闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

『点と線』と『虚無への供物』ーーチーズとボージョレ付き

2007-11-29 16:42:32 | 雑記
日曜日の夕方は、大家さんの部屋を訪ねた。
大家さんのお母さんから、銀座にあった伝説的ゲイバー、ブランシックについてさらにくわしく話をきくということもさりながら、知人からルロワ社のボージョレ・ヌーヴォーをいただき、一人では飲みきれないので一緒に飲むというのがとりあえずの目的だ。お昼過ぎに大家さんに電話をいれたところ、夜はチーズを食べる予定というので、それならボージョレにぴったりと、夕食にご相伴させていただくことにした。

で、夕食。
チーズを食べるというのが具体的にはどういうことなのか、大家さんの部屋を訪ねるまで私にはよくわかっていなかったのだが、食卓をみると、ほんとうにチーズだけが用意してある。これはどういうことなのかきいてみると、フランスでは、ワイン同様チーズにも季節感があるのだが(季節によって牛や山羊が食べる牧草が異なるので、チーズの味が異なる)、大家さんは秋に出回るラクレット・チーズが大好きで、しかし日本で買うと高いので、フランスに住んでいる友人に頼んで、毎年、新しいラクレットが出回るようになるとキロ単位で送ってもらっているのだという。このあいだの日曜日は、その到着したばかりの新しいラクレットを食べる夕食だったのだ。
大家さんのところでは、このラクレットの食べ方が(それをはじめてみる私からすると)とても本格的で、卵焼き用の調理器を小型にしたような10㎝四方のちょっとした耐火調理器具(取っ手のついた鉄板)を卓上コンロの上にのせ、その調理器具に薄く切ったラクレットをのせて加熱し、それが少し溶けかかったところで、あらかじめ用意してあった茹でジャガイモにのせてジャガイモと一緒に食べるのだという。ラクレット加熱用の調理器具(器具というほど複雑なものではないのだが)は日本にないので、それ専用にスイスから取り寄せたものを長年愛用しているという。
そんな説明を一通りきいたあとで、いざ食べ始めると、ラクレットが次々に熱くなるので、それをとるのに忙しく、じっくり話すとかそういうムードではない。要するに、わかりやすくいえば焼き肉を突っついているような状態なわけで、夢中になってラクレットをとっているうちにすっかりお腹が一杯になってしまい、ボージョレもあっという間に空になった。

一息いれて雑談タイム。あらためてきいてみると、大家さんのお母さんは、ブランシックに行ったことは行ったが、銀座に出たついでに友達に誘われて喫茶店として利用していたという感じなので、店がどんな感じだったか等の細かい記憶はあまりないという。ただ先日もこのブログに書いたように、ボーイさんがきれいな人ばかりだったということを覚えているのだという。ブランシックのことは、店名やシチュエーションを変えて三島由紀夫の小説『禁色』にいろいろ描写されているのだが、戦後まもない時代は、新宿二丁目どころかゲイだけが集まる専門のゲイバーもなく、一般の人も入れる喫茶店状の店の奥で、ゲイはひっそり相手を探していたのだ。そのブランシックが、当時の代表的ハッテン場であった日比谷公園からさほど遠くない三越横の路地裏にあったというのは、場所的にはなっとくできる。もしかすると、大家さんのお母さんも、それとは知らずに三島由紀夫や多くのゲイたちとすれ違っていたのかもしれない…。

ブランシックをめぐる話が一段落したところで、テレビで推理ドラマをみるのが好きというお母さんに会わせて、松本清張原作の『点と線』(テレビ朝日)をみる。私の部屋でテレビをみることはほとんどないので、高橋克典はかわいいとかなんとか、みんなでワイワイいいながら、お気楽にドラマをみた(そういえば私は、一時期カラオケで高橋克典の歌をよく歌っていた)。
このドラマ、前日に放送された前編をみていないし、松本清張の原作も読んでいないので、最初、宇津井健が老後の高橋克典を演じているといった設定がよくのみこめなかったのだが、みているうちにそれもあまり気にならなくなって、結局最後までみてしまった。きけば、大家さんのお母さんは、『点と線』も原作が雑誌『旅』に連載されていたころ毎月読んでいて、とても夢中になったのだという。ブランシックといい『点と線』といい、大家さんのお母さんは、きっと好奇心旺盛な乙女だったのだろう。ときどき、40歳を過ぎて独身の大家さんを目の前にして、「この娘をみてるとほんと変わってておもしろくって、私、この娘を産んどいてほんとよかったとおもうんですよ」などと、さりげなく言う。
ということでドラマ『点と線』自体の感想はあまりないのだが、私が気になったのは、この原作はいつごろ書かれたのだろうということ。それは、東京オリンピックを目前に控えて日本の復興と国土再建のシンボルとして、高速道路を建設しているという事実がドラマの背景にあったからだ(ドラマは、その高速道路建設をめぐる汚職が殺人につながるという展開だ)。つまり、国家が上から必死で叫び、当時の日本人がみな夢中になったとされるオリンピック・ムードの陰に、松本清張はなにかしら暗いものを見出しているという点が、私にはとても興味深かったのだ。こうした松本清張的な関心は、大きな出来事が済んでみるとその陰に隠されてしまい、少し時間がたつと、そうした疑問を抱きながらその出来事を見ていた人の存在など忘れられてしまいがちだ。そんな陰の記憶といったものを『点と線』がしっかり書きとめているという事実を、私はとても重要だとおもった。

さてドラマが終わってから大家さんのお母さんの本棚をさっと見回すと、そのなかにさりげなく中井英夫の『虚無への供物』が混じっていることに、はじめて気がついた。
この作品は中井英夫を代表する傑作推理小説だが、単に謎解きが秀逸だというだけでなく、ドラマの背景に、ゲイやゲイが集まる場所がさりげなく描かれているところが、同性愛者だった中井英夫にとってはとても重要なことだったのだろう(そんな事情を知らずに、単なる推理小説とおもってこの作品を読んだ人にはとてもショッキングだったのだろう)と私は考えている。要するに『虚無への供物』は、クィアネスを露出させた特異な風俗小説としても読めるように書かれているところがすぐれていると私はおもう。すると反射的に、私の思いはこの小説が東京オリンピック開催と同年の1964年に刊行されたことの意味にむかっていくのだが、上にも書いたように、日本中がオリンピックに酔いしれていた頃、中井はそうした一般の雰囲気とは相容れない鬱々としたものをなかに抱えながら、『虚無への供物』を書いていたのではなかっただろうか。この小説のタイトル<虚無への供物>とは、描かれているドラマを象徴したものであると同時に、中井英夫のそうした気持ちをストレートに表現したものではないだろうかという気がする。
証言の少ないゲイ集団の歴史は、過去の<点と線>をつなげることが難しく、ゲイリブなどの活動が表面化するまで、そこになにも動きがなかったかのように記されることも多いが、たとえば『虚無への供物』は、1960年代に一人のゲイがおかれていた心理状態やゲイの風俗を知るうえで、非常に貴重な証言だとおもう(そこに描かれているゲイの風俗は、私の大家さんのお母さんが語るブランシックの雰囲気とさほど遠いものではない)。

部屋に戻ってから、ウィキペディアにキーワード<点と線>を入力し、この小説が1957年から58年にかけて『旅』に連載され、58年に刊行されたということを知った。