旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・湧水町の旅 第25回

2017-02-17 13:39:38 | 25.鹿児島県・湧水町の旅

こんにちは!

私は鹿児島出身じゃないけど真冬は普通に寒い!!
長野出身で北海道にもいたことあるけど鹿児島県の寒さもあんまり変わりません。

北海道は外気温は確かに寒いかもしれないけど他の地域より建物の造りは防寒対策などがきちんとされているし
また、着る服も重装備で臨むので思ったよりは耐えられるのです(それでも寒いけど)。

鹿児島の寒さは長野県に似てますね。寒暖の差が激しい盆地のような気温変化が多いので
朝寒く昼暑いとまではいかないが暖かい。
でも長野の場合は昼は低音なので鹿児島ほど気温は上昇はしない。

朝-3度なのに昼18度とかよくあるので
気温差20度以上とかあると結構体調崩しやすいですね。

そういう意味では鹿児島の冬の方が辛かったりします。


さて今回の旅ですが25回目は湧水町を旅します。

わきみず ではなく ゆうすい 町と呼びます。
湧水町は霧島市よりもさらに北、宮崎県との県境に位置する町です。
熊本県の人吉市とも近いです。

湧水町は本来であれば旧・栗野町と旧吉松町に分けて旅する予定だったのですが
時間の関係上今回は一回分にまとめます。



旧・牧園町方面から湧水町域内に到達。
ここらへんは霧島連峰にも近く、高原特有の爽やかな青空とのどかな風景が広がる。



これは田んぼであろうか。
2月でも緑と青のコントラストを見ることが出来るのは嬉しいものだ。



県道103号線に出ると霧島アートの森というのが見えてきた。
せっかくなので寄ってみることにする。

いつのまにやら曇りになっていた。

霧島アートの森というのは
国内外の作家たちが製作した美術品を野外や屋内に展示した施設だ。

屋内にある作品に関しては撮影はNGということなので
今回は屋外の作品を見ていこうと思う。



フィリップ・キング 氏の 「サン・ルーツ」




「サン・ルーツ」を裏側からみた画像。



八田 隆 氏の 「プライベート・ガーデン」



ウルヒッヒ・リュークリーム 氏の 「ストーン・セッティング」

イギリスのストーンヘンジみたいである。ちなみにリュークリーム氏はドイツ人である。



もう既に前の画像でお気づきかと思うが
いつの間にやら雪が積もっている。

画像は樹林コースを歩いているが、ここは鹿児島である。
長野県の山中だよと言われても何も知らない人が見たら気づかないであろう。



むっ?
あれは野犬か?

私はとっさに構えた。



恐る恐る近づくと
何だ、この犬か狐のような動物もアート作品の一つではないか。
といっても誰の作品とかはかかれてないけど。

単にオブジェとして置いたとしても
周りの風景に良く溶け込んでいてリアルさを感じさせてくれる。
やるじゃないか。



タン・ダ・ウ 氏の 「薩摩光彩」



通鼻義信 氏の 「時の巣」



うん?なんだあいつは?
まるで1本の木のように佇んでいるが・・・。
宇宙人?



アントニー・ゴームリー 氏の 「インサイダー」

この宇宙人のようなものは周辺に何体もいた。
しかし、この宇宙人。チ○コの先が槍のように尖っていた。
街中でこんな奴がうろついていたら即刻通報だろう。



最後に私がもっとも気に入った作品を紹介。

ダニ・カラヴァン 氏の 「べレシート(初めに)」



中を覗くとこんな感じ。

この先の向こうに未だ来ぬ遠い未来とかを連想させる。
あるいは、進んではいけない運命の道なのか。
そんなことを考えながら楽しませてくれるのだ。



RPGやアクションゲームなんかのラスボスへの道みたいでテンション高くなる。
この先の明るい部分は是非、訪れてご自身の目で確かめてくださいな。



霧島アートの森を出て、お次はすぐ近くにある
日本一の枕木階段という場所に来た。
ここは栗野岳の麓に位置しており、登山口は幾つかあるが
この枕木階段からも登頂できる。

この枕木階段がいくら日本一だとしてもさすがに栗野岳山頂までは続いていませんので。



左側の階段561段、右側の階段555段。

これは廃止されたJR山野線の線路の枕木を再利用して造られたもの。
枕木の枚数なのか階段の長さが日本一なのかはわからないが
いずれにせよ大規模である。

鹿がでることもあるらしく、エサをあげないで下さいという看板もあった。



しばらく歩き上っていると、終点の展望台がみえてきた。
いい運動である。



展望台から見た景色。
旧・栗野町を見わたせる。



一度、旧・栗野町方面へと降りてみよう。
路面は雪も残り運転が怖い!
超低速で下りました。




アートの町だけあって住宅街にもこのような作品が。
ピラミッドとスフィンクスかな?あと東京タワー?



旧日本軍の戦闘機?
おや乗っているのは紅の〇の〇ルコでは?



とりあえず栗野駅方面に向かってみる。



栗野駅。
特に変わったものはないが・・・
駅舎の中に栗太郎館という地元の物産を売ってる店があり
そこに湧水プリンというのが売っていた。

じつは事前の情報で湧水プリンがそこそこの人気を博しているらしく
是非食べてみたいとは思っていた。

前回の加治木町の旅でもプリンを食べたが
いつの間にやらプリン好きになっていたのか俺は・・・



これが湧水プリン。
味はプレーンの他に、ゴマやコーヒーなどがあるが
ここはあえて基本の味で堪能したい。

おお・・・
これはなんととろける美味しさ。
やわらかなカスタードの甘さが口に広がる。
何というか基本の味を何も加えずそのまま昇華させた味。

確かにこれは人気出るわ。

ただ、販売しているところがこの栗野駅と吉松駅隣りのSL会館と吉松物産館ぐらいというから
身近に食えるようならもっと認知度が高まると思うが。

まあ、希少性があるというのも一つの付加価値ではあるけど。



県道443号線。
恐怖の400番台県道だが道は広い。



幸田の棚田。
日本棚田百選の1つだが・・・・



今は真冬で稲刈りの時期はとっくに終わっている。
何とも寂しいことか。



県道53号線。
いったん、霧島市方面に向かい
ぐるっと湧水町の外側を回るようにドライブ。



再び県道55号線。
今度は北上して旧・吉松町方面へ



旧・吉松町へ北上するのには県道102号線か国道268号線の二つのルートがある。
ここは県道102号線で行ってみよう。(基本、私の特徴としてマイナーなほうを選ぶところがあります)



あれ、道が狭くなってきたぞ。
400番台の県道じゃないのに。



えーーーー?
何故にこんな人気のない山中に?
というか対向車に全く会わんぞ。どうなっているんだ湧水町。



とんでもない山中の県道102号線を走っていると
六地蔵供養塔という看板が現れたので向かうことに
その道は県道102号線をさらに上回る悪路であった。
少し進むとちょっとした広場がありそこに牧神神社と書かれた鳥居が現れる。



鳥居をくぐると、そこには六地蔵供養塔と書かれた石積みがあった。
六地蔵というくらいだから6体地蔵様がいると思ったが
二つしかなくないか?しかもお地蔵様というより石塔っぽいが。

この六地蔵供養塔とは島津義弘公の次男
又一郎久保という人物を供養したものであるらしい。

この又一郎久保という名前。久保又一郎ならわかるが、何故欧米人みたいにファーストネームが先に?
と思って調べたら、又一郎というのは通称で本名は島津久保(ひさやす)でした。

1592年(文禄元年)又一郎久保は父・義弘と共に朝鮮に出陣。
しかし、翌年に21歳の若さで病死した。

その知らせを聞いた又一郎久保の母である義弘公夫人は嘆き悲しみ
六地蔵塔を建てたという。



県道102号線を脱し、大きな川を渡り旧・吉松町方面に。
この川の名は鹿児島県で一番有名と言っていい川、川内(せんだい)川である。



鶴亀城址。鶴城と亀城の二城からなり
1564年に一時的に島津義弘公が居城した。
伊藤氏や相良氏に対する監視として、機能していた。



菅原神社。

菅原道真公を祀っている。
元は先ほど訪れた鶴亀城址の亀城に鎮座されていたものを
現在の鶴丸駅の近くのこの地に移された。

ちなみに鶴城にも鶴岡正八幡宮が鎮座されていたが
後に、菅原神社よりもさらに北西の川内川付近の地に
鶴丸八幡神社として移築された。



鶴丸駅入り口。ここは人の家の敷地と疑ってしまう。
いや敷地かもしれない。



しかし、鶴丸駅と書かれている。
本当のようだ。



当然、無人駅である。



生活臭を感じさせる使用済み切符入れ。



国道268号線を南下し再び旧・栗野町方面へ。
途中、満福亭または昇龍と書かれた定食・ラーメン屋を発見。
湧水町はあまり飲食店を見かけない。
迷わず入ることに。



ラーメンも気になったが、ご飯物が食いたい。
カツ丼に決定。注文し運ばれてくると
なんと、カツ丼だけでなくサラダ味噌汁漬物と普通に定食で登場。
これは嬉しい。得した気分だ。

豚カツがめちゃウマい。出汁がしみていてそれでいてサクサク。
なんという技術。とろふわの卵と玉ねぎもうまい。

今までの旅の中での食事ランキングをつけるなら第2位の美味しさである。
(1位は曽於市・旧大隅町で食べた、やごろう亭のOXロースステーキ定食)

あまりのうまさに私はこの味を元に脳でレシピを勝手に開発。
自宅でもカツ丼を作って食べた。(もちろん、美味しさの出来は万福亭のカツ丼に全く及ばないが)



腹も膨れて、お次は栗野城跡へ
途中の道にこんな祠が。

猫の祠と書いてある。

朝鮮出兵の際、義弘公が猫を7匹連れて行った。
天候や時刻などを判断するためだったという。

2匹だけが生き残り後に猫神として祀られたという。

旅の前半訪れた六地蔵供養塔に祀られている義弘公の次男、又一郎久保は
大の猫好きだったという。



栗野城跡。
1590から1595の5年間、島津義弘公が在城した。

義弘公は栗野城に拠点を移す前に太田道灌の子孫である太田武篇之介に改築を命じ
現在の状態になったという。
南九州唯一石垣を持つ山城といわれ甲州流築城術であるという。
甲州流築城術と言えば、武田の城に多く見られる特徴である。

それがこの九州の最南端である鹿児島の地にもあったというのは
ちょっとしたロマンであろう。





野面積みという自然の石を積み上げた石垣手法。
戦国時代初期に多く見られる手法だが、シンプルなようで意外に丈夫で
画像が示すとおり現在も当時の様子をそのまま残している。



栗野城本丸。

木が何本か生えているが
これは義弘公が自ら植えたとされるツツジ科の潅木で
本丸が外側から丸見えにならないようにと植えたとのこと。



栗野城本丸からの景色。



最後に、湧水町の名前の由来ともいうべき丸池公園の丸池湧水を訪れた。



周辺にはアートの町であることを思い出させる作品がこれ見よがしにある。



小型肉食恐竜に襲われるトリケラトプス。
トリケラトプスの方がどう見ても強そうだが。

集団相手だったら負けるか。



綺麗な透明度である。
この湧水は実際に湧水町民の生活用水として使われている。
一日に約6万トンの湧出量があるそうだ。

まさに文字通り湧水と共に生活している町なのである。



鴨が泳いでいます。



こんな綺麗な水面で泳ぐとは贅沢ですな!



実際に飲料として飲める場所もあり飲んでみた。
生水を飲むのは実は初めてだったりする。
ちょっと怖かったが。

・・・・

飲んだ感想としては思ったより水がぬるい。
味は特に感じないので良いのではないだろうか。

日本名水百選の一つ。

他の観光客か地元の人かわからないが
ペットボトルを何本も持ってきて水を入れていった。

町民からしたら無料だから、
ミネラルウォーター買うのも馬鹿らしいでしょうね。




湧水町の旅はこれでおしまい。
今回もいろいろ見れて楽しかったです。
個人的には霧島アートの森の
ダニ・カラヴァン 氏の 「べレシート(初めに)」作品が見れて良かったですね。

では、またお会いしましょう!


(画像は丸池公園の散歩道の一部分)