旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・伊佐市(旧・大口市)の旅 第37回

2017-04-30 21:28:43 | 37.鹿児島県・伊佐市(旧・大口市)の旅

 

こんにちは!

37回目の今日は伊佐市の旧・大口市を訪れます。

伊佐市は旧・菱刈町の旅でも訪れましたが鹿児島県の北部に位置し熊本県・宮崎県と県境を接しています。

県境の町はいろんな文化や生活なんかが融合したり、影響しやすいので

何か変わったものが見れるといいですね

国道447号線。伊佐市白木付近。

この道をずっと行くと出水市に繋がる。

白木神社。

室町時代に建造されたとされる。

これも室町時代の石像であろうか?

宮殿(拝殿)。

屋根が茅葺である。

実はこの神社は元はお寺であった。

しかし、明治時代の廃仏毀釈によって取り壊される危険性から急遽神社へと変貌を遂げた。

その為、宮殿には観音様が安置されているという。

白木神社を後にし、その後こがねロードを通って県道118号線。

山林地帯もあって、道路狭い。

狭かった県道118号線だが

市街地のほうに近づくにつれて傾斜はゆるくなり道幅は大幅アップ。

景色も良い快走路となる。

いったん市街地を経て国道268号線に移動し北上する。

旧・大口市は旧・菱刈町同様、米の一大生産地である。

そう、伊佐米である。

そして米の名産地はあれも名産地である。

あれとは・・・

夢さくら館。

伊佐市の物産館である。

伊佐牧場で生産されたチーズと伊佐米を使ったカレーパンを買った。

まずは玄米カレーパン。

食べた感想としては小麦粉100パーセントのカレーパンとそんなに変わりません。

とくに牧場直送のチーズはまるでプレーンヨーグルトの味や食感。

ほのかな酸味とまろやかさが癖になりそうである。

もしかして、プレーンヨーグルトも加工前のチーズも確たる差はなくほぼ同じなのかもしれない。

これに食塩を加えて固めればチーズになるし、砂糖を加えればヨーグルトといったように。

そう考えると砂糖味のチーズはないし、塩味のヨーグルトはないような。

 

と思って後でネットで調べたら砂糖チーズトーストとか調味料としての塩ヨーグルトなど

あったようです・・・・。

小川内地区にある鹿児島3大関所のうちの一つ、小川内関所。

少なくとも1500年代前半から存在していたようで

豊臣秀吉が九州征伐の時もここを通過した。

国道268号線沿いにあるラーメン屋 味世。

ちゃんぽんと餃子を注文。

このちゃんぽん。地味だがスープが濃い目でウマい。

ご飯と一緒に食べると更に美味い。

餃子は焼きや蒸しでもない珍しい揚げギョウザ。

揚げたてだけにアチッとなりながらもギョウザのタレをつけて頬張る。

これまたウマい。

 

 所変わって、県道421号線沿いをドライブしていると

道路を見下ろした場所から川と共に淵が見えた。

青白い透き通った水の色に思わず車を後進させ崖づたいを下り淵に近づく。

淵の奥はちょっとした洞窟になっていて魚などには絶好の隠れ家だ。

それにしても、何という綺麗な色。思わずうっとりしてしまう。

まるで熱帯の島にある秘境のような場所である。

だがここは日本の山奥で5月になったばかりの水温はまだまだ冷たい。

泳ぎたい気持ちになったが

水泳の下手な私はおぼれてしまったら大変だ。ここは見るだけでも楽しむとしよう。

しかし美しいのう・・・・

県道421号線をさらに進むと熊本県との県境近くにある布計(ふけ)という地域に着く。

さすがにここまで来ると車の往来は僅かである。

ゆったりとした景色。

思えば、2年前の今頃は東京で働いていた。1年前は横浜にいた。

どちらも電車通勤の毎日だった。360度どこを見渡しても、人、人の連続。途切れることはなかった。

スマホとにらめっこしながら、うつむきながら、日々を送っていた。

今、このように旅していることが信じられない。

布計小学校。

正しくは布計小学校跡。

そう、既に閉校しているのである。

過疎化の波にこの小学校も飲まれていったのであろうが

このような山奥の集落にも

かつては多くの子供たちが大志を抱き飛び立っていったのだろうと思うと感傷的になる。

映画やドラマのロケに使われそうな外観。

と思って調べたら、実際に使われていた。(THE WINDS OF GODというドラマ。故・今井雅之氏の作品)

若干の塗装は塗りなおしたものの、当時のままの状態で保存されている。

木造の校舎に木の机、椅子、黒板。

自分が在校したわけでもないのに

涙が出そうな気分になる。

敷地内にはこんなオブジェも。

鉄棒。

当時の小学生たちの姿を連想させずにはいられない。

久しぶりに逆上がりをやってみた。

何とかできた。まだまだ俺もいけるな。

十曽池公園。

十曽池(じっそういけ)は人造湖であり、その周辺にはキャンプ場、運動場、水草庭園などがある。

釣りなども楽しめる。(未確認だがヤマメ、ニジマス、ブラックバス?がいるとのこと)

整備もきちんとされているので散歩も気持ちよさそうだ。

十曽ダム。

完成はなんと戦時中(第二次世界大戦)とのこと。

空爆されたら、甚大な水災害となっていただろう。

八幡神社。

焼酎発祥の神社とされる。

焼酎発祥といっても何もここで造られたわけではない。

具体的には焼酎という文字が初めて発見されたのだ。

時は1500年代半ば、この神社の補修に来た大工が本殿の柱の部分に愚痴を落書きした内容に焼酎という文字が入っている。

大工の記した内容は

「施主(工事の依頼人)がケチでただの一度も焼酎を振舞おうとしない。酷い話だ。」という文句である。

庶民じみた人間らしい内容ではあるが

ここに記された焼酎という文字が一番最初に日本で使われたのである。

 

鹿児島といえば焼酎は有名だが、戦国時代には既に庶民が焼酎を飲む生活・文化になっていたことに

特筆すべき点があるのではないだろうか。

 

伊佐市(旧・大口市) 市街地の様子。

忠元公園。日本桜名所100選に選ばれており、開花シーズンには1000本の桜が咲き誇る。

公園の敷地内にある忠元神社。

忠元というのは戦国時代の武将で島津家の家臣である新納忠元(にいろ ただもと)のことである。

家臣随一の猛将であり、和歌など教養にも優れ、家中の人望も厚く

島津家にはいなくてはならない武将の筆頭であった。

大口の地頭(領主)として大口城に入り40年近くも任を全うした。

島津氏の主要な戦には数多く参加している忠元だが

教育に熱心で特に若者の武士道や心身の鍛錬を目的とした

二才咄格式定目(にせばなしかくしきじょうもく)という教育規律を作成した。

新納忠元公の懐の深さが分かる。

知勇兼備で忠義に厚くそして次世代の教育も怠らないパーフェクトといってもいい武将であった。

 

伊佐市・旧大口市の旅はこれでおしまい。

では次回また会いましょう。


鹿児島県・薩摩川内市(旧・入来町)の旅 第36回目

2017-04-27 19:53:28 | 36.鹿児島県・薩摩川内市(旧・入来町)の旅

 

こんにちは。

実は今日は2ヶ所目収録です。(1本目は旧・祁答院町)

薩摩川内市の旧・入来町になります。

一体何があるのでしょう?

入来温泉の一つ、湯之山館。

大人1回入浴 270円とかなり安いが

施設内は新しく清潔で広々としている。

廃線となった入来駅跡。

今は鉄道記念公園になっている。

建物前に線路のような道があるが当時はこれが実際の線路だったのだろう。

鹿児島県は大隅半島をはじめ、鉄道社会はあまり浸透しなかったようだ。

何故であろう?

よく田舎は車社会というが

それだと鹿児島はほとんどが田舎ということになるな。

国道328号線と入来町の風景。

薩摩川内市役所・入来支所。

入来支所周辺は清色城跡の城下町となっており

武家屋敷が立ち並ぶ。

清色(きよしき)城跡の麓(武家屋敷群)にある馬場跡。

馬場というのは馬の乗り降りや世話をする為の場所。

駅という字に馬の字があるが

まさに馬場は中世、近世ではまさに駅だった。

この画像の規模からすると清色城は相当繁栄していたのであろう。

画像上部にあるのは入来小学校で当時はこの地の政治を担っていた入来郷地頭仮屋が設置されていた。

 

入来郷地頭仮屋はいわゆる中世でいう領主館(政庁)である。

この水堀も防衛の観点から掘られたものであろう。

入来小学校(旧・入来郷地頭仮屋)。

武家屋敷風、お城風の建物である。なかなか凝っていますな。

ここら一帯は武家屋敷が多く立ち並び石垣も江戸時代の頃のものである。

このような武家屋敷群を鹿児島では麓という。

いわゆるお城の城下町である。

しかもこの麓は近世ではなく中世(1500年初頭)ぐらいから形成されたものであり

清色城跡も中世に築城されたとされ

両方とも中世を起点とする形成は全国的に見ても珍しいケースであり歴史的価値が高いという。

戦国時代によく見られる野面積みという石垣の手法。

安土桃山や江戸時代に見られる石垣とは違い、石や岩を加工せずそのまま自然に積み上げたやり方である。

一見、単純そうであるが排水性に優れ、意外と頑丈である。

その証拠に江戸時代のものでありながら、今でもこのように健在である。

清色城跡。

ここはちょうど入り口付近でここから山に登ることになる。

中世では平時は先ほどのように麓にある政庁で政治を行い、

敵が攻めてきたような非常時には山の上にある城に篭り状況に臨むようになっている。

大阪城や江戸城のような平地に大規模な堅牢な城を築くのはまだ先のことであり

統治面でも、財政面でもその必要がなかったのである。(北条氏の小田原城は別であるが)

中世の大名、豪族、領主は山城と館のセットであることが多い。

清色城跡の入り口ともいうべき、大堀切。

地上から10メートル以上もある断崖が敵の進行をここでストップさせ

狭い通路を通らないといけないことになる。

崖の上に守備兵を配置すれば、ここで停滞している攻撃部隊は大きな損害を受けることとなるだろう。

内部に入って入り口付近を見た様子。

両壁が高く、そして通路は狭い。

守る側からしたら戦いやすいであろう。

この崖を上ることは不可能である。

清色城跡内の様子。

城内にはこんな看板も。

マムシやスズメバチのいない冬が一番安心して城跡を見学できる。

訪れたのは4月中旬であるためか

タケノコを発見。

清色城跡周辺は竹林が多いのでこのシーズンはタケノコに出会えるかも。

清色城跡・本丸。

本丸内にあった石塔、祠。

 

清色城跡を下山し、再び麓を歩く。

次に訪れた場所は旧・増田家住宅。

明治6年に建てられたこのお屋敷は武家屋敷の造りを継承しながらも

近代の生活を織り交ぜた造りも見られる重要文化財である。

 屋敷内は「おもて」と「なかえ」と呼ばれるスペースに分かれていて、

今写っている画像の部分は「おもて」と呼ばれる部分。

いわゆる客間や寝室と呼ばれる場所で

旧増田家住宅の場合、4つの部屋に分かれている。

画像手前が客間で右側が当主または長男が使用する部屋。

奥側と奥側右の部屋は奥さんや子供たちが使用する部屋となっているとのこと。

ここが当主の間。

ここが奥方や子供たちの部屋。

当主の間や客間に比べて天井が低いのは

襲われたときに刀などが振り回せないようになっているため。

武家屋敷の特徴である。

天井裏は米蔵などになっている。

また、奥さんは食事の準備をするのが日課なので

「なかえ」と呼ばれる居間や炊事場などがある部分と隣接している必要があるのだ。

「なかえ」と呼ばれる部分。囲炉裏があるように、ここで食事をしたり、皆で話をしたりする。

居間兼食堂である。

ここでも座る場所は決まっており

右側は当主、手前側は子供たち、左側はお客さん(庭や玄関が左側にあるため)、奥側は奥さんである。(炊事場に近い為)

「なかえ」は「おもて」と違い天井がない。

屋根の裏側が見える造りなのである。

飯を炊いたり煮たりすることもあるので、天井がない方が湿気がこもりにくいのだろう。

増田家骨董コレクション。

なにやら島津の家紋が入ってるものが多い。

一番右のものはパリ万博の時に出品したとされる作品のレプリカ。

さすがに本物は置いてはいないが、それでも価値はありそう。

庭には浴室と便所の建物もある。

武家屋敷とはいえ、時代と共に生活は変わってくる。

これは大正時代ぐらいのものであるとのこと。

便所(小)、男性だけでなく女性も使用したとのこと。

丸見えである。(ちなみに大のほうの便所はちょうど壁の反対側、建物内にあります。)

薪を入れる場所。

ここで火の加減を調節する。

よく昭和以前の時代の映画とかドラマで風呂を沸かすシーンなんかでこういう場面ありますね。

建物内にある五右衛門風呂。

直接入ると金属の部分で火傷するので、風呂に入る時は板を敷く。

画像をよく見ると板を引っ掛ける金具がある。

 

茅葺門(かやぶきもん)。

これは修復したものであるが姿かたちは鎌倉時代からのものである。

麓を含め清色城跡一帯は入来院氏(当初は渋谷氏と名乗っていた)が治めていた。

800年も入来院氏が現代に至るまで鎌倉文化を守り続けた功績は素晴らしいことである。

ところ変わって、入来町南部に位置する清浦ダム付近に来て見た。

人工物でありながら山とダムというコントラストはいつ見ても美しいものである。

ゆめかけ橋という吊り橋。ここから清浦ダムが一望できる。

夢架けが夢欠けにならないような人生をしたいものである。

ゆめかけ橋を渡った場所にある鷹子神社。

昔々、この地に猛威を振るっていた毒蛇だったが

飛来した3羽の鷹が毒蛇を食い殺したおかげで人々が住めるようになったそうな。

後に火の玉がこの地に到来し、神霊の地として神社を建て3羽の鷹を祀ったのがこの神社の由来ということだそうだ。

境内まで結構上る。

質素な造りの拝殿。

水を支配する平和の神として現地人から当初より崇められ中世では軍神としても崇められた。

清浦ダムや鷹子神社を後にし

県道395線に入った。

途中、道沿いには長野の滝という小さな案内があったので寄ることに。

こんな山の中でひっそりと佇む長野の滝というのは一体どんなものであろうか?

こ、これは・・・・

なんという美しさ。そして静けさと隔離された空間が神秘的な雰囲気を醸し出していた。

滝の水をずっと見ていると、仙人のような気持ちになる。

これは間違いなくパワースポット。

体が心が修復されていく。

滝口の様子。

国道328号線と県道42号線の交わる地点にある大宮神社。

何とここは国歌である「君が代」発祥の地である。

しかもこの付近の地名は「日の丸」である

君が代発祥の地でありながら

境内、拝殿はこじんまりとしていた。

祭事の神楽舞に君が代が歌い継がれている。

これが国歌の源泉としての始まりといわれるそうだ。

 

旧・入来町の旅はこれでおしまい。

 


鹿児島県・薩摩川内市(旧・祁答院町)の旅 第35回

2017-04-24 20:55:55 | 35.鹿児島県・薩摩川内市(旧・祁答院町)の旅

 

祁答院。

これは何と読むのだろう。

検索するにも読み仮名が分からないから打ち込めない。

分かったのは青い道路案内表示板にあるローマ字綴りの部分を見てからだった。

ケドウインと読む。

仏教じみた名前である。

そんな、祁答院町というのはどんな場所なのであろうか?

県道396号線。

気持ちのよい青空が広がり旅日和である。

旧・祁答院町の印象であるが、山林・丘陵地帯が多く

前回の鹿児島市・旧・吉田町のような景観が続く。

祁答院町の農風景。

何を栽培してるんでしょう?あるいはまだ何も植えてないのかな?

同じく、県道396号線。

道路際にやたらとバリケードがある。

しかも途切れることなくまるで万里の長城のように。

一体何を守っているんだろうか?

無数に続くバリケード。電柵なのだろうか?

バリケードの内側を見ると無数の紫色の植物が。

もしかしたらこれを保護しているのかもしれない。

というか、バリケードの内側はほぼこの紫の花を咲かせた植物であった。

近づいてよく見てみると、それは

カラスノエンドウであった(ヤハズのエンドウともいう)。

春になるとそこらに生えまくる雑草である。

エンドウという名だけあってマメ科であり、ちいさな鞘にと豆を実らす。

普通に食べられる豆であるようだ。(ただし、ソラマメの仲間なので熱を通すこと)

 

県道51号線。

それにしても、本当にのどかな景色が続く。

草が茂った畑は結構見られるがカラスエンドウぐらいしか見つけることができない。

一体何で生計を立てていらっしゃるのだろうか?

祁答院で一番の観光地と言ったら藺牟田池(いむたいけ)ということなので

早速向かってみることに。

すると道中、巨大な水車が現れた。

 

世界一の郷水車ということである。

水車ではなく郷水車。郷はどういう意味だろうか?

里とか田舎という意味なのであろうか。そうだとしても水車はそういう場所にしかないような気もするが。

 

直径13メートル以上もある。

重さはおよそ15トンとのこと。

よく見ると、天辺に龍のオブジェがあり、

そこから水がでている。

それにしても、この巨大な水車。一体に何の為に作ったのか?

藺牟田池。

ラムサール条約指定湿地の登録地である。

休日はレジャーで賑わい

釣り、貸しボート、貸し自転車、登山、キャンプなどができる。

様々な動植物が生息しており

私が来たときは白鳥がいるのを確認できた。

釣り客が多くあちらこちらで釣り糸をたらしている人が見受けられた。

藺牟田池にあるアクアイムという生態系保存資料施設。

ちょっとした水族館である。

画像は釣り客が釣ってきたと思われるブラックバスとブルーギル。

藺牟田池ではブラックバスやブルーギルの再放流は禁止されている。

持ち帰って調理するか、回収BOXに入れる。

鯉や鮒もいる。

雷魚(カムルチーの方)。

蛇みたいな外観をしており、ブラックバス同様ルアーで釣れる。

カエルが大好物。

カメラを向けるとこっちに寄って来てじっと見てきた。

なかなか愛嬌のある顔である。

 

最後は、藺牟田池で売っていた屋台のたこ焼き。

キムチネギマヨたこ焼きを買った。

屋台のおっさん曰く、まだまだ修行が足りないとのこと。

味をこれからも研究していく必要があるそうだ。

14個入りで550円。

普通にうまかった。

 

旧・祁答院町の旅 おしまい。


鹿児島県・鹿児島市(旧・吉田町)の旅 第34回

2017-04-17 19:44:49 | 34.鹿児島県・鹿児島市(旧・吉田町)の旅

こんにちは!

今回は鹿児島市の旧・吉田町を旅します。

薩摩半島での鹿児島市編は(島を入れれば桜島が最初の鹿児島市)今回が初めてでございます。

鹿児島市といえば、一極集中といわれるくらい経済や人口などが鹿児島県で密集しているところです。

人口約60万人と、第2位の霧島市12万人の5倍という圧倒的な差をつけての1位でございます。

というわけで鹿児島最大の都市、鹿児島市ということで

まずは最北端に位置する旧・吉田町に来ましたが・・・・・・

あれ?ビルはどこ?ショッピングモールは?

・・・・・

ぜんぜんありません!

それどころか、辺りは山、田畑、坂道の連続。

天下の鹿児島市は一体何処に・・・。

 

旧・吉田町に来てみたはいいが・・・

県庁所在地であり人口1位の鹿児島市の面影は全くなかった。

それだけでなく、有名スポットも特になかったので

鹿児島旅シリーズ中、もっとも早い終了となることはこの時は思っても見なかった。

旧・吉田町役場(現・鹿児島市役所:吉田支所)。

何故か、青い服を着たオヤジが役場入り口付近をうろうろしていた。

牟礼ヶ丘団地の入り口付近。

旧・吉田町で最も人口が多い場所と思われる。

山林しか見当たらない場所に突如出現する丘の上に建設された住宅地域。

その為、入り口はやはり急な坂道を上ることとなる。

起伏のある高所にあるため団地内の至る所に

このような階段や坂道が見られる。

団地内は思ったよりも広範囲で、

車で一周するのにも結構な時間がかかる。

県道16号線。

薩摩吉田インターから北西に向かう道の途中の場所。

周りは本当に山しかない。

その県道16号線の場所から撮影した風景。

本当にこのような景色が続く。

これでも鹿児島市です。

旧・吉田町の農風景。

めちゃくちゃ早いがこれで旧・吉田町の旅はこれでおしまい。

本当に何もなかったが、(あることはある。桐野氏の開墾地跡とか島津歳久が在城していた松尾城跡など)

それはある意味、これが本来の地方集落の姿なのかもしれない。

変に、町おこしのために何かの施設を造ったりせず

そのままの状態で長い年月やってきたのは

足を伸ばせば鹿児島市内の繁華街にいつでも行ける距離にあり

また、合併によって鹿児島市に編入され、町の財政を気にすることもなくなったからこそ、

本来の姿のままこのように残ったのであろう。

 

まさに文字通り自然と一体化した町、吉田町。

今回の旅はそんなことを思い知らせてくれた旅となった。

帰りは国道10号線の亀割バイパス沿い(旧・国分市)にある鹿児島ラーメンに寄った。

そのまま鹿児島ラーメンを店の名前としてつけるとは

まるで鹿児島ラーメン代表としての自信がおありなのであろうか?

黒豚トンコツラーメン+餃子、小ライスを注文。

麺は太麺だが、まるでそうめんのようにツルッと食べれてしまう。

スープもあっさりしている。

具はネギ、きくらげの他、チャーシューと軟骨つき黒豚肉が入っている。

特に黒豚肉は甘くてご飯と一緒に食べるのに合っている。

餃子は小さめだが6個なのでボリューム的には充分だろう。

 


鹿児島県・さつま町(旧・鶴田町)の旅 第33回

2017-04-09 19:24:34 | 33.鹿児島県・さつま町(旧・鶴田町)の旅

 

こんにちは。33回目の旅はさつま町の旧・鶴田町です。

今年は鹿児島県でも観測史上、桜が最も遅い開花となったようです。

2月、3月は寒い日が多く続きましたし、冷えた風の強い日が多かった。

遅い春がようやく到来したということで

外の雰囲気も一転して変わったように感じます。

やっぱり鹿児島は南に位置する所なんだから温暖な気候じゃないと。

 

県道404号線。

大鶴ダムに繋がる道。

桜がいよいよ満開の時期になってきて

所々ピンクの場所がみられる。(この画像では1本しかないけど。)

鶴田ダム。

九州でも屈指の巨大さを誇る重力式コンクリートダムである。

重力式コンクリートダムというのは幾つかあるダムの種類の中でもっとも頑丈な構造で地震や洪水にも強い。

豪雨地帯で川内川ほどの大規模な河川の水量をコントロールするには必然的にこの構造となったのであろう。

ダムの上は道路にもなっており通行も可能である。

鶴田ダムは別名大鶴湖とも呼び、ヘラブナ釣りのスポットとして親しまれている。

が最近はブラックバスやブルーギルの繁殖に頭を悩ませているようだ。

そのため、釣ったらリリース(湖に戻さないで)しないで

家に持ち帰って食べろのこと。

もともとブラックバスは食用で持ち込まれてきたものではあるので

料理には向いてるとは思うが・・・・(ブルーギルも美味であるとのこと。)

紫尾温泉の一つ・ちどり荘。

入浴のみ1回大人300円。

泉質は硫黄単純泉でアルカリ性。効能は皮膚病や切り傷など。

お昼ごろ来たが、客は誰もいなかったため

露天風呂も浴場も独り占めである。非常に気持ちよかった。天国~

ちどり荘から道路を挟んで反対側にある紫尾神社。

紫尾山が信仰されていた背景から建立されたという。

鎌倉幕府・室町幕府から崇拝されていた他、

江戸時代では薩摩藩・島津氏の手厚い保護を受けた。

それもあって賽銭箱は島津の家紋が記されている。

拝殿。

驚くことに賽銭箱の下に紫美温泉の源泉がある。

先ほど入ったちどり荘の温泉含め

紫尾温泉の各温泉施設にこの源泉が送られている。

そのためか、温泉を送る為のポンプがあるのか、あるいは温度調節器でもあるのか

神社拝殿の下から機械音がする。

今回のラーメン屋は国道504号線沿いにある(さつま町の旧宮之城町・佐志付近) 麺どころ「味匠」。

みそラーメンにチャーシューとコーンバターをトッピング。

味は・・・・?

みそラーメンなのになぜかしょうゆラーメンみたいな味。

そして漬物はだいこんではなく、高菜でした。

 

旧・鶴田町の旅 おわり