現在、匝瑳市の旅を進行中だが、その途中途中で城跡巡りも行うつもりである。
私は神社やお寺、川や湖などといった自然あふれる景色なんかも好きだが、
城跡に関しては特に好きな場所である。
城跡はそもそも戦いのためにあり、命のやり取りが実際に行われた場所でもある。
そんな血なまぐさい場所が好きなのは、野蛮な事を好む男の遺伝子があるからかもしれない。
また、山や森の中に所在してることが多いので、人々があまり来ない点も私の好きな理由だ。
その為、当時の形状や様子がそのままの状態で残ってる事が多い。
誰にも手を加えられてない故の貴重さがある。
しかし、その一方で整備されることが滅多になく
城跡が荒れていて何が何だかわからなくなってしまうデメリットもある。
前置きはそこまでにして、城跡を訪れたので紹介する。
場所は千葉県匝瑳市の北西部。多古町との境に近い場所でもある。
この記事のタイトルに大堀城跡(探検失敗)とある。
何が失敗だったのかと言えば、大堀城跡の状態が身動きが取れない程の藪だらけで、探検どころではなかった。
そんな記念すべき第1回目の城跡から躓く形になったが、
せめて見れた場所だけでも紹介したいと思う。
それでは出発。
大堀城跡外観。
名前の通り、匝瑳市大堀地区にある。
周りは田畑しかない。
画像は大堀城跡を北西側から見た位置となる。
左側が北方向、大堀城跡の先端にあたる。
入山開始。
既に藪は多めだが、まだ進めない程ではない。
城の西側から頂上に向かって斜面を登る形になる。
大堀城跡はだいたい3つの区画に分かれているとのこと。
画像の位置は真ん中に位置する、おそらく主郭(いわゆる本丸、中心区域のこと)となる場所の西側になると思われる。
頂上に到達してみるも、特に何もなかった。
もう少し北の方に歩いていくと、急斜面が出てくる。主郭との境だろうか?
降りるには少々躊躇われる高さはある。
やや東側に移動してみたが、やはり傾斜のきつい場所は続く。
移動すればするほど、藪が酷くなって身動きが取れなくなる。
追い討ちをかけるように、蚊が十匹くらい大量にまとわりつき始め、さらに近くでスズメバチを発見。秋のスズメバチはヤバい。
そうこうしているうちに気力や集中力を奪われ始め、体力も失い始めたため調査を断念することを決める。
脱出を試みようと
傾斜が急ではあるが無理やり下った。
北側の郭へと移動した辺りで、初めて遺構らしきものにぶち当たる。
ちょうど郭の東側部分だろうか。
土塁(土を盛った防御遺構)らしきものを発見した。
土塁とは郭の外側などに土を盛り上げることによって郭外から来る敵の侵攻を行いにくくしたり、矢などの遠距離攻撃の防御にも効果を発揮する。
何はともあれ、帰ろうとした矢先に城跡らしいものを見れてよかった。
大堀城跡の探検はこれで終わりだが、次回の城はもっと探検しやすい場所だといい。
しかし困難があるからこそ探検と言うのであって
探検と銘打っているのに楽を求めることは複雑な心境ではあるが。
ちなみに大堀城跡に関する歴史や背景などはほとんど不明なようである。
ただ、基本的に中世の下総(千葉県の上半分辺りの地域)は千葉氏が支配していた地域であり
匝瑳市などは椎名氏など千葉氏の家臣が治めていたので、
いずれにせよ千葉氏関連の者が統治していたと思われる。
画像は大堀城跡の外周に咲く曼珠沙華(ヒガンバナ)の花。