旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・さつま町(旧・薩摩町)の旅 第27回

2017-02-26 20:49:39 | 27.鹿児島県・さつま町(旧・薩摩町)の旅

こんにちは!
27回目の旅はさつま町の旧・薩摩町です。

さつまちょうのさつまちょう・・・・

何だかややこしくなりそうですが、さつま町は宮之城町、鶴田町、薩摩町の3町から合併した町であります。
そのうちの薩摩町を訪れるわけですが

薩摩というのは鹿児島の代名詞(決して大隅を忘れたわけではないです)として、また藩名でも使われたことから
このさつま町、そして旧・薩摩町は
鹿児島の中の鹿児島ともいうべき町なのでしょうか?

そんな謎を抱きつつ出発です。



国道504号線。
北薩空港道路という高速道路もどき(国道504号線扱い)を永野インターで降りて旧・薩摩町、永野地区に向かっている途中。
内陸の自治体だけあって
こじんまりとした雰囲気だが、マイペースな私にとってはその方が好きである。



県道50号線。
永野地区には金山があるというので向かってみることに。
金山といえば、旧・横川町の旅で行った山ヶ野金山があったが
位置的にはほぼお隣である。
ここら一帯は金埋蔵地域なのだろう。
ということは未だ眠っている金鉱が眠っていてもおかしくはない。



金山があったと思われる付近に来たのだが
道に迷い、金山坑を探すもわからず。
狭い路地や悪路が続き引き返すことに。

画像は石垣のある台地と桜の木のある区画。
おそらく、金山採掘が盛んな頃はこの場所に集落があったに違いない。
その跡地に桜を植えたと考えられはしないだろうか?



永野鉄道記念館。
今では廃線になった宮之城線、永野駅の跡地を新たに鉄道記念館として建設・整備した施設。



中には展示室があり、鉄道に関する備品などが飾られているが鍵がしてあるので、
入室の際は記載されている場所に連絡し鍵を開けてもらい入室することができる。

メンドくさw




敷地内には鉄道に関する機械や備品の他、
車両や線路、案内板などがある。



下丁場磨崖仏(しもちょうばまがいぶつ)

永野地区にある国道504号線沿いの石崖に梵字や仏の肖像が刻まれている
謎の場所。




画像の左と右の部分に梵字、中央やや左部分に仏像もしくは菩薩像のような絵がある。



案内板の説明だと1341年に造られたらしいが
どうやら長野城やその付近(長野は永野地区のことだろうか)が高城石見権守という一族に攻められた際の戦没者を慰霊する為だったとのこと。
それにしても、大掛かりな彫刻である。
漢字ではなく梵字で書かれていることが、雰囲気をいっそう謎めいたものにしている。



別府原古墳(びゅうばるこふん)

べっぷばらではなくびゅうばると読むそうだ。
1969年という割と最近に見つかった古墳群。
5世紀ごろのものらしい。

西暦400年代ということなので
まさに古墳時代真っただ中といったところだが、
この地を支配してたのはクマソなどであろうか?



地下式板石積という南九州でよく見られる古墳で
地下2メートルの穴に石室を造ってそこに遺体を置き
土を被せた後に板石を魚のうろこ状に積み上げていくという方法。



植村池。
永野地区から求名地区に向かう途中の県道396号線の近くにある。

灌漑用のため池として古くから存在しているらしいが
いつ頃からあるのかわかっていない。
一説には250年ほど前の江戸時代中期と言われている。



植村池の駐車場近くの休憩スペース付近には
謎のカッパがいた。
妙にスマートなカッパである。(脚まで組んじゃって



求名地区。キュウナと書いてグミョウと読む。
旧・薩摩町は求名、永野、中津川の3つの集落からなる。



国道267号線。
熊本県の人吉市と鹿児島県の薩摩川内市を結ぶ国道。
その途中にこのさつま町の薩摩町の求名がある。



薩摩町の農風景。
ご覧の通り、薩摩町は鹿屋市の旧・輝北町と同じくらい田舎である。



求名地区にある山ン口の坂。

明治初期に開設された。
名前の通り、山の中を切り開いて造られた坂道で、
求名小学校(当初は手習所と呼ばれた)を通学する生徒たちや
通勤などで使う大人たちに利用された。

しかし、利用したといっても
所詮は山の傾斜のあるきつい坂道で
雨の日などは川のように水が流れたという。

当時は草履や下駄がほとんどで、中には素足の者もいたという。



現在は藪だらけで道らしき道は消え、自然の一部に還りつつある。
しかし、この山中を毎日のように通行していた当時の地元の人々は
全員修行僧(もしくはアスリート)だったに違いない。

われわれ現代人は車やバイク、自転車などを手に入れ
移動を劇的に楽にすることができた。

しかし、歩くということをしなくなった生活は
確実に脚力を衰えさせていることだろう。

生きてる間は死ぬ寸前まで足が丈夫のまま
歩くことができる体でありたいものである。



稲富神社。
1669年に創建されたという。



境内と拝殿。
200年、300年以上の古木が幾つかあり、ご神木として祀られている。



県道396号線。
中津川地区方面へと向かう。



永江の滝。
なかなかの迫力である。
展望台もあるが、道路からの方が見えやすい。



県道403号線。
観音滝公園に向かう。



観音滝温泉「滝の宿」

大人一人330円。
おそらく旧・薩摩町で一番混むところ。



温泉に浸かり
1週間の疲れを癒したその後、お隣の観音滝公園に移動。

ゴルフ場やキャンプ場などがある。



滝のある場所までは森林の中を歩くちょっとした散歩コースだ。



和風の様でちょっと違う何ともいえない歩道階段。



観音滝・一の滝。

実物は画像以上に迫力あります。



ぽっかりと口の開いたような空間に流れる観音滝・二の滝。



公園内にはガラス工芸館がある。
薩摩切子という有名なガラス細工を生産、販売している。
製造工場は直接見学もでき、
当時(幕末から明治初期)の製法を窺うことができる。



観音滝公園を去り、最後にお土産を買って帰る。
さつま特産品販売所。
旧・薩摩町は梅干が有名。



旅を終えようと帰ろうと思ったが
県道407号線を通ってなかったので
通ることに。

3桁の400番台の県道である

・・・

やはり道は狭く
そして何もなかった・・・。






























鹿児島県・錦江町(旧・大根占町)の旅 第26回

2017-02-19 16:23:36 | 26.鹿児島県・錦江町(旧・大根占町)の旅

こんにちは。

第26回目の旅は久々に大隅半島の南を攻めたいと思います。
場所は鹿屋市の南に隣接している錦江(きんこう)町の旧・大根占(おおねじめ)町で
す。
前回の旅では湧水町では雪が積もっている場所もありとても寒かった思いをしました。
ですので今回は少しでも暖かい場所にしようと思い、単純に南に行けばいいのではないかと大根占町に決めました。




国道269号線。鹿屋市の浜田方面から南下。
ご覧の通り、今日は快晴で気持ちの良い青空が広がる。
さらに、今回はこれまた青々とした海も一緒だ。



さすがに大隅半島も南となってくると亜熱帯の植物が出てくる。
大根占町に期待が走る。
爽やかな景色に心も躍る。

だが、どういうことだ。
ものすごい風の強さとそして寒さだ。

風景として見る分には寒さを感じる景色は何一つない。
なのに温度は低い。おまけに風が強いから余計に冷たく感じる。

もはや、鹿児島県には奄美諸島ぐらいしか暖かいところはないのだろうか。
日本本土である限りたとえ最南端に行ったとしても防寒装備をしていった方がいいと思える。



道の駅・錦江にしきの里。
国道269号線にあるこの道の駅には
錦江町産の野菜を始め、蓄肉、海産物、花、お菓子など色々な物が売っている。
いわゆる地元の物産館としての機能である。

そしてもう一つの特徴としてはコンビニエンス・ストアであるローソンが隣にあることだ。

思えば、かつて訪れた
道の駅・野方あらさの(大崎町の旅)や道の駅・たからべ(曽於市・旧・財部町の旅)でもローソンが隣接していたり敷地内にあった。

今のところセブンイレブンやファミリマートが道の駅と隣接や敷地内にあったことはない。

いや、セブンに関しては道の駅・すえよしが条件に近いものが一つだけある。
しかし、交通量の多い国道10号線の3車線道路反対側の斜め方向にあるので、
道の駅からはかえって行きづらい。

近くにあるという条件なら道の駅・桜島や道の駅・くにの松原おおさきにも
ローソンが近くにありこれらまで該当してしまうので
すえよしのセブンの件はあえて除外しよう。

話は戻るがローソンと道の駅は裏で経済協力や提携でもしているのだろうか。
思えば、ローソンは郵便局いわば、民営化したとはいえ半分国家企業みたいなものだ。
要は親方日の丸である。その郵便局とローソンが仲がいいので(ヤマト運輸と仲が悪いということもあるが)
各自治体や国土交通省の管轄である道の駅は当然親方日の丸と仲がいいコンビニとタッグを組みやすくなる。

つまりはローソンはコンビニの中の公務員的存在なのではないか?
だから、道の駅にはローソンの存在があるのかもしれない。



とある高台から薩摩半島の開聞岳方面の景色。
開聞岳は富士山のように綺麗な円錐をしていてわかりやすい。

これは夕方時の画像だが、実は今回、初めて車中泊というのを実験的にやろうと思って
あえて夕方前に旧・大根占町に訪れた。(今週はたまたま土日が休みだったので)

会社勤めで週1しか休みがないため、連続して旅することは出来ないが
いずれは会社をやめて連続して旅に出るときに
車中泊する時があるだろう(毎回ホテルに泊まるお金もないし、冬にテントを張るわけにもいかないので)。

そう思って、車中泊(軽自動車)に挑戦してみた。

しかし、実際やってみるとこれがきつい。

一応、寝袋と毛布に枕は用意したが、
しょせん軽自動車なので狭くて寝返りはうてない。
座席シートも完全に平らにはならないので腰や首が変な感じに。

おまけにドアの隙間や窓から寒さが伝わってくるので
朝方になるにつれ辛くなってくるのである。

今回は何度も目を覚ましながらの苦しい車中泊ではあったが
まだまだ改善の余地はあると思うので試行錯誤していきたい。



早朝、夜明け前から寒さでボーとしていた私は、
ようやく明るくなってきたので砂浜へと足を運んだ。(道の駅で車中泊していました)

神川海岸。
旧・大根占町いや錦江町唯一の海岸である(錦江町のもう一つの旧自治体、旧・田代町は内陸のため)。



錦江湾に流れ込む神川(神ノ川)。河口。



神川海岸正面。
開聞岳が見える。
日の出を拝みたいが、西側なので諦めるしかない。



国道561号線。
亜熱帯植物がちらほら見られる。



長次郎滝。
海のイメージが強かったが
大根占は滝の町である。



滝の近くまで行ってみた。



長次郎滝を過ぎ、次にやってきたのが
大根占でもっとも有名な滝、そして観光スポットである、神川大滝公園。



駐車場に車を停め大滝を目指す。
公園の中心部に向かう為の吊り橋。



吊り橋の下は神ノ川が流れる。
かなり透明度の高い川。まさに神の如しである。
綺麗だなあ。



近くには湧き水が出ているところがある。
触ってみると予想に反して温かかった。
むしろ温泉?

飲むと長寿になれるらしい。



未だ朝ということで
客も管理者も誰もいなかった。
なんと一人貸しきり状態である。



これが大滝。
・・・・ではなくこれは小滝。別名:弁財天の滝。

神ノ川には7つ滝があり、大鰻がかつて暴れていたがそれを鎮める為に
七福神がそれぞれの滝に鎮座したという。



大滝方向へと進む。
途中、飲食施設と思われる建物が横に、また上方には大きな橋のようなものが見える。

建物は大滝の茶屋という食事処。
午前11時から午後3時まで営業している。流しそうめんが有名だとか。



大滝。

今まで鹿児島を旅してきて複数の滝を見てきたが
この滝が一番神秘的で且つ迫力があると思う。

滝つぼからの飛沫で手が凍えそうだったが
それを我慢してでもこの滝をいつまでも眺めていたかった。



大滝に感動した私は
ついでに先ほど上方に見えた大きな橋に向かった。
途中、結構急な山道を登ると
そこには赤い大きな吊り橋があった。

駐車場の近くにあった吊り橋の倍以上はあるだろう。
また、かなり高いところにあり景色も素晴らしかった。



さきほど小屋の近くで吊り橋を見上げた場所を逆に見下ろしてみた。
まるでミニチュアで出来たジオラマセットのようだ。

ちなみに反対側を見れば大滝が見れますが
その景色は是非訪れて目で味わって見て下さい。



素晴らしい滝と川と景色の神川大滝公園を後にし
山奥へとさらに車を走らす。
すると材木を重ねた家の骨組みのようなものが無数に道路際に出てくる。



これは大根を干すためのものだ。
大根占町はその名の通り大根の町でもあったのだ。

実は、昨日夜、ライトアップされるというので見る為に訪れていたのだが
ライトアップはクリスマスの時期だということで
既にシーズンは過ぎていたのだ。(無駄骨に終わる)

しかし、未だ所々に大根を干してはあるようだ。



県道68号線。以前、鹿屋市の旧・吾平町の旅で通ったこの県道は
最南端である佐多岬方面まで続いている。
交通量もなく、非常にドライブにうってつけの道路である。



県道562号線。旧・大根占町と旧・根占町を繋ぐ山ルートの県道。
海沿いから行くときは普通に国道269号線でOK。
集落が僅かにあるだけで本当にのどかな道路。

日本のどの地域よりも歴史は古そうなのに
まだまだ未開の土地がたっぷりの大隅半島。
そのほとんどが錦江町、南大隅町、肝付町南部に集中している。



県道68号線で撮ったとある風景。



県道562号線で撮ったとある風景。(今旅、一番お気に入りの写真)



旗山神社。
落ち延びた平家の者らが鎌倉時代ごろに創建したといわれる。
薩摩藩では戦ごとがある時は必ず旗山神社の境内にある竹林の竹を切って竹印にして(いわゆる旗印)出陣したという。



画像の木は梅?でしょうか。(桃だったらすいません)
ピンク色の花が綺麗です。



旗山神社の鳥居の対面側にある大楠。
推定800年という樹齢をもつ。

根元は空洞となっており中に祠がある。


旧・大根占町の旅はこれで終わりです。
そういえば、今回、ご当地の食事と温泉できませんでした。
次回の旅では是非とも行きたいですね。






















鹿児島県・湧水町の旅 第25回

2017-02-17 13:39:38 | 25.鹿児島県・湧水町の旅

こんにちは!

私は鹿児島出身じゃないけど真冬は普通に寒い!!
長野出身で北海道にもいたことあるけど鹿児島県の寒さもあんまり変わりません。

北海道は外気温は確かに寒いかもしれないけど他の地域より建物の造りは防寒対策などがきちんとされているし
また、着る服も重装備で臨むので思ったよりは耐えられるのです(それでも寒いけど)。

鹿児島の寒さは長野県に似てますね。寒暖の差が激しい盆地のような気温変化が多いので
朝寒く昼暑いとまではいかないが暖かい。
でも長野の場合は昼は低音なので鹿児島ほど気温は上昇はしない。

朝-3度なのに昼18度とかよくあるので
気温差20度以上とかあると結構体調崩しやすいですね。

そういう意味では鹿児島の冬の方が辛かったりします。


さて今回の旅ですが25回目は湧水町を旅します。

わきみず ではなく ゆうすい 町と呼びます。
湧水町は霧島市よりもさらに北、宮崎県との県境に位置する町です。
熊本県の人吉市とも近いです。

湧水町は本来であれば旧・栗野町と旧吉松町に分けて旅する予定だったのですが
時間の関係上今回は一回分にまとめます。



旧・牧園町方面から湧水町域内に到達。
ここらへんは霧島連峰にも近く、高原特有の爽やかな青空とのどかな風景が広がる。



これは田んぼであろうか。
2月でも緑と青のコントラストを見ることが出来るのは嬉しいものだ。



県道103号線に出ると霧島アートの森というのが見えてきた。
せっかくなので寄ってみることにする。

いつのまにやら曇りになっていた。

霧島アートの森というのは
国内外の作家たちが製作した美術品を野外や屋内に展示した施設だ。

屋内にある作品に関しては撮影はNGということなので
今回は屋外の作品を見ていこうと思う。



フィリップ・キング 氏の 「サン・ルーツ」




「サン・ルーツ」を裏側からみた画像。



八田 隆 氏の 「プライベート・ガーデン」



ウルヒッヒ・リュークリーム 氏の 「ストーン・セッティング」

イギリスのストーンヘンジみたいである。ちなみにリュークリーム氏はドイツ人である。



もう既に前の画像でお気づきかと思うが
いつの間にやら雪が積もっている。

画像は樹林コースを歩いているが、ここは鹿児島である。
長野県の山中だよと言われても何も知らない人が見たら気づかないであろう。



むっ?
あれは野犬か?

私はとっさに構えた。



恐る恐る近づくと
何だ、この犬か狐のような動物もアート作品の一つではないか。
といっても誰の作品とかはかかれてないけど。

単にオブジェとして置いたとしても
周りの風景に良く溶け込んでいてリアルさを感じさせてくれる。
やるじゃないか。



タン・ダ・ウ 氏の 「薩摩光彩」



通鼻義信 氏の 「時の巣」



うん?なんだあいつは?
まるで1本の木のように佇んでいるが・・・。
宇宙人?



アントニー・ゴームリー 氏の 「インサイダー」

この宇宙人のようなものは周辺に何体もいた。
しかし、この宇宙人。チ○コの先が槍のように尖っていた。
街中でこんな奴がうろついていたら即刻通報だろう。



最後に私がもっとも気に入った作品を紹介。

ダニ・カラヴァン 氏の 「べレシート(初めに)」



中を覗くとこんな感じ。

この先の向こうに未だ来ぬ遠い未来とかを連想させる。
あるいは、進んではいけない運命の道なのか。
そんなことを考えながら楽しませてくれるのだ。



RPGやアクションゲームなんかのラスボスへの道みたいでテンション高くなる。
この先の明るい部分は是非、訪れてご自身の目で確かめてくださいな。



霧島アートの森を出て、お次はすぐ近くにある
日本一の枕木階段という場所に来た。
ここは栗野岳の麓に位置しており、登山口は幾つかあるが
この枕木階段からも登頂できる。

この枕木階段がいくら日本一だとしてもさすがに栗野岳山頂までは続いていませんので。



左側の階段561段、右側の階段555段。

これは廃止されたJR山野線の線路の枕木を再利用して造られたもの。
枕木の枚数なのか階段の長さが日本一なのかはわからないが
いずれにせよ大規模である。

鹿がでることもあるらしく、エサをあげないで下さいという看板もあった。



しばらく歩き上っていると、終点の展望台がみえてきた。
いい運動である。



展望台から見た景色。
旧・栗野町を見わたせる。



一度、旧・栗野町方面へと降りてみよう。
路面は雪も残り運転が怖い!
超低速で下りました。




アートの町だけあって住宅街にもこのような作品が。
ピラミッドとスフィンクスかな?あと東京タワー?



旧日本軍の戦闘機?
おや乗っているのは紅の〇の〇ルコでは?



とりあえず栗野駅方面に向かってみる。



栗野駅。
特に変わったものはないが・・・
駅舎の中に栗太郎館という地元の物産を売ってる店があり
そこに湧水プリンというのが売っていた。

じつは事前の情報で湧水プリンがそこそこの人気を博しているらしく
是非食べてみたいとは思っていた。

前回の加治木町の旅でもプリンを食べたが
いつの間にやらプリン好きになっていたのか俺は・・・



これが湧水プリン。
味はプレーンの他に、ゴマやコーヒーなどがあるが
ここはあえて基本の味で堪能したい。

おお・・・
これはなんととろける美味しさ。
やわらかなカスタードの甘さが口に広がる。
何というか基本の味を何も加えずそのまま昇華させた味。

確かにこれは人気出るわ。

ただ、販売しているところがこの栗野駅と吉松駅隣りのSL会館と吉松物産館ぐらいというから
身近に食えるようならもっと認知度が高まると思うが。

まあ、希少性があるというのも一つの付加価値ではあるけど。



県道443号線。
恐怖の400番台県道だが道は広い。



幸田の棚田。
日本棚田百選の1つだが・・・・



今は真冬で稲刈りの時期はとっくに終わっている。
何とも寂しいことか。



県道53号線。
いったん、霧島市方面に向かい
ぐるっと湧水町の外側を回るようにドライブ。



再び県道55号線。
今度は北上して旧・吉松町方面へ



旧・吉松町へ北上するのには県道102号線か国道268号線の二つのルートがある。
ここは県道102号線で行ってみよう。(基本、私の特徴としてマイナーなほうを選ぶところがあります)



あれ、道が狭くなってきたぞ。
400番台の県道じゃないのに。



えーーーー?
何故にこんな人気のない山中に?
というか対向車に全く会わんぞ。どうなっているんだ湧水町。



とんでもない山中の県道102号線を走っていると
六地蔵供養塔という看板が現れたので向かうことに
その道は県道102号線をさらに上回る悪路であった。
少し進むとちょっとした広場がありそこに牧神神社と書かれた鳥居が現れる。



鳥居をくぐると、そこには六地蔵供養塔と書かれた石積みがあった。
六地蔵というくらいだから6体地蔵様がいると思ったが
二つしかなくないか?しかもお地蔵様というより石塔っぽいが。

この六地蔵供養塔とは島津義弘公の次男
又一郎久保という人物を供養したものであるらしい。

この又一郎久保という名前。久保又一郎ならわかるが、何故欧米人みたいにファーストネームが先に?
と思って調べたら、又一郎というのは通称で本名は島津久保(ひさやす)でした。

1592年(文禄元年)又一郎久保は父・義弘と共に朝鮮に出陣。
しかし、翌年に21歳の若さで病死した。

その知らせを聞いた又一郎久保の母である義弘公夫人は嘆き悲しみ
六地蔵塔を建てたという。



県道102号線を脱し、大きな川を渡り旧・吉松町方面に。
この川の名は鹿児島県で一番有名と言っていい川、川内(せんだい)川である。



鶴亀城址。鶴城と亀城の二城からなり
1564年に一時的に島津義弘公が居城した。
伊藤氏や相良氏に対する監視として、機能していた。



菅原神社。

菅原道真公を祀っている。
元は先ほど訪れた鶴亀城址の亀城に鎮座されていたものを
現在の鶴丸駅の近くのこの地に移された。

ちなみに鶴城にも鶴岡正八幡宮が鎮座されていたが
後に、菅原神社よりもさらに北西の川内川付近の地に
鶴丸八幡神社として移築された。



鶴丸駅入り口。ここは人の家の敷地と疑ってしまう。
いや敷地かもしれない。



しかし、鶴丸駅と書かれている。
本当のようだ。



当然、無人駅である。



生活臭を感じさせる使用済み切符入れ。



国道268号線を南下し再び旧・栗野町方面へ。
途中、満福亭または昇龍と書かれた定食・ラーメン屋を発見。
湧水町はあまり飲食店を見かけない。
迷わず入ることに。



ラーメンも気になったが、ご飯物が食いたい。
カツ丼に決定。注文し運ばれてくると
なんと、カツ丼だけでなくサラダ味噌汁漬物と普通に定食で登場。
これは嬉しい。得した気分だ。

豚カツがめちゃウマい。出汁がしみていてそれでいてサクサク。
なんという技術。とろふわの卵と玉ねぎもうまい。

今までの旅の中での食事ランキングをつけるなら第2位の美味しさである。
(1位は曽於市・旧大隅町で食べた、やごろう亭のOXロースステーキ定食)

あまりのうまさに私はこの味を元に脳でレシピを勝手に開発。
自宅でもカツ丼を作って食べた。(もちろん、美味しさの出来は万福亭のカツ丼に全く及ばないが)



腹も膨れて、お次は栗野城跡へ
途中の道にこんな祠が。

猫の祠と書いてある。

朝鮮出兵の際、義弘公が猫を7匹連れて行った。
天候や時刻などを判断するためだったという。

2匹だけが生き残り後に猫神として祀られたという。

旅の前半訪れた六地蔵供養塔に祀られている義弘公の次男、又一郎久保は
大の猫好きだったという。



栗野城跡。
1590から1595の5年間、島津義弘公が在城した。

義弘公は栗野城に拠点を移す前に太田道灌の子孫である太田武篇之介に改築を命じ
現在の状態になったという。
南九州唯一石垣を持つ山城といわれ甲州流築城術であるという。
甲州流築城術と言えば、武田の城に多く見られる特徴である。

それがこの九州の最南端である鹿児島の地にもあったというのは
ちょっとしたロマンであろう。





野面積みという自然の石を積み上げた石垣手法。
戦国時代初期に多く見られる手法だが、シンプルなようで意外に丈夫で
画像が示すとおり現在も当時の様子をそのまま残している。



栗野城本丸。

木が何本か生えているが
これは義弘公が自ら植えたとされるツツジ科の潅木で
本丸が外側から丸見えにならないようにと植えたとのこと。



栗野城本丸からの景色。



最後に、湧水町の名前の由来ともいうべき丸池公園の丸池湧水を訪れた。



周辺にはアートの町であることを思い出させる作品がこれ見よがしにある。



小型肉食恐竜に襲われるトリケラトプス。
トリケラトプスの方がどう見ても強そうだが。

集団相手だったら負けるか。



綺麗な透明度である。
この湧水は実際に湧水町民の生活用水として使われている。
一日に約6万トンの湧出量があるそうだ。

まさに文字通り湧水と共に生活している町なのである。



鴨が泳いでいます。



こんな綺麗な水面で泳ぐとは贅沢ですな!



実際に飲料として飲める場所もあり飲んでみた。
生水を飲むのは実は初めてだったりする。
ちょっと怖かったが。

・・・・

飲んだ感想としては思ったより水がぬるい。
味は特に感じないので良いのではないだろうか。

日本名水百選の一つ。

他の観光客か地元の人かわからないが
ペットボトルを何本も持ってきて水を入れていった。

町民からしたら無料だから、
ミネラルウォーター買うのも馬鹿らしいでしょうね。




湧水町の旅はこれでおしまい。
今回もいろいろ見れて楽しかったです。
個人的には霧島アートの森の
ダニ・カラヴァン 氏の 「べレシート(初めに)」作品が見れて良かったですね。

では、またお会いしましょう!


(画像は丸池公園の散歩道の一部分)












鹿児島県・姶良市(旧・加治木町)の旅 第24回

2017-02-16 22:10:10 | 24.鹿児島県・姶良市(旧・加治木町)の旅

こんにちは!
第24回目は姶良市の旧・加治木町を旅したいと思います。

姶良市は鹿児島市と霧島市を結ぶ位置にあり、これまた人や物の行き来が多い場所にございます。
そんな姶良市でも霧島市と隣接している旧・加治木町。

人によっては加治木町も霧島市の一部と思っている人が少なからずいるみたいです。
そんな加治木町はどんな町なのでしょうか?
それでは行ってみましょう!



精矛神社(くわしほこじんじゃ)。

島津家の猛将、島津義弘公を祀っている。
義弘公は、関が原の合戦後この加治木の地で隠居生活を送った場所としても知られる。

徳川家康は後に大阪の陣で豊臣家を滅ぼしついに天下泰平を手にしたかに見えるが
実はこの薩摩藩に対しては完全に支配することが出来なかったのだ。

薩摩藩は南西諸島(奄美・沖縄)との貿易で経済力をつけていたし、
また幕府と明の貿易をいつでも妨害できる力があった。

地理的にも江戸からは最も遠く遠征することによる様々なリスクもあり
島津家を征伐することは却って江戸幕府の土台を揺るがしかねないことだったのだ。
家康は諦めざるを得なかったのである。

そして時を経て、幕末になり、江戸幕府を倒す原動力の一つになるわけだが。



義弘公はこの加治木の町を整備し学問奨励、産業振興など隠居してもなお仁政・善政を施した。
軍事だけでなく内政にも優れさらには家族や部下思いの面もあるという非の打ち所がない武将だったのだ。



手水舎。
当然といえば当然だが島津家の家紋がしっかりとある。



かじはらというプリン屋さん。
ここは正確には旧・加治木町ではなく旧・姶良町に入ってるのだが
道を間違えてこちら側に入ってしまい
Uターンして戻ろうとしたときに目に留まったので寄ってみた。

私はプリンって柄ではないが、手作りプリン専門店という言葉にちょっと興味を惹かれてしまったのだ。



たくさんの種類のプリンがあったが
とりあえず人気上位でかつ黒砂糖好きな私としては
このプリンを買ってしまった。

黒糖きなこプリン。

とにかく美味い。この黒砂糖のソースがたまらんね。
この10倍の容量を食いたかった。




県道55号線。
55号線は前回の霧島市(旧・横川町)の旅でも通りましたね。
北は湧水町から旧・横川町、旧・溝辺町を経て南は旧・加治木町まで続いている結構長い県道である。



県道55号線沿いの道を南下していると看板があったので小道に入っていくと
石橋が見えてきた。

名称:金山橋。

名前の通り金山で採掘された金鉱石などを加治木港に運ぶ為に造られた橋なのだ。
その金山とはもちろん、前回の旅で訪れた山ヶ野金山のことである。

色々旅してると話が繋がってきて楽しいですな。



龍門司坂(たつもんじざか)。

熊本方面に向かう街道を薩摩藩が江戸時代に大規模改修した石畳の坂道。
現在でも山間部にある500メートル弱の部分が当時のままの状態で残っている。
歴史的にも価値があるということで国指定史跡である。



NHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」「篤姫」「龍馬伝」など
撮影場所としてたびたび使用されたようである。

島津氏の大河ドラマが決まればまた使われることでしょう。



坂道では石畳がずれない処置を施したり、側溝を設けるだけでなく、雨水が1ヶ所に溜まらないようにするなど
随所で工夫がされているようである。



江戸時代はここを武士や町人などが行き来していたのだろうな。
頭の中で当時の情景を膨らませるのも楽しいものだ。



西郷隆盛も西南戦争で6000人の士族を率い熊本方面へとこの街道を通過した。



龍門滝(りゅうもんだき)温泉。
龍門司坂の近くにある。
その名の通り、温泉施設の裏側には龍門滝がある。



大人一人250円で入浴可。相変わらず安い。



龍門滝。
日本の滝百選の一つ。



加治木城跡。
しかし、特に整備はされていなく藪を歩いてるだけだった。
画像は本丸と西の丸の間の空堀を歩いてるところ。(画像左が本丸)



幾つかの民家や作業場が城と隣接または城内にあるので、
訪れる際にはご注意を。



恒例の食事タイム。
今回は(も?)ラーメン屋にしよう。

鹿児島ラーメン笑 という名前のお店。
人によっては
なんか鹿児島ラーメンが馬鹿にされてるみたいな印象を受けないだろうか・・・



お店は愛想のよさそうな店長さんらしきお兄さんと笑顔が似合う東南アジア系の女の子の店員さんがいた。
店の雰囲気は悪くない。

私は味噌ラーメンと餃子セットを注文した。
可も不可もない味。
しかし、印象に残らないことが妙に良かったりもする。
意識しないということで食事に集中できるのだ。



最後に加治木町の名物、「加治木まんじゅう」を買って食べた。

中はあんこという普通のまんじゅうである。
だが、そのシンプルさがかえって良かったりする。

最近の食べ物はお菓子も含め
いろんな味付けや材料が入りすぎていて
素材そのものの味がわかりづらい。

この加治木まんじゅうを食べたとき、生地の味、あんこの味という
それだけを堪能できる。

まんじゅうに何か大切なものを教えられた気分である。


旧・加治木町の旅おしまい。
やはり、この町も薩摩藩、島津公の偉大さを感じる旅なのでした。







鹿児島県・霧島市(旧・横川町)の旅 第23回

2017-02-15 22:02:46 | 23.鹿児島県・霧島市(旧・横川町)の旅

こんにちは。

ついに霧島シリーズもこれで最後となりました。
最後の回は旧・横川町です。



横川健康温泉センター。
大人一人の入浴料は240円と激安。
鹿児島県でも屈指の安さ。

泉質は単純温泉で神経痛や筋肉痛などに適応するとのこと



横川町や前回訪れた溝辺町はお茶の一大産地。
お茶のブランドとして有名な霧島茶はで溝辺や横川産の物を示すことが多い。



県道446号線。またもや登場3桁の400番台の県道。
400番台の県道はたいてい・・・



山中に入り、道が狭くなりがちである。



県道55号線沿いにある横川町の物産館「よいやんせ」
地元の野菜をはじめお土産や惣菜等を販売している。



安良神社(やすらじんじゃ)。

この神社に祀られているのは安良大明神で
安良大明神というのは安良姫のことを差す。

奈良時代よりも昔、京の都の官女(奈良時代より以前なので具体的にどこの場所かはわからない)だったが、
ある日、川で偉い人の服を洗濯していたところ、白サギが現れたので見とれていたところ、
服を川に流してしまった。その罪で火あぶりの刑になってしまい、逃げてこの地の安良山の頂上に辿り着き
そこで自害したという。

その霊を鎮めるため708年の飛鳥時代終盤に安良山の頂上に神社を創建した。
その後はこの場所に神社を移した。



安良神社の境内。
真ん中に井戸がある。
貞子みたいな安良姫の亡霊が出ませんように。



徳源社という島津久通(しまづひさみち)公を祀る神社。
久通公は薩摩藩2代藩主島津光久公の家老である。

久通公はこの近辺にある山ヶ野金山を発見し
採掘、経営に力を入れた。



境内には山ヶ野金山から掘り出された金鉱石も置かれている。



山ヶ野金山の坑道入り口。

1640年に島津久通公が発見して以来
薩摩藩有数の金鉱山となった。
その産出量は一時佐渡金山を凌ぎ日本一の産出量を誇っていた時期もあったという。

採掘は明治に入ってからも続き、戦後まで続いたが
ついに採掘量は減り閉山となった。



坑道は今は閉ざされ当然のことながら入れない。
採掘量が多かったときは
何万人もの人々がここで働いていたといわれ活気があったという。



丸岡公園内にある 「お食事処 まるおか桜苑」

今日は雨天ということで空いてるようだ。
やったぜ。何を食おうかなぁ~



カツカレーを注文。

うめえええええええ。
なんというか基本を大事にした見本のような美味しさ。

いやあトンカツとカレーという両方美味い素材を合わしたカツカレー考えた人、マジで偉いわ。



カツカレーを平らげ、すっかり満足感になった俺。
丸里公園を一望する。



公園内はかなり広い面積があり
横川町の人口では間違いなくもてあましているだろう。



県道445号線。
頻繁に現れる400番台の県道。
そういえば200番台とか300番台の県道にはまだ出会っていないな。



県道はお約束の山中に。



大隅横川駅。
なんと100年以上前の駅舎の姿のまま、現在に至る。
太平洋戦争時の米軍機による機銃掃射の痕が残っている。(写真撮るの忘れた。すいません)



明治の時代から使われてきたという歴史ある駅舎内。



横川城跡。

築城は鎌倉期のもの。
室町時代以降、北原氏が治めてきたが
戦国時代の1562年に島津氏に反抗したが島津義弘・歳久らの攻撃を受け落城した歴史を持つ。
その後、島津氏は菱刈重猛に城を任したが、重猛の弟の隆秋が背き再び島津氏の攻撃を受け落城した。







城内はいくつもの土塁や空堀等で守りを固められている。
訪れる人は少ないらしく状態はとても良い。



横川城本丸。



本丸の周囲は画像のように囲むように土が盛られている。
この形態は以前、肝付町(旧・高山町)の旅で訪れた高山城跡の本丸でも見られた。

本丸へと攻めてくる敵が下から本丸に向かって
弓矢や投石による攻撃を防ぐ為の防御構築であると考えられる。



本丸から一歩でも外に行こうものなら、このように急な斜面が現れる。



旧・横川町の旅はこれで終わりです。
いやあ、全7回にも及んだ霧島シリーズの旅。ついに制覇であります。

霧島市というのは
薩摩、大隅、そして宮崎を結ぶ地理的にとても重要な場所です。
地理的に重要ということは当然、交通が発達し経済も発展する。
そうなるとまたもや波及効果で文化や歴史まで育まれていくのです。

今後も霧島市は成長を続け遠い未来
鹿児島市を抜くナンバー1の都市になる可能性を秘めていると思います。
霧島市で不動産を持っている方、くれぐれも売りませんように・・・(笑)