麗な装飾は「さつま日光」と呼ばれている。

天井には様々な花や植物が描かれている。

一つ一つが違う絵で400枚以上ある。

江戸時代中期に描かれた貴重な建造物や絵を間近で

見ることが許される花尾神社はとても太っ腹な神社だと思う。

 

旧・郡山町の旅はこれにておしまい。


鹿児島県・南大隅町(旧・根占町)の旅 第38回

2017-05-08 22:06:21 | 38.鹿児島県・南大隅町(旧・根占町)の旅

 

こんにちは。

世間はゴールデンウィークで出かける人も多いことでしょう。

混雑が予想される鹿児島市や霧島市方面を避け、

今回は大隅半島の残りの地域の旅することに決定。

38回目の今日は南大隅町の旧・根占町です。

ここは南大隅町のもう一つの町である旧・佐多町の県道563号線。

旧・根占町は内陸部に横別府地区があるが

旧・田代町や旧・佐多町に囲まれている為、

地理的な都合上、旧佐多町の一部の地域も旅することに。

 

それにしても、この県道563号線。

人気の全くない山の中にあるため、このようにあちこち荒れている。

サルにウサギに、アリクイのような哺乳類などと遭遇するばかりで

人間に会うことは一切なかったが、そんな中で驚いたのは、熊のような大型の動物を発見したこと。

九州には熊はいないはずだが・・・

しかしツキノワグマでないことは確か。色は灰色ぽかったので黒色であるツキノワグマではない。

イノシシにしては手足が長かったし、鹿や馬のように足が細いわけでもなかった。

どちらかというとゴリラとか、小さめのヒグマのような感じだった。

あれは一体なんだったのだろう・・・・。

県道563号線から辺塚地区を望む。

大隅半島の太平洋側はこのような起伏の激しい山々に囲まれていて

平地が少ないので小さな集落があるくらい。

99パーセントは山林、山岳地帯。

 

 

辺塚集落にある亜熱帯植物。

おそらくヤシの木の仲間であるビロウと思われる。

画像中央部にある小さな山はビロウで埋め尽くされている。

辺塚地区にある陸上自衛隊佐多射撃場。

青々とした太平洋を望む美しい場所にあるが

射撃場の敷地は通路をふさぐ門や一部の周囲にしかバリケードが施されていない。

なので敷地内や敷地内にある建物に一般人が容易に侵入できてしまう。

大丈夫か自衛隊・・・・。

辺塚地区を後にし、県道68号線に移り

旧・根占町に到達。

根占町は基本海沿い地域がほとんどだが、内陸にも集落がある。

画像は横別府地区の大竹野トンネル付近。

内陸部とはいえ周りは本当に山しかない。

大隅半島南部は自然中の自然が残っている、まさに存在そのものが国宝いや日本遺産といえよう。

錦江町との境付近にあるローソンの駐車場から撮影した画像。

前の川は田代町から根占町を流れる雄川で、すぐ近くには河口があり鹿児島湾へと繋がる。

対岸沿いにはフェリー乗り場や漁港がある。

諏訪神社。根占町市街地にほど近い場所にある。

ご覧の通り、この神社の特徴は鳥居が二つ。

左の鳥居から入って右の鳥居から出るのが本来の作法であるとか。

縁結びのご利益があるという。

社殿と境内。

意外とこじんまりとしている。

フェリーなんきゅう根占営業所。

フェリー乗り場である。

ここから鹿児島湾を渡り薩摩半島の南端、指宿に向かう。

フェリー乗り場は根占港の中にあるため、

隣に目を配ると漁船がたくさんある。

ちょうどフェリー乗り場から連なる防波堤が

左を根占港、右を雄川と分けて境界線の役目を果たしている。

ねじめ温泉・ネッピー館。

大人1回入浴330円。

浴場の広さはまずまず。露天風呂やサウナもある。

県道269号線。佐多岬へと続く道。

画像に写っているちょっとおしゃれな建物は根占中学校。

大浜海岸。

別名ゴールドビーチとも言われ海の色とのコントラストで黄金色に光る砂浜が美しいらしい。

が、正直よくある普通の砂浜としか感じられなかった。

個人的には旧・内之浦町の岸良海岸、辺塚海岸や鹿屋市の菅原神社(荒平天神)の砂浜の方が綺麗かなあと思う。

散歩する人の他に釣り人の姿も。何が釣れるのかな?

道の駅・ねじめ。

本土では最南端に位置する道の駅。

大浜海岸から国道269号線を挟んだ真正面にある。

画像でも分かるが、海岸線の反対側は険しい山々が連なる。

海から山までの距離がとても短い。

印象としては垂水市を思い出す。

本土最南端で育てられた牧場の豚を使った豚丼。

量が少ないのが残念だったが味は甘くて美味い。

台場公園。

薩英戦争に備える為に設置された砲台陣地が残る公園。

駐車場から砲台跡までは200メートルほど歩く。

散歩するほどの距離ではないが海沿いの松の道を歩くのはなかなか良い雰囲気だ。

薩摩藩は攘夷運動に最も積極的な藩の一つで

薩英戦争が始まるもっと以前から異国船を打ち払う為、各地に砲台を設置していた。

島津斉彬公の手洗鉢。

斉彬公は薩摩藩領内の海岸線や砲台などの状態、藩兵の錬度などを巡察するため各地を回っていた。

この南大隅町・根占にも訪れており

その際に使用した手洗鉢(手を洗う為に水を入れておく台座型の石)が今も残っている。

砲台陣地跡。

全長60メートルにも及ぶ石垣が当時の原型を保ったまま残っている。

薩英戦争では使われることはなかったが

そのおかげで英軍にも砲撃されることなく当時の状態のまま残ったのである。

ちなみにこの大砲は模型。

残りの根占町域内を最後にドライブ。国道269号線。

右手は海。左では山。

平地は少ない。

今嶽神社の付近から先ほど来た道を鹿屋市方面に振り返った画像。

なので左手が海になる。

海岸線から山までの距離が短いことがよくわかる。

 

旧・根占町の旅おしまい。


自由を得る為に生活レベルを極限まで落とし生活することに決定(もう正社員はやらない)

2017-05-05 21:37:01 | 0.その他

 

2017年5月現在、私は鹿児島県の旅をしています。

と言ってもとある農業法人に勤めながら休みの日に旅へ出ています。

 

本当はお金があれば1、2ヶ月使って鹿児島県を旅をしたいのですが

恥ずかしながらお金がないためにこのような非効率なことをしています。

 

旅をする一方で、なにゆえ人は一生働き続けなければならないのかという疑問をいつも抱いていました。

確かに、働いてお金を稼がなくては生活できないかもしれません。

しかし、それが一日の大半、人生を過ごすほとんどが仕事の時間というのが納得いきませんでした。

別に働くことを否定しているわけではありません。

一日や一ヶ月の生活に占める時間の割合が多すぎるのです。

 

ならば、例えば仕事半分、プライベート半分な生き方でもいいじゃないかと。

その為には正社員の会社勤めは辞めなければならないと思ったわけです。(正社員は大体の会社が週5、一日8時間勤務が基準のため)

ちなみに私の現状は週6勤務の一日平均11時間勤務です。

毎日、仕事以外の自由な時間はほぼありません。(睡眠時間や食事・洗濯などの家事があるので)

休みも週1のため1ヶ月のうち26日くらいは仕事です。

 

自由を得る為に会社を辞めるというのは、よっぽどお金に余裕がある人と思うかもしれませんが

私の場合、貯金ゼロ、不労所得ゼロです。

そんな状態で辞めるのは無謀としか思えないでしょうが

家族にも頼らず一人で生きていこうと思います。

 

しかし、そうは言っても最低限の生活、食べるものと住む所ぐらいは確保しなければなりません。

なので結局は働きます。フリーターとしてですが。

 

ただフリーターといっても正社員の時と同じように長い時間を働いていたら辞めた意味がないので、

週5以下且つ一日5時間以上は働かないようにするつもりです。

これにより収入は5万から10万の間くらいになるでしょう。

収入は激減しますがそれでも何とか生きてみようというのが今回決めたテーマです。

 

いつも仕事に追われて考える時間も物事を決める時間もなかった人生。

 

たった一度きりの人生なんだから自分らしく生きていこうと。

 

自由な時間に遊ぶのも良し。休むのも良し。勉強するのも良し。自分のビジネスをやるのも良し。

とにかく主体的な生き方で挑戦してみようと思っています。

 

家賃と食費を限りなく抑えて如何にして7、8万程度の収入で生活するか。

ここら辺が最初の課題となりそうです。

 

ではまた。