今日は、北鎌倉の浄智寺に行き、フランス文学者・渋沢竜彦さんの23回忌の法要に参列してきた。
北鎌倉までの道中は、品川駅で友人、女優のEさんと待ち合わせ。朝食を食べていないというEさんの希望でサンドイッチとコーヒーを買い込んで湘南電車に乗り込んだ。
電車のなかでは、友人が「渋沢さんの記憶がちょっとよぎった」と言うと、すかさず「夜霧よ今夜もありがとう」と応じるなど和気藹々の感じ。私がしめてきた黒地に黒のペーズリー模様が織り込んであるエトロのネクタイをセンスがいいとほめてもらったり、Eさんの思出話などを聞いているうちにあっという間に北鎌倉についた。電車を降りると、別の車両から降りた知り合いなどもいて互いに挨拶し、法要というより、ちょっとした同窓会のような感じだ。
お寺では、渋沢未亡人に私の翻訳の出版が内定したことを伝え、あわせて、渋沢さんの遺影に向かって翻訳がうまくいくよう祈った。
私の翻訳は、もともとサド侯爵が登場するまでの思想史的な欠落を埋めようとおもって着手したものであり、それが出版できることがほぼ決まり、またそのことをサドの著作の翻訳者である渋沢さんの遺影に報告できることはほんとうに感無量だ。
法要の後、参列者ほぼ全員でお寺の裏手にある渋沢さんの墓にお参りし、その後また和気藹々と会食した。
会食の場では四方田○彦さんに席が近かったので、来るときの電車の吊り広告で見た雑誌『潮』のブニュエルの記事のことなどいろいろな話を聞くことができたし、その後席を変えて、フランス思想の谷川○さん、名古屋○ストン美術館館長の馬場○吉さんら、久しぶりに会う大勢の人と雑談したり、翻訳出版の話をしたり、有意義な一日だった。
また写真家の細江○公さんは、みんながスナップ・ショットを撮っているときに光線の加減とポーズをアドバイスするなど上機嫌で、全盲の人たちの写真活動といっためずらしい話が聞けた。
細江さんは渋沢さんだけでなく三島○紀夫の写真なども撮影しているが、帰りの電車では、ある正月にその三島が渋沢邸を訪問した際に居合わせた人たちといっしょになり、渋沢さんだけでなく、三島のエピソードもいろいろ聞くことができた。
北鎌倉までの道中は、品川駅で友人、女優のEさんと待ち合わせ。朝食を食べていないというEさんの希望でサンドイッチとコーヒーを買い込んで湘南電車に乗り込んだ。
電車のなかでは、友人が「渋沢さんの記憶がちょっとよぎった」と言うと、すかさず「夜霧よ今夜もありがとう」と応じるなど和気藹々の感じ。私がしめてきた黒地に黒のペーズリー模様が織り込んであるエトロのネクタイをセンスがいいとほめてもらったり、Eさんの思出話などを聞いているうちにあっという間に北鎌倉についた。電車を降りると、別の車両から降りた知り合いなどもいて互いに挨拶し、法要というより、ちょっとした同窓会のような感じだ。
お寺では、渋沢未亡人に私の翻訳の出版が内定したことを伝え、あわせて、渋沢さんの遺影に向かって翻訳がうまくいくよう祈った。
私の翻訳は、もともとサド侯爵が登場するまでの思想史的な欠落を埋めようとおもって着手したものであり、それが出版できることがほぼ決まり、またそのことをサドの著作の翻訳者である渋沢さんの遺影に報告できることはほんとうに感無量だ。
法要の後、参列者ほぼ全員でお寺の裏手にある渋沢さんの墓にお参りし、その後また和気藹々と会食した。
会食の場では四方田○彦さんに席が近かったので、来るときの電車の吊り広告で見た雑誌『潮』のブニュエルの記事のことなどいろいろな話を聞くことができたし、その後席を変えて、フランス思想の谷川○さん、名古屋○ストン美術館館長の馬場○吉さんら、久しぶりに会う大勢の人と雑談したり、翻訳出版の話をしたり、有意義な一日だった。
また写真家の細江○公さんは、みんながスナップ・ショットを撮っているときに光線の加減とポーズをアドバイスするなど上機嫌で、全盲の人たちの写真活動といっためずらしい話が聞けた。
細江さんは渋沢さんだけでなく三島○紀夫の写真なども撮影しているが、帰りの電車では、ある正月にその三島が渋沢邸を訪問した際に居合わせた人たちといっしょになり、渋沢さんだけでなく、三島のエピソードもいろいろ聞くことができた。