旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・桜島の旅 第18回

2017-01-28 21:38:17 | 18.鹿児島県・桜島の旅
こんにちは!

18回目の旅となる今回は桜島となります。
桜島といえば鹿児島のシンボルというべき存在です。

行政区分は鹿児島市に属していますが
桜島は唯一無二の場所として鹿児島市内とは切り離して考えてもよいと思います。

さあ、それでは出発しましょう!!



垂水市街地方面から撮影した櫻島外観。
本日は晴天で絶好の撮影日和。



県道26号線。
ここが桜島の入り口である。
島という響きだけで冒険心をくすぐられるものである。
どんなところであろうか。



草木に覆われた荒野を切り開いただけの道という感じ。



道路脇をみてみると大きな岩がごろごろ。
噴火の際に飛び出たものであろう。



黒神地区にある、黒神小学校。
ご覧の通り、火山とは目と鼻の先である。
避難訓練は本当に緊張感のあるものになりそう。



黒神埋没鳥居。
大正時代に起きた噴火に因る降灰で半分以上が埋まってしまった鳥居。
自然の力、火山の力の恐ろしさがわかる場所。



桜島火山に向かう真っ直ぐ続く道。
途中で道は立ち入り禁止となっており、行く事は出来ない。
火山の観測所施設が道路沿いにある。



桜島火口 ズームアップ。



桜島と水のない川。
桜島はこのように干からびた川がたくさんある。



桜島には名産が2つある。
一つはこの桜島大根。世界最大の重量を誇る大根の品種である。





こちらは逆に世界で一番小さなみかんの品種。桜島小みかんという。



県道2号線、白浜町~松浦町を繋ぐ道路の画像。
海も空も青くて気分は爽快。



桜島で初の信号機。
が、信号機が役に立つほど車は通らないようだ。
左折すると鹿児島市役所桜島支所がある。



ここが桜島支所。なかなか立派な建物である。



桜島半周くらいした所で
桜島火山や錦江湾、そして鹿児島市内を展望できるという湯之平展望所を目指すことにした。
その途中、御嶽神社という鳥居があったので訪れることに。

ところが・・・





鳥居近くの奉納と書かれた石碑があっただけで
本殿も祠もない。参道もない。一体どういうことだ?
おまけに藪だらけである。



そもそもここは神社なのだろうか?
しかし、鳥居はあったし間違いないはずだが・・・



気味が悪くなって、帰ろうとすると急に落とし穴のように地面が沈み
足がはまる。

おいおい冗談はよしてくれよ。
ワシは何も悪いことはしとらんぞ。



足がはまるという不運に見舞われたトルニンであったが、
何とか脱出し湯之平展望所に到着。



桜島の御岳、中岳、南岳がかなり近い距離まで一望できるビュースポットである。
なかなかの迫力だった。



そして錦江湾(鹿児島湾)と鹿児島市内もご覧のようによく見える。
約150年前には薩英戦争が薩摩藩とイギリスとの間で行われた。
結果は双方痛み分けだったが
当時世界一の国力を誇っていたイギリスと互角の戦いをした薩摩藩。
凄すぎるよあなたたち薩摩人は。

薩摩藩がもし負けていたら歴史が変わって
薩長同盟も明治政府もなかったかもしれない。
それどころか薩摩を足がかりに日本が植民地にされていたかも。



桜島港。
鹿児島市内と結ぶフェリーが出ている。



鹿児島市内へ向かうフェリー。
あえて橋を架けず陸続きにしないのは色々、行政や企業などの思惑があるのだとか。
観光的には橋よりフェリーの方が確かに見栄えはするけど。



道の駅、桜島。
だいたい道の駅には飲食施設があることが多い。
今回もあるようなので恒例の食事タイムへ。



ちなみに今日は正月だが、まったく正月関係なしのメニューを頼むことに。
から揚げ定食を注文した。桜島産のみかんドレッシング付だ。
デザートに桜島の小みかん。
からあげ、ボリュームありすぎ。でも美味かったです。



桜島のローソンは火山灰を意識してか茶色のようなカラーとなっております。
中は入りませんでしたが。



道の駅・桜島や茶色ローソンの近くにあるマグマ温泉。
ご当地の食事と温泉はぜひとも入らないということで早速、料金を払い浴場へ。
露天こそないが大浴場は錦江湾が一面に写る窓ガラスで覆われたパノラマ風呂。

鹿児島市内へと航行するフェリーを眺めながら桜島の火山の恩恵である温泉を楽しむ贅沢な風呂である。




マグマ温泉で旅や仕事の疲れを癒し、
国道224号線で島の南西部、南部へとドライブ。



桜島も場所によって形が変わる。
写真は桜島南西部にある野尻町、持木町あたりの水のない河川から撮影した桜島。



桜島の灰だが
島内であればこのように容赦なく降り積もる。
とある駐車場に溜まった灰とそうでないところの境界線。



林芙美子文学碑(古里公園)。

林芙美子は昭和初期に活躍した小説家で林氏の母方が桜島出身であることから、
幼い頃に鹿児島や桜島でも過ごしていたという。

第2次世界大戦前後の日本人の悲しみ苦しみを主なテーマとして書いたものが多いという。
また林芙美子も貧しい家庭で育ったこともその理由としてあるそうだ。



「花の命はみじかくて苦しきことのみ多かりき」

林芙美子が好んでよく書いたとされる言葉。

私なりの解釈で恐縮だが
花(ちやほやされたり、物事がうまくいく時期)は一瞬だが
それ以外は苦難や忍耐しなければならないことがほとんどであると。

要は人生9割が辛く苦しいことがばかりだよと。

一見、暗くなりそうな言葉だが、このような心構えで物事を捉えていれば
身の回りにおきるいろんな雑念や出来事に杞憂することもなくなるだろう。

そしてこのような辛い世界だからこそ
人の心遣いや思いやりを深く感謝することが出来るのではないかと思う。



最後に、林芙美子文学碑のある古里公園から見た桜島の風景画像。


今回の旅はこれで終了です。
荒々しさの中に美しさを見せる桜島。
今も噴火や降灰がありながらも共生してきた鹿児島県民の魂が
まさにこの山に現れているのではないでしょうか。

どんな困難にも負けない薩摩魂。
この先も永遠なれ。












































鹿児島県・霧島市(旧・霧島町)の旅 第17回

2017-01-23 22:47:01 | 17.鹿児島県・霧島市(旧・霧島町)の旅

こんにちは!

霧島シリーズも今回で3ヶ所目になります。
霧島市は合併前に7つの自治体に分かれていましたので
それだけ、旅の回数も増えると言うわけです。

一日で全部周るには広すぎますからね。

そんなわけで霧島シリーズの今回は旧・霧島町です。
霧島市の霧島が付いた町だけあって、
今でも、霧島市と言えば国分周辺より霧島町の方を差す人もいるくらいです。

そんな旧・霧島町、どんなところか楽しみです。




県道2号線。都城から財部、霧島、国分、隼人と続いている。
ここを通る車はスピードを出す人が多いので注意されたし。



県道2号線沿いにある妙見神社。



境内には土俵がある。
地域で相撲大会が行われるのだろうか?



県道60号線。
霧島神宮へと続く道。



霧島山も近くに見えてくる。
火山の荒々しさはやはり迫力がある。



並木道を通ると・・・



ビルのように大きな鳥居が現れた。
菊の紋章がある。



横から見た大鳥居の画像。
でかい。



どうやら近辺に霧島ジオパークという火山が作りし雄大な自然や地形を見ることの出来る場所があるらしい。
霧島神宮に向かう前に、周辺を歩くことにした。
画像では、橋に天狗の彫刻物が写っているが、この天狗は
この地方に伝わる天孫降臨の神話に登場する9人の神様のお顔だそうな。
確かに、他の天狗の顔を見たらそれぞれ別の表情や造りをしていた。



天狗の橋の下に神水峡遊歩道という歩道があったので歩くことに。
画像は歩道から行ける人道橋という橋。



歩道沿いを流れる霧島川。
ものすごく綺麗な川。冷たそうである。



火山の近くは川も湖も透明度が高いことが多いような気がする。



霧島ジオパークの一つ。柱状節理。
これは霧島山から流れた溶岩が長い時間をかけて温度の低い上や下の部分から冷えて固まっていた結果
このような幾つもの柱のような形が連なった地形ができたそうな。
ちなみにこの柱のような部分はどれも六角形になっているらしい。



神水峡遊歩道を一通り回り、いよいよ霧島神宮へと向かう。



参道沿いには霧島天狗館という、日本のみならず世界の珍しい面を集めた資料館がある。
残念ながら橋にもあった9人の神様の天狗のお面は非公開となっているものなので
ここにもない。



朱色の橋は趣があっていいですね。



鳥居が見えてきた。
しかし、この直後、私のデジカメが故障し使えなくなってしまった。
仕方なく、携帯電話のカメラで撮ることに。
神様の怒りに触れたのだろうか?(汗)



再び鳥居。
大鳥居も入れれば3回目である。



境内と拝殿。
さすがに人が多かった。
今年一年の一病息災への感謝と仕事や勉強、その他私生活への反省をし、
来年への抱負を心に秘め参拝した。



霧島神宮を後にし、
県道1号線、104号線、そして国道223号線などをドライブ。
途中、温泉・水蒸気噴出地帯があったので停車。
外は硫黄臭い。
ガスが濃い可能性もあり、立ち入り禁止の看板も。



霧島温泉郷の一つ、湯之谷温泉。
ここまで来るのに狭い山道、兼、荒れ道を通ることに。
苦労して着いたはいいが、
肝心の風呂が混んでいて入れなかった。

正確に入れたことは入れたが

浴槽は熱い風呂、ちょい熱の風呂、ぬるい(むしろ冷たい)風呂の3つあり
熱い風呂、ちょい熱風呂は人が定員オーバー状態で仕方なく、
ぬるい風呂に浸かることに。
ところが5分いや10分経っても熱い風呂風呂から誰一人あがってこない。

こいつらいい加減にしろよ(怒)

風邪引きそうになったので諦めてぬるい風呂から上がり、
着替えて脱衣場から出ようとしたときに
初めて誰かが熱い風呂から出た音が聞こえた。(脱衣場と風呂場は天井の方の壁が筒抜けになっており音が聞こえます)
意地の悪い客たちである。
まさに激おこぷんぷん丸であった。



道の駅・霧島

レストランや物産館、スポーツ広場などがある。
だが、年末年始や大晦日のためレストランは閉鎖。



道の駅・霧島のスタンプ



県道60号線にあるラーメン一本槍。




トンコツだけどあっさり。卵とキャベツがうまい




今回の旅はこれにておしまい。





鹿児島県・霧島市(旧・国分市)の旅 第16回

2017-01-20 22:16:08 | 16.鹿児島県・霧島市(旧・国分市)の旅
こんにちは。

今回は前回と同じく再び霧島市。その中の旧・国分市を旅します。
霧島市の中核を担う場所でもあり、古代から発展した地域でもあります。
古代と言っても下手したら弥生いや縄文時代の初期の初期(約9500年前)から集落があったとされる地域と言われ、
まさしく日本最古の場所と言っても過言ではないかもしれません。
その根拠となるのが旧・国分市に入って最初に訪れた目的地、上野原縄文の森(上野原遺跡)です。





上野原縄文の森の入り口にあたる展示館。
ここで出土された土器や石器を中心に県内の様々な遺物が展示してある。




遺跡調査後、結果を元に復元された竪穴式住居。写真を見てもわかるとおり入り口が狭く低い。
当時の身長はかなり低かったのだろう。



発掘後の遺構跡。
当時はここに住居が建っていたと思われる。



竪穴式住居の中はこんな感じ。
囲炉裏で暖を取ったりや調理をしていたのだろう。



当時の生活の様子。
母親と娘と思われるが、体格があまり変わらない。
やはり、縄文人は小さい人が多かったのだろう。
土器作りやどんぐりを粉にしている作業をしている様子。



復元された集落を遠くから見た写真。
当時は10軒くらいの村だったと言う。
それでも当時の日本からしたら大都会クラスだったのだろう。



遺跡保存館入り口。
当時の遺跡発掘調査直後の様子をそのまま保存している貴重な施設。



集石や土坑の遺構がそのまま残っている。
これらの遺構は蒸し焼き料理や燻製にするのに使われていたのだという。



県道471号線。狭い。
3桁数字の県道はこのような道路が多い気がする。



木で覆われた県道471号線。
まさに林道とはこのこと。



近くにある黒石岳森林公園に寄ることに。
途中まで車でいけるので山頂への道は割りとすぐである。
でもいい景色。



山頂が近づくにつれ胸が高まる。



黒石岳山頂(524,7m)。
・・・思ったより殺風景である。
しかも、周りの木々に阻まれ山頂からの眺めは一切見れないという・・・。



ということで山頂から少し降りたところで開けた場所から遠くの眺めを見てみました。
写真は桜島方面。
噴煙が上がっているのが見えるだろうか?



いったん市街地まで戻り、付近の城跡を探索しようと思い、国分重久の岩戸地区の熊野神社の近くにやってきた。
この付近に城跡があるということだが全く見つからない。
住宅地を抜け山道になり、荒れた山道を進んでいると
大きな岩肌が削れた場所に祠や石碑のようなものが現れた。



いったい誰が何のために、こんなものを祀っているのだろうか?
特に説明案内板もなかったので正体不明である。



結局、城跡は見つからなかったので近くの熊野神社に。



静かでいて何となく緊張感のある参道。
心を浄化したい気持ちで歩きたくなった。



熊野神社、本殿。



城跡探索を諦め疲れた体を癒しに近くにある岩戸温泉に。
新しい施設なのかお風呂も脱衣所も休憩室も全てが清潔で綺麗。
ここは、かなりおすすめの温泉ですよ。



温泉に入ったら腹が減ったのでラーメン屋に。
お店の名は黒豚ラーメン蔵。



黒豚ネギラーメンを注文。
スープが器ぎりぎりまで注がれ、これまたネギもこぼれそうな量で来た。
意外とあっさり。
ラーメンの名前からこってりな予想をしていたが、
そんなことはなかった。



旧・国分市(霧島市)の市街地を車を走らす。
山形屋というデパートがあり、中に入る。
しかし予算の都合上、100均のストローセットだけ買って帰ることに。



県道60号線を鹿児島湾方面に向かうとある大型ショッピングモール。
めちゃ混んでます。



城山公園を目指し、近くにある国分運動公園に向かう。



競技トラックや野球場、テニスコートなどがある。



山道を上り、城山公園を目指すも道が閉ざされていてあっけなく終了。
後で地図を確認したら、反対方面の道から行けることがわかったが
時すでに遅し。
あたりが結構暗くなり始めてきたので断念した。


旧・国分市の旅はこれにておしまい。
今回わかったことは日本で一番古い時代から集団で生活していた可能性がある地域が旧・国分市の付近だったということ。
思えば、肝付町や東串良町、大崎町一帯も古墳がたくさんあるが
大隅半島や霧島市というのは
日本という国の成り立ちの初期を形成した重要な地域だったのかもしれない。










トルニンが選ぶ 旧・福山町のご当地品

2017-01-14 23:28:02 | 15.鹿児島県・霧島市(旧・福山町)の旅
福山黒酢 食べる黒酢 ちょい辛 180g
福山黒酢



福山町の旅でも訪れた桷志田(かくいだ)の黒酢おみやげ 「食べる黒酢 ちょい辛」

とにかくご飯に乗せて食うだけでうまい。
野菜炒めの隠し味にもいい。
これの激辛バージョンもあるが、実は言うほど辛くない。
むしろ激辛がちょい辛でもいいくらいだ。
ということで ちょい辛の これはほとんどうまいという感覚しかないのである。

鹿児島県・霧島市(旧・福山町)の旅 第15回

2017-01-10 23:22:10 | 15.鹿児島県・霧島市(旧・福山町)の旅

いよいよ大隅半島では無い地域に旅をすることになります。
鹿児島県は主に薩摩半島と大隅半島に分けられますが、
それ以外の地域もあります。この霧島市はまさに薩摩半島と大隅半島をつなぐ中間地帯であり
また、鹿児島空港を要する空の玄関口でもあります。

そんな霧島市は幾多の合併を経て出来た巨大な市であり、
鹿児島市についで2番目に多い人口がいます。

今回訪れるのはその霧島市でもぎりぎり大隅半島に入ってると思われる地域である旧・福山町です。



国道220号線を垂水方面から北上中。
画像の海はもちろん鹿児島湾。斜め左後ろを振り返ればここも桜島が見える場所である。



海沿いの道を気持ちよく運転していると
何やらあちこちで黒酢と書かれた看板を目にする。
どうやら福山町というのは黒酢の町らしい。
そんなわけで早速黒酢を販売している
黒酢本舗 桷志田(かくいだ)に立ち寄ってみることに。



店の中は黒酢にちなんだお土産の他、レストランや黒酢に関する展示品、説明書きなどがある。
更に、外には黒酢を寝かせている壺が何百、いや何千と整列して並んでいて
その迫力に圧倒された。
寝かせている期間が長い5年、10年といった物ほど価値が高く、
味や栄養価も変わってくるという。まるでワインのようである。



桷志田を後にし、宮浦宮という夫婦のような1対になったイチョウのある神社を訪れる。



イチョウの木に大きな穴。
西南戦争で受けた砲弾の爪跡が今でも残る。



県道482号線。



県道482号線から続く道にある飯富神社。

主神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で農林水産、漁業、交通安全等の神である。
この地域ではサルを乱獲したり、暴力を振るったりしたら罰が当たるとされてきたようである。



境内にはこんな看板も・・・



片腕の無い石造。

古墳時代みたいな格好をしてるが、いったい誰でしょうか?



飯富神社を去り、Uターンして県道478号線に行く。
特に何もない。



何もないが、景色はとても良かった。
本日のベストショット。



県道491号線。道は狭くなる。
小さな田畑があるだけのゆったりとした集落。



道は山の中にまで伸びていて悪路になっていく。



結局、めぼしいものはなく、国道10号線に出たので再び福山町方面に戻り、
途中、ドライブインの麺屋さんを発見。『麺どころさつま』に入ることに。



九州味噌ラーメン(だったかな?)を食べる。
あっさりしていて美味しい。



牧之原地区。
惣陣が丘という丘だろうか?フクヤマと書いてある。



牧之原地区にある、ふくふくふれあい広場。
福山町のふくと掛けてるのだろうが意味不。



福山町唯一のコンビニ?であるローソン。
そして福山町で一番の都会w


旧・福山町の旅はこれでおしまい。