旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・鹿屋市(旧・吾平町)の旅 第13回

2017-01-02 20:09:35 | 13.鹿児島県・鹿屋市(旧・吾平町)の旅

今回の旅は姶良市(あいらし)ではなく吾平町(あいらちょう)です。

旧・吾平町を含む鹿屋市周辺は姶良と呼ばれていたそうです。

つまり、姶良市よりも吾平町の方が姶良を名乗る正当な権利があるのにもかかわらず

霧島市のお隣に姶良市を名乗られ、更には吾平町というように

名前まで変更してしまったという悲しい?過去があります。



実際に鹿屋市には大姶良という地域名もまだ残っていますので

やはり、吾平こそ姶良を名乗るべきなのですが

それは置いておきましょう。





旧・吾平町に向かう途中だが、通り道から近いため最初に寄った。



鹿屋市・川東町にある掩体壕(えんたいごう)跡。

この掩体壕は航空機などを空襲などから守るために設置されたものである。

実際に残っているのはこの壕だけで貴重な遺跡である。



ゼロ戦(零式艦上戦闘機)を主に格納していたらしい。





触ってみたが、コンクリートで出来ているため頑丈。

今思うと、70年前以上の世界でもこんな頑丈な人工物でも

破壊できる力が人類にはあったのだと思うと

今を生きるのは余計に恐ろしく思う。



コンクリートですら壊してしまう、爆弾やミサイル。

人間の体などいかに脆いものかを感じざるにはいられない。





県道68号線。

まずは吾平町の中心区域へと向かう。





鵜戸(うど)神社。吾平町中心地域にあり、

ちょうど隣に吾平町支所がある。





鵜戸神社周辺の道路。

すぐ近くに市役所支所とスーパーがあり、まさに吾平町中心地域である。





鹿屋市・吾平町支所。

誰かの銅像がある。格好からして奈良時代以前の人である。





吾平町商店街。

人の気配はそんなに無いが、営業してる店は思ったよりは多そうだ。





県道544号線。この道の途中に吾平山上陵の入り口がある。





吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ と読みます)。

敷地内を流れる姶良川。

この姶良は姶良市の姶良と同じ漢字であるように、

吾平町こそ、正統派姶良なのである。

(姶良市をディスってるわけではありません。)





姶良川はとてもきれい。

こんな透明度の高い川にいるのは何と鯉である。

鯉といえば、濁った川とか池にいるイメージだっただけに

少し衝撃を受けた。





人懐っこい鯉達。

近寄ると見る見る集まってきた。





この吾平山上陵は

初代天皇である神武天皇のお父上、お母上の陵とされている。



画像は山陵内の一風景。

幻想的な雰囲気を感じた。





本日最高のベストショット。

映画やドラマのワンシーンにもでてきそうな素晴らしい風景。

日本人で良かったと思えた場所。





美しい景色は続く。間違いなくパワースポットである。





かなり歩くと、

小石が敷き詰められた整然とした道が現れる。



一本杉(杉なのかは私にはわからん)が特徴的である。





この鳥居の向こうが吾平山上陵(ウガヤフキアエズとタマヨリビメの陵)となる。

立ち入り禁止区域となっている。






吾平山上陵を出て、

県道544号線や県道561号線、県道68号線などを

適当にドライブ。



画像は旧・吾平町で一番標高の高い山である中岳(吾平富士とも呼ばれる。)





県道68号線を錦江町方面に走らせていた途中で見つかった

崖に書かれた南無阿弥陀仏の文字。

お分かりいただけたであろうか?





いったい何でこんな場所に

誰がいつ何のために・・・

この場所は崖で下には苫野川が流れている。

石に文字を刻む作業するにもかなり困難を極める場所だ。





湯遊ランドあいら。

毎度おなじみ今回の旅の温泉施設である。

鹿児島の他施設と同じく大人310円である。





施設内にはレストラン・「ゆうゆう」もある。

画像はランチメニューであるしょうが焼き定食。650円だったかな?

普通にうまい。




こうして吾平町の旅は終わったのだった。


大崎町、東串良町、肝付町(旧・高山町)、そして旧・吾平町。

おそらく、この4つの地域は古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけ

当時の日本においてものすごく栄えてた場所だったのではないだろうか。



数々の古墳や皇族ゆかりの地などがあちらこちらにある。

古い歴史ある由緒ある土地だったのだろう。