旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・鹿屋市(旧・輝北町)の旅 第12回

2017-01-01 17:49:49 | 12.鹿児島県・鹿屋市(旧・輝北町)の旅

こんにちはトルニンです。
第12回目は鹿屋市の旧・輝北町を旅します。





星空日本一という町らしいですが、

昼の旅のうえに、雨天。

晴天予報であれば夜明け前もしくは夜間のスケジュールも検討しましたが・・・



画像は県道64号線。道の駅・野方あらさの方面から来ています。





県道64号線からの農風景。

特に目立ったものはなく、典型的な田舎という感じです。





輝北町 中心地域である、百引交差点。

百引とかいて「もびき」と読みます。

ひゃくひき とか ももひき と読んでしまう方も多いはず。

地名って本当に地元の人じゃないとわかんないよな~





鹿屋市輝北支所。輝北町役場が合併により名前が変わっただけのこと。

近くには、公衆トイレや半スーパー半コンビニがある。





市役所の裏側にある山を車で登っていくと

こんな看板が。城跡である。西原城址というらしい。

主に輝北は図師家が支配していた土地とのこと。





しかし西原城址は公園化されていて遺構がよくわからなかった。





公園の一段下の場所。

公園が本丸や二の丸だとすると、画像に移っているのは土塁ということになる。





西原城址を後にし、上百引~市成地区付近を適当に車を走らせる。

が、特にめぼしいものはなく、農風景がひたすら広がる。





再び、農風景。本当に何もない。





県道517号線。





輝北中学校。

塀が武家屋敷風味である。

何か伝統や歴史でもあるのだろうか?





県道72号線。





輝北ダム。

旧・輝北町(鹿屋市)、大崎町、旧・有明町(志布志市)の

畑かん農業用水などで利用されている。


釣りやキャンプは禁止。





輝北ダム建設のために立ち退きにあった家。

当時のままで保存されている。





加世田ヶ城跡入り口。

肝付氏の支城と伝わる。





加世田ヶ城外観。

かなりの要害であることがわかる。





堀や土塁がしっかりと残っている貴重な山城で、

ここまで状態が良いのは珍しいのではないか。





井戸跡と思われる場所。





本丸と思われる場所。

ここで城主様は政務を執られたのあろう。





本丸よりも更に高い位置にある土塁の上。

おそらくここが城主様の寝場所であろう。


肝付宝塔とされる石造物がある。





輝北ふれあいセンター。

ここでは温泉に入れる。

大人310円。九州は温泉が安い。素晴らしい!





ふれあいセンターで温泉に浸かり、

寒さと疲れを癒した後、施設内にある無料のマッサージチェアに。

人がほとんどいないので貸しきり状態。最高です。





輝北ふれあいセンター近くにある諏訪神社。

昔からある巨木が何本かある。





諏訪神社の横の道路にあった謎の骨。

何かの鳥の頭であろうか?





国道504号線を北上。目指すは輝北天球館。

途中その道端には複数のイルミネーションが。

夜になれば周りに何も無いので

さぞかし明るい綺麗なスポットになるだろう。





レストラン アラジン。

国道504号線沿いにある。

普段はこういったレストランとかはお一人様ですし絶対に行くことはないが、

周りに飯屋がなく、たまたまお客が誰もいなかったので寄る事にした。





レストラン内はとても洋風とカリブ又は東南アジアが混ざったような感じ。

おしゃれな場所はかえって落ち着かないトルニンです。

小汚いラーメン屋とか定食屋みたいな場所が好きな人間ですので。





松定食?というメニューだったろうか。

1品1品、丁寧に作られていて本当に美味しい。

特にお勧めは1個しかないがから揚げ(もしくは竜田揚げ?)。

生姜醤油のような旨みが浸みた絶品でした。





登見ノ丘公園。(ドウゲンの丘と読むらしい)

土岐氏の墓などがあった。





登見の丘公園から見た景色。

国道504号線沿いの町並みが見える。





輝北天球館に到着。

が、ご覧の通り、濃霧にさらされております。

来た意味ねえ~





輝北天球館を後にし、再び国道504号線に

道沿いに揚げもち屋を発見。


本当に餅を揚げただけで特に特徴があるわけではない。

でも、店の人とは地元話で多少盛り上がった。





砂糖醤油味の揚げ餅。2個入れで300円。

おばあちゃんがおやつで作ってくれそうな懐かしい味。





県道516号線に移り、

途中、朝倉の隠れ念仏洞穴と書かれた案内板を見つけたので

移動し、そこから更に画像の小道を歩く。


寒くて、暗くて、何よりも薄気味悪い。





朝倉の隠れ念仏洞穴。

なぜ隠れがついてるかというと、

江戸時代、薩摩、大隅は島津藩の支配地であった。

島津藩では一向宗は禁止されていた。

そのため、一向宗徒は島津藩に隠れながらこの場所で信仰をしていたようである。




今回の旅はこれで終了。

雨や霧でいささか気分は乗らなかったが

温泉や美味しい食事にありつけただけでも良かったと思う。

というか、旅はこれさえあれば最低限楽しいものとなるだろう。