TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

「エッセイ夏炉冬扇独り言」
「歴史に学ぶ人間学」
「僕流ニュースの見方」
「我が愛する映画たち」

夏炉冬扇、お茶の流儀は無手勝流、好きな茶碗は利休好みorへうげもの??

2015年12月23日 | エッセイ・夏炉冬扇独り言
友人のTaさんからお誘いがあり、池上本門寺の梅園のお茶室へ。久しぶりのお茶会である。
お茶と言えば仕事のない休日に、今は亡き妻のお点前を楽しんでいたことなど懐かしく思い出す。そもそも、お茶会に招かれることなど偶にしかない。だから、お茶会はいつも新鮮、初心者気分だ。






だが、茶碗の好みはうるさいよ。と言うのも、小生、若い頃から美濃その他の窯場を訪ね歩いた陶磁器好き、しかも志野・織部焼の作陶にのめり込んだ時期もあるからね。

そう言えばこのところ、千利休の弟子であった古田織部を描いた山田芳裕の漫画「へうげもの」が人気化しているようだ。お茶と言えば千利休だが、利休亡き後、茶の湯の第一人者となった戦国の武将古田織部の人生は面白い。❝へうげもの❞とはひょうげものと読み、現代風に言えばひょうきんなとかおどけたという意味になろうか。
抹茶茶碗はと言えば、利休好みの装飾をそぎ落とした黒茶碗など最高にいいが、織部焼の形と緑にも魅かれる。特に自由闊達な形が楽しく魅力的である。そう、まさにへうげもの、遊び心がいい。そこには桃山時代の自由と闊達な精神があって、現代に通じるものがある。



静かなお茶室でお茶をいただきながら、ふとそんなことを考えた。久しぶりにいい気分であった。