TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

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駒場にある東大博物館にて、『W・B・イエーツとアイルランド展』開催

2012年07月10日 | イェーツと陶淵明
 暫く前、ある会誌に詩人イエーツについての雑文を書いたが、これを偶々読んでいただいた知人から、東大駒場博物館でのイエーツ展のことお知らせいただいた。知人は歌舞伎・能に造詣深く、日本の能にも関心を持っていたイエーツについて語り合ったことがある。

 この展覧会は、東京大学とトリニティー・カレッジ・ダブリンとの間で締結された学術協定を記念して企画されたものであるとのこと。館内には、アイルランド国立図書館で開催された『W・B・イエーツの生涯と作品展』をもとにアイルランド政府が制作したパネルや資料が展示され、イエーツの文学者としての軌跡をたどることができる興味深い内容であった。
 
 この数年、アイルランドと詩人イエーツへの関心を高めていたので、タイミングのいい展覧会であった。特に若い頃からの詩集など作品についても目にすることができ、有意義な一日であった。

 実は、イエーツの父ジョン・バトラー・イエーツは画家であった。
下記写真の中の作品は、1887年、この父ジョンが、若い時代のイエーツをモデルに描いた習作『ゴル王』である。また、その下の作品は、イエーツの詩『ゴル王の狂気』を題材にして描いたスケッチである。(山下)






アンソニーホプキンス、イエーツの詩を読みながら感極まる

2012年07月07日 | イェーツと陶淵明
イェイツは、幼少時を過ごした英国スライゴーの自然と、後半人生での詩作の地であるクール地方の湖や塔をこよなく愛し、アイルランドの原風景の中から多くの詩や戯曲を制作、祖国の文芸復興にも尽力した。この地に古くから伝わる伝承をもとに、ケルトの妖精物語を作り、日本の能にも関心を寄せた。作品は神秘主義的なところもあり、いささか難解であるが、心惹かれる詩人・劇作家である。


そんな訳で、このところ、イェイツのことが頭から離れなかったのであるが、年が明けてテレビを見ていたら、またイェイツが登場した。アンソニー・ホプキンスのトーク番組である。これには驚いた。しかも、なかなか感動的なシーンであった。アンソニー・ホプキンスは、アカデミー賞に輝いた『羊たちの沈黙』や貴族の館の執事のストイックな人生を描いた『日の名残り』など、数々の名演技で評価の高い英国の名優である。私の好きな俳優の一人でもある。これは米国アクターズ・スタジオが主催する俳優・監督のトーク番組であるが、ジェームズ・リプトンのインタビューが絶妙で、人気が高い。

この番組にアンソニー・ホプキンスが出演するというので、楽しみに観ていたのだが、「詩が好きだ」との会話があり、突然、イェイツの話になったので、驚いてしまった。リプトンから「母親の旧姓は?」と聞かれ、「イェイツ」と答えたのだ。祖父の家系が関係あるとのこと。そして、促がされて、詩を朗読し始めた。「イニスフリーの島へ行こう、土と編み枝で家を建てよう、豆を植えミツバチの巣箱を作り、一人暮らそう、・・・」と。そう、なんと、『イニスフリーの島』であったのだ。しかも、ホプキンスは、朗読の途中、感極まって涙する。大勢の聴衆に「すまない」と照れ笑いするが、会場からは割れんばかりの拍手、感動的なシーンであった。クリント・イーストウッドといい、アンソニー・ホプキンスといい、ジョン・フォードといい、私が好きな俳優や監督たちが、こんなにもイェイツを好きとは、・・嬉しいことである。

イェイツのこと、アイルランドのこと[6]

2012年07月06日 | 東西の詩人詠みくらべ
アイルランドはカトリックの国である。第二次世界大戦後の1949年になってやっと独立を果たしたが、何世紀にもわたる屈辱的支配を忘れることなく、いまだに、プロテスタント(英国国教会)の英国への反発は根強い。イェイツはダブリン生まれの“アングロ・アイリッシュ”である。“アングロ・アイリッシュ”とは英国の植民地時代にこの地に移住した支配階級の子孫である。つまり、イェイツの家系は古い時代からアイルランドに居住した“古き英国人”(オールドイングリッシュ)であるが、長い年月の中で、自らをアイルランド人と位置づけ、地元民以上のアイルランド愛国者になったということができる。

イェイツは、幼少時を過ごしたスライゴーの自然と、後半人生での詩作の地であるクール地方の湖や塔をこよなく愛し、これらアイルランドの原風景の中から多くの詩や戯曲を制作し、祖国の文芸復興にも尽力した。この地に古くから伝わる伝承をもとに、ケルトの妖精物語を作り、日本の能にも関心を寄せた。作品は神秘主義的なところもあり、いささか難解であるが、心惹かれる詩人・劇作家である。

そんな訳で、このところ、イェイツのことが頭から離れなかったのであるが、年が明けてテレビを見ていたら、またイェイツが登場した。アンソニー・ホプキンスのトーク番組である。これには驚いた。しかも、なかなか感動的なシーンであった。アンソニー・ホプキンスは、アカデミー賞に輝いた『羊たちの沈黙』や貴族の館の執事のストイックな人生を描いた『日の名残り』など、数々の作品における名演技で評価の高い英国の名優である。言うまでもなく、私の好きな俳優の一人でもある。これは米国アクターズ・スタジオが主催する俳優・監督のトーク番組であるが、ジェームズ・リプトンのインタビューが絶妙で、人気が高い。この番組にアンソニー・ホプキンスが出演するというので、楽しみに観ていたのだが、「詩が好きだ」との会話があり、突然、イェイツの話になったので、驚いてしまった。リプトンから「母親の旧姓は?」と聞かれ、「イェイツ」と答えたのだ。祖父の家系が関係あるとのこと。そして、促がされて、詩を朗読し始めた。「イニスフリーの島へ行こう、土と編み枝で家を建てよう、豆を植えミツバチの巣箱を作り、一人暮らそう、・・・」と。そう、なんと、『イニスフリーの島』であったのだ。しかも、ホプキンスは、朗読の途中、感極まって涙する。大勢の聴衆に「すまない」と照れ笑いするが、会場からは割れんばかりの拍手、感動的なシーンであった。クリント・イーストウッドといい、アンソニー・ホプキンスといい、ジョン・フォードといい、私が好きな俳優や監督たちが、こんなにもイェイツを好きとは、・・嬉しいことである。

最後になるが、私は中国東晋時代の田園詩人陶淵明も好きである。不思議なことだが、イェイツがアイルランドへの思いから詠んだ詩『イニスフリーの瑚島』と、陶淵明が故郷の田園を思い浮かべながら賦した『帰去来の辞』に流れる心情はとてもよく似ている、と思う。都会ロンドンにはないアイルランドの自然やケルトの文化に憧れたイェイツと、役人生活に嫌気がさし、故郷をめざした陶淵明、偶々好きなこの二人の詩人に共通して流れるものを、私は感じる。なんと幸せなことだろう。(山下)



イェイツのこと、アイルランドのこと[5]

2012年07月05日 | 東西の詩人詠みくらべ
 そう言えば、マーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ』の女主人公スカーレット・オハラもアイルランド系である。この映画のラストシーンのセリフ「タラに帰ろう」は印象的で、心に残る。南北戦争で、屋敷も財産も家族も愛する男も全てを失った主人公スカーレットが、アトランタの故郷タラで再び立ち上がろうとする感動的な場面でのセリフであるが、このタラの名がアイルランドにある“タラの丘”に由来していることを知る人は少ないのではなかろうか。“タラの丘”とは、首都ダブリンの北西40キロの地にある丘陵のことで、ここは、5世紀の頃、アイルランドにカトリックをもたらした守護聖人セント・パトリックが、三位一体を象徴する“三つ葉のクローバー”を手にカトリック信仰を説いた場所であり、“ケルト人の聖地”である。作者マーガレット・ミッチェル自身も19世紀の移民の家系であり、この物語に流れているのは、誇らしきアイルランド精神そのものといっていい。アメリカ南部の貴族社会が、南北戦争という“風”と共に、今、まさに、消え去ろうとする中で、アイルランド的な不屈の女主人公スカーレットがケルトの聖地に再生を誓う物語なのであろう。

ハリウッド映画全盛時代、『駅馬車』など、数々の西部劇を世に放った映画監督ジョン・フォードもアイルランド移民の子孫である。その代表作の一つ『静かなる男』はアイルランド人気質の男たちを主人公とした名作であるが、その舞台はダブリンから遥か西の太平洋側のごつごつした岩肌の荒涼とした大地のゴールウェイ近辺である。ここはジョン・フォードの祖先の故郷であり、彼はロケ地のコング村を“イニスフリー”と命名したのだ。嬉しいではないか、やはりイェイツが好きだったに違いない。この映画は、ジョン・ウェイン演じる元ボクサーの主人公ショーンが、故郷アイルランドの村に帰って来るという物語設定であるが、登場するのは、底抜けにお人好しで無鉄砲、意固地で協調性に乏しく、酒飲みで喧嘩好き等々、アイルランド魂の愛すべき男たちである。いや、男たちばかりではない、恋人役を演じる女優モーリン・オハラもアイルランド人であり、気性の強いアイリッシュ女を見事に演じていた。言うまでもないが、ジョン・フォード監督自身もこれらアイリッシュ気質そのもののような男っぽい人物であった。(山下)

イェイツのこと、アイルランドのこと[4]

2012年07月04日 | 東西の詩人詠みくらべ
 私はもともとアイルランドという国に惹かれるところがある。ケルト系の音楽も好きだし、アイリッシュ・ウィスキーもギネス・ビールもこよなく愛す。そもそも、アイルランドは紀元前よりケルト人が独自の文化を継承してきた国であるが、12世紀以降800年近く英国に支配されてきた。特に17世紀、清教徒革命の指導者クロムウェルによる侵略は、カトリック教会の破壊など残虐極まりないもので、アイルランド人は東部の肥沃な土地を収奪され、大西洋側の岩と泥炭むき出しの荒涼とした地に移住させられた。多くの人々は小作人としての奴隷的生活を余儀なくされ、痩せた土地にも生息するジャガイモを主食として辛うじて生きてきた。しかも、19世紀半ば、このジャガイモに疫病が蔓延するいわゆる“ジャガイモ大飢饉”が起きて百万人が死亡、多くのアイルランド人がアメリカに移住して行ったのである。後に米国の大統領になるジョン・F・ケネディの祖先もジャガイモ農家であったが、この時期、アメリカに移住したアイルランド移民である。こうした移民の結果、現在アメリカに在住するアイルランド系の数は、本国の人口の何倍にもなるという。しかし、建国以来の民族であるアングロサクソンはアイルランド人を軽く見て、米国における地位は低いままである。

 司馬遼太郎は、その著書『街道を行く・愛蘭土紀行』の中で、「アイルランド人は、客観的には百敗の民である。が、主観的には不敗だと思っている。」と書いている。そのくらい、アイルランドの歴史にはいいところがない。しかし、“負け続けていながら、そう思ってはいない”という、この表現がおもしろい。司馬遼太郎は、これはケルトの時代から受け継がれてきた“アイルランド人の自己に対するしたたかな崇拝心”によるものであろうと書いている。(山下)


イェイツのこと、アイルランドのこと[3]

2012年07月03日 | 東西の詩人詠みくらべ
 コーエン兄弟の『ノー・カントリー』も好きな映画の一つである。ブログに掲載した私の雑文を見た友人から電話があり、「ご存知でしたか。この映画のタイトルもイェイツの詩の引用なんですよ」とのこと。そうだったのか、コーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』を原作にしたこの映画は色んなことを考えさせる衝撃作であるが、イェイツの詩とは知らなかった。以下は、この時ブログに掲載した雑文の一節である。

・・《この映画の原題は『NO COUNTRY FOR MEN』であり、イェイツの詩『ビザンチウムへの船出』の冒頭からの引用である。
    『それは老いたる者たちの国ではない。
     恋人の腕に抱かれし若者たち
     樹上の鳥たち
     その歌と共に、死にゆく若者たち
     鮭が遡る滝も、鯖にあふれた海も
     魚も、肉も、鶏も、長き夏を神に委ね
命を得た者は皆、生まれ、また死ぬのだ。』
ビザンチウムとは現在のイスタンブール、詩人はここを永遠のユートピアと見たのであろう。“命を得た者は皆、生まれ、また死ぬのだ”、ここには無常な現実を生きながら、死への旅立ちを静かに夢想するイェイツのロマンが漂う。・・そう、死は単なる死ではなく、めくるめく永遠の生への船出なのだ。》・・

 クリント・イーストウッドの監督作品『マディンソン郡の橋』にも、イェイツの詩が登場する。これはアイオワ州マディソン郡にある小さな橋を舞台にした、大人の男と女の物語であるが、メリル・ストリープ演じる女主人公が好きな詩が、イェイツの『さまよえるアンガスの歌』であった。これは、ある男が一匹の魚を釣りあげたところ、その魚が美しい女性に変身し、そして消え去るといったロマンチックな詩である。
   「蛾に似て星のまたたけば、・・・時の滅ぶまで摘みとらん、
月の銀の林檎を、 陽の黄金の林檎を・・・」   
(山下)

イェイツのこと、アイルランドのこと[2]

2012年07月02日 | 東西の詩人詠みくらべ
 私は以前、この映画について雑文を書いたことがあるが、以下は、そのさわりである。
・・《 私はフランキーが読んでいたゲール語の詩集のことが気にかかり、映画を見た後、イェイツの書を探しに出かけることとした。そして見つけたのが、加島祥造訳『イェイツ詩集』である。この詩の原題は『The Lake Isle of Innisfree(イニスフリーの瑚島』であり、都会ロンドンで暮らす詩人が故郷への思いを込めて作った詩である。
『I will arise and go now、and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattles made
    ああ、明日にでも行こう、あの島へ、
    そして、あそこに小屋を建てよう。
    ・・・・(中略)・・・
    ああ、あそこなら、いつかは心も安らぐだろう。
安らぎは、ゆっくりくるだろう・・・・(中略)・・・』

ここにイェイツが思い描いたのは、詩人が夢見た安息の地なのであろう。しみじみとした、いい詩である。この重い物語の救いと希望はこの詩の中にある気がする。罪の意識を背負った“許されざる者”フランキーは、その後行方がわからなくなるのであるが、今もこの島の何処かで暮らしているに違いない。》・・


そんな訳で、これらのことをブログに書いたのであるが、このところ、イェイツのことが妙に心に引っかかる。旅をしても、例えば、昨年10月、仕事でサンフランシスコに出かけた折も、アイリッシュ・パブの店内に入るなり、壁に掛けられたイェイツの肖像写真が目に飛び込んできた。ニューヨークにも毎年出かけるが、5番街のゴシック建築が美しいセント・パトリック教会を見ると、アイルランドのことを思い出すのである。(山下)


イェイツのこと、アイルランドのこと[1]

2012年07月01日 | 東西の詩人詠みくらべ
 私はアイルランドの詩人ウイリアム・バトラー・イェイツが好きだ。不思議なことに、ブログにイェイツのことを書いて以来、イェイツを思い出させる小さな出来事が続いている。昨年春のこと、コンサルタントを引き受けている米国IT企業のマーケティング部門のトップが来日、夜の会食会の前に、アイリッシュ・パブで紹介された。早速、ギネスビールで乾杯、「ご出身は?」と聞くと、アイルランドとのこと。とっさに詩人イェイツを思い出し、アイルランドに“イニスフリー”という名の島はあるかと尋ねた。彼は、ほとんどの日本人はアイルランドというと、ダブリンとギネスビールのことしか話題がないのに・・・、と感激、その場で、アイリッシュデザインのTシャツを購入、プレゼントしてくれた。嬉しいではないか。そして、彼と私は、暫しの時間、仕事の話など脇において、アイルランドとイェイツについて語り合ったのである。

 『イニスフリー』とはアイルランドのある湖に浮かぶ小さな島の名である。実在する島かどうか、私は知らない。その名を知ったのは、アイルランドの詩人イェイツの詩『イニスフリーの島』においてであった。その後、イェイツのことを調べていてわかったのだが、イニスフリーとは、少年時代に過ごした母親の故郷スライゴーにある湖に浮かぶ小島のことで、名づけたのはイェイツである。ロンドンで暮らすイェイツが、都会生活に疲れた時、思い巡らしたのが、豊かな自然に溢れた故郷アイルランドであった。

この詩は、数年前、作品賞・監督賞など主要なアカデミー賞を総ナメしたクリント・イーストウッドの監督作品『ミリオンダラー・ベイビー』でも使われていたが、印象的であった。この映画は、イーストウッド演じる、裏町でボクシングジムを経営するトレーナーのフランキー・ダンとアイルランド出身のボクサー志望の女主人公マギー・フィッツジェラルドとの物語であるが、試合中、挑戦相手の反則により半身不随の障害を受ける彼女を尊厳死させることになる重い物語である。このフランキーがいつも携えているのがゲール語の詩集であるが、物語の後半、病床で身動きできないマギーに、この詩を読んで聞かせるシーンは心に沁みる。フランキーは、慈愛に満ちた表情で、「君も小屋で暮らしたい?」
とたずね、マギーは「私はレモンパイを作るわ」と答えるのであった。(山下)