TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

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ヘルマンハープで讃美歌を歌う会

2010年11月13日 | 酔って吟じたあの一篇
 11月13日、東京YWCAで、『ヘルマンハープで讃美歌を歌う集い』が開催された。演奏したのは、ヘルマン・ハープ演奏グループ、主宰の蛎田千栄子さん、T・稲垣さん夫妻、H・岩崎氏、T・佐藤氏、K・垂水氏など。

小生、この演奏会の司会を頼まれたのであるが、映画に使われた讃美歌のことなども交えて、おおいに楽しませていただいた。演奏曲目はよく知られた讃美歌10曲。その一部を披露させていただく。

①讃美歌312番・・「・いつくしみ深き友なるイェスは・・」・・とてもポピュラーな讃美歌である。作曲はコンバース。「明治時代の中学校の唱歌集に掲載された「星の代」という曲の原曲は、この312番であり、あの頃の日本人は讃美歌を元にした歌に親しんでいたことになる。

②讃美歌310番・・「静けき祈りの 時はいとたのし なやみある世より 我を呼びいだし・・」。この曲の作詞はウイリアム・ウォルフォート。1800年代前半にイギリスで伝道した盲目の説教者であるが、記憶力に優れ、聖書の言葉のほとんどを暗記していた。

③讃美歌294番・・「みめぐみ ゆたけき ・・」・・アメリカの讃美歌中、最も有名なものの一つである。作詞はヘンリーギルモア。「主は我が牧者なり、われ乏しきことあらじ・・」への思いから作られた。作曲はバプテスト教会のオルガニスト、ブラドウェリ。単純であるが、美しい曲である。

④讃美歌285番・・音楽の好きな人は、この讃美歌を聞くと、あれっと思うかもしれない。実はこの285番はクラシックで有名な作曲家ウェーバーの代表作『魔弾の射手』の序曲か編曲されたものである。


ヘルマンハープ演奏風景


元青山学院大学教授関田寛雄氏他


司会・・賛美歌のルーツなど語る

讃美歌312番

フィリアホールで聞く、バッハの『クリスマス・オラトリオ』

2010年04月17日 | 酔って吟じたあの一篇
 青葉台で、ちょっとキュートなレディーTさんととランチ、藤沢周平の『花のあと』のことなど語り合う。この日はフィリアホールのコンサートに誘われているというので、送って行ったところ、お仲間のご婦人T・Sさんから入場券を頂戴することになり、有難くご一緒させていただいた。ご主人がPMS合唱団の一員で、この演奏会に出演しているのだそうだ。演目はバッハの『クリスマス・オラトリオ』。そう、本格的な演奏会だ。・・小生の出で立ちはジーンズにライダースジャケット、こんな格好でいいのかな(笑)。

 オラトリオというと、ヘンデルの『オラトリオ』を思い出すが、この『クリスマス・オラトリオ』はバッハによるもの。歌詞は新約聖書のルカによる福音書第2章1節~21節と、マタイによる福音書第2章1節~12節をベースに、マルティン・ルターのクリスマス讃美歌などが加えられているのだという。曲は第一部から六部、全編にわたりキリストの降誕を讃える荘厳なもので、久しぶりに格調高い音楽に包まれたひとときであった。そして、あらためて合唱の素晴らしさに感動してしまった。

 演奏はグロリア室内オーケストラとPMS合唱団。PMS合唱団(主宰松村努)はヘンデルのオラトリオ『メサイア』全曲を演奏するために発足したグループであったのだそうだ。亡き妻が若い頃、オルガニスト奥田耕天率いる合唱団『オラトリオ』のメンバーとして『メサイア』を歌っていたことなど、思いだす。

 思いがけず、格調高い演奏と合唱に包まれた至福のひとときを持つことができた。感謝!


合唱団中央付近に首藤孝雄氏                        

教会コンサートで聞くバッハのコラール『いと高き神にのみ・・・』

2010年04月16日 | 酔って吟じたあの一篇
 先輩でもある渋谷教会の役員林言彦氏からイースターコンサートの入場券が送られてきた。前回の演奏会がとてもよかったので喜んで出かけることにした。このコンサート、とても教会の礼拝堂でのものとは思えないレベルの高いものである。

 この日はバリトン歌手の青戸知、ソプラノ歌手の一小路千花、そしてオルガンの増田基子が加わっての演奏会であった。曲目はバッハのコラールやカンタータ、ヘンデルのメサイア、メンデルスゾーンのソナタ、或いは北原白秋の『この道』など馴染み深いものを含め10数曲であった。

 私の好きなバッハのコラール前奏曲、『いと高き神にのみ栄光あれ』や、カンタータ、『主の望みの喜びよ』の他、亡き妻が若い頃コーラスで歌っていたヘンデルの『メサイア』などもあり、心に沁みる演奏であった。

 ほんの目の前で聞く青戸知と一小路千花の声は素晴らしい。こんな贅沢な機会は滅多にないであろう。青戸知は声量もあり、ユーモアある語りもいい。そして、増田基子のオルガン演奏が荘厳な雰囲気を漂わせて、感激であった。


青戸知(右)、一小路千花(左)


オルガニスト増田基子



山桜咲きこぼれる西行終焉の地、弘川寺を訪ねる

2010年04月09日 | 酔って吟じたあの一篇
 今回の旅の目的は西行終焉の地、河内の弘川寺を訪ねることにあった。弘川寺は葛城山の麓にあり、天智天皇の時代に開創された寺である。西行はその晩年の文治5年、当時の座主空寂上人を慕ってこの寺に住み、翌年の文治6年2月に没した。あの歌、『願わくは花のもとにて春死なむ・・』のとおり、きさらぎの16日のことであった。

 弘川寺の本堂の右手の山桜咲きこぼれる小道をしばらく進むと、西行座像を祀る「西行堂」があり、「西行墳」がある。・・そう、西行の墓はここにあったのだ。墓の手前の歌碑に、『願わくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃』の歌が刻まれている。そして、脇には、『仏には桜の花を奉れ わが後の世を人とぶらはば』とある。・・・小生、感無量であった。

 この西行墳より東方の小高い山には、あちこちにたくさんの山桜があり、薄桃色の花が今まさに満開であった。私は、西行の庵跡のある桜山を歩きながら、妻子を捨て、ただ一人旅をつづけた西行の人生に思いを馳せた。

 西行は平安時代末期の歌人である。本名は佐藤義清、鳥羽上皇の警護にあたる北面武士であったが、23歳の時、突然出家した。出家の原因はよくわからない。しかし、この弘川寺の西行の桜山を散策しながら、ふと、出家するしかなかったであろう、やみにやまれぬ西行の思いがわかる気がした。

西行の歌を二つ

①出家するに当たって詠んだ歌

     ・・・『惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは 身を捨ててこそ身をも助けめ』

②50年にわたって旅をし、桜の美しい地に庵を構えたが、

     ・・・『とふ人も思い絶えたる山里は さびしさなくば住み憂からまし』


西行の墓


西行歌碑「願わくは花のもとにて春死なむ・・」の前で


西行庵近くの山桜



好きな句一つ、『春されば まづ咲くやどの 梅の花 ・・(憶良)』 

2010年02月05日 | 酔って吟じたあの一篇
 梅の季節、我が家の梅の花が咲いた。桃色がかった白梅である。

 久しぶりに和室の雨戸と障子を開け放ち、花見酒を楽しむ。酒は知人から送られて来た酒どころ山形が誇る“純米吟醸・出羽桜”。畳の上に一升瓶を置いて、大ぶりのぐい飲みで、ぐびぐびと豪快に。    ・・・一人暮らしのひとり酒はいささか寂しくもあるが・・。いやいや、そんなことはない、旨い酒と花があるではないか。

昨年の梅の日に、ブログ(2月17日)に書き添えた句は、大伴旅人の

   『吾妹(わぎもこ)が 植えし梅の木 見るごとに 心むせつつ 涙し流る』 であった。


さて、今年の好きな歌一句は・・・山上憶良(万葉集)としよう。

  『 春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ 』


我が家の梅の木・・(枝の剪定も小生だよ)



讃美歌のこと、映画『容疑者Xの献身』にも流れた106番

2009年12月24日 | 酔って吟じたあの一篇
 クリスマス・イブ、東京銀座教会のキャンドルサービス・クリスマス礼拝へ。
まず、東洋英和学院の女子学生達によるハンドベル演奏・・曲目はクリスマス・フェスティバルなど。
聖書は『ルカによる福音書』2章1~7節、「その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。・・」で始まる、イエス・キリスト誕生のくだりである。

 礼拝堂の照明が消され、キャンドルの光が揺れるなか、ペンライトの明かりで、讃美歌103番「牧人ひつじを、守れるその宵」、112番「もろびとこぞりて、むかえまつれ」などを歌う。

 讃美歌106番はクリスマスキャロルの定番である。曲の原題は”Gloria”、“Angels We Have Heard on High”。後半の“グロリア・イン・エクセルシス・デオ”は、カトリック教会のミサ通常文の「栄光頌(グロリア)」に用いられる聖句の一節である。ルカ福音書8節~20節を基にしている。


         荒野(あらの)の果てに、夕日は落ちて
         たえなる調べ、天(あめ)より響く、
         グロリア イン エクセルシス デオ
         グロリア イン エクセルシス デオ

         Angels we have heard on high,
         Sweetly singing o'er the plains
         And the mountains in reply
         Echo back their joyous strains.
         Gloria in excelsis Deo,
         Gloria in excelsis Deo.


 ところで、この讃美歌は、映画『容疑者Xの献身』にも使われていた。堤真一演じる石神哲哉から花岡靖子宛ての手紙の場面で流れ始める曲である。キャンドルを手にしたミッション系女学生たちが歌いながら通り過ぎる短い時間であるが、いいシ
ーンであった。(山下)



礼拝堂とハンドベル

讃美歌106 ?あら野のはてに



讃美歌のこと、映画『ダイハードⅡ』でも使われた298番

2009年12月09日 | 酔って吟じたあの一篇
 映画『ダイハードⅡ』のエンディングで使われた曲が讃美歌であることを知る人は少ないかも知れない。讃美歌298番、この讃美歌の原曲はジャン・シベリウスの交響詩『フィンランディア』である。

 19世紀末のフィンランドは帝政ロシアの圧政に苦しめられていたが、独立戦争が沸き起こりつつあった。当時、シベリウスのこの交響詩はフィンランドへの愛国心を引き起こすものとして弾圧も受けたが、その後“第二の国歌”として国民の支持を得ている。シベリウスは1941年、この曲を合唱用に編曲したが、これが『フィンランディア讃歌』である。
    
おお、フィンランドよ
見よ、お前の朝が明ける
夜の脅威は消し去った
・・・・・・・・・・・・

そして、この『フィンランディア讃歌』の中間部が讃美歌298番となったのである。いい曲である。

やすかれ、わがこころよ
主イェスはともにいます
いたみも苦しみをも    
おおしく忍び耐えよ
・・・・・・・・・・・・

『ダイハードⅡ』の監督はフィンランド出身のレニー・ハーリン。故郷への思いを込めて、この曲を映画のエンディングに使ったのであろう。映画そのものの出来は『ダイハードⅠ』には及ばなかったが、格調高いラストであった。(山下)


ルーテル東京教会






讃美歌のこと、タイタニック号船上でも演奏された320番

2009年12月08日 | 酔って吟じたあの一篇
 讃美歌320番、“Nearer,my,God,to thee” 好きな曲の一つである。妻が息を引き取る時に人工呼吸しながら歌った讃美歌でもある。

主よ、御許に近づかん
登る道は十字架に
ありともなど、悲しむべき
主よ、御許に近づかん

・詞は1841年、英国のサラ・アダムス、旧約聖書創世記28章11~12節を基に作詞された。
・現在、知られている旋律は、米国のロ-ウェル・メイソン作曲による“BETHANY”である。

この曲は、大ヒットしたジェームズ・キャメロン監督作品『タイタニック』でも使われていた。タイタニック号沈没の際、沈みゆく船上でバンドメンバーによって演奏されたのであるが、感動的なシーンであった。これは実話である。(山)


船上での演奏シーン


タイタニック沈没シーン







好きな歌一つ『世の中をおもへばなべて散る花の・・(西行)』・・・久門晨

2009年04月04日 | 酔って吟じたあの一篇
 東京の桜が満開である。天候に恵まれ、花が長く枝にとどまり、見る人を楽しませている。

上野公園の桜の下の賑わいを眺めるのも楽しいが、私が好きなのは千鳥が淵、靖国神社の桜だ。
特に、ライト・アップが終わった夜11時過ぎの千鳥が淵がとてもよかった。人影もまばらで、静寂ななか、桜の美しさが心に沁みた。


 それにしても、日本人は何と桜が好きなことか。そのことを考えると思いだされるのは、やはり西行である。西行は生涯に亘って、桜の歌をたくさん詠んだ。
  
  その西行の歌

   『世の中を おもへばなべて 散る花の わが身をさても いづちかもせむ』

       世の中のことを思うと、全て散る桜の如く、はかない。その散る花のようにはかないわが身は、
       いったいどうしたらいいのだろう・・・といった意味であろうか。

 私は西行が好きだ。桜の季節になると西行を思い出す。昨年(2008、3,27)の桜の季節にも、ブログに書いた。その時の歌は、

    『願わくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ』 であった。 ・・・心に沁みる歌だ。(山下)





好きな歌一つ『吾妹子(わぎもこ)が植えし梅の木・・(旅人)』

2009年02月17日 | 酔って吟じたあの一篇
 我が家の庭の梅の花が咲いた。
湯島天神など梅の名所を散策するのもいいが、庭で静かに梅を楽しむのも悪くない。梅は春告草(はるつげぐさ)とも呼ばれるが、梅の花が咲くと春が近いことを感じる。

現代の日本人は桜が好きである。しかし、平安時代以前は花といえばもっぱら梅であった。

 大伴旅人・・万葉集より
   『吾妹子(わぎもこ)が 植えし梅の木 見るごとに 心むせつつ 涙し流る』

 大伴旅人は奈良時代初期の政治家であり歌人である。この歌に解説はいらないだろう。小生も妻を亡くして、もう6年が経つ。春になると、一緒に植えた樹や花のことを思い出す。(山)


我が家の庭の梅の木


独り暮らしももう5年、自由を生きるも、陶淵明の境地はいまだ遠し!

2008年08月28日 | 酔って吟じたあの一篇
 妻を亡くして5年が過ぎた。一人暮らしである。

会社人生40年、長距離ランナーとしてしっかり走りゴールを切った。子供たちも独立、立派に生きている。しかし、稼いだ金を受け取る人がいないというのは寂しいものだ。給料日に帰宅すると、いつも玄関口で「ありがとう」と言ってくれた妻を思い出す。そう、男は妻や子のため、人間はそれぞれ皆、誰か大切な人のために頑張っているのだ。・・自分一人の為なら、“Some Money”があればいい、そう思って、私は会社人生をリタイアした。

 一人暮らしもいいものである。新聞も読まず、テレビも余り見ない。俗世の虚栄や野心に右往左往する人の群れとは距離を置き、付き合いたい人とだけ付き合う、そんな静かな日々である。半隠遁だが、少しは仕事もする。しかし、自らを利する為や金の為に動くようなことは決してすまいと決めた。

 一人で生きることの価値とは、“自由”であるということ。自由とは、自分の考え・価値観に則って生きるということだ。人生の一時期、こういう時を持てるというのは何と幸せなことだろう。氾濫する情報のなかで、会社や社会の価値観に縛られて生きていた時には見えなかったもの、物事の本質や人の真の姿が見えてくる。しばらく、この貴重な時を大事に生きていたいものだ。 

 陶淵明の境地に達した訳ではないが、気分は、『菊を採る東籬の下、悠然として南山を見る』である。

・・書を読み思索し、友と語らい、旅をする。・・この旅の先にあるのは、“天国”であろうか、それとも“無”か、まだ分からない。




好きな歌ひとつ・・『願わくは花のもとにて春死なむ・・・(西行)』

2008年03月27日 | 酔って吟じたあの一篇
 今日は3月27日。今年の桜前線は例年より早く、東京は本日が見頃と聞いて、夕刻前、九段下から皇居田安門・靖国神社界隈を歩いたが、今まさに咲いたばかりといった趣きの桜であった。

 小生の第二の人生のライフワークはルオーと西行研究、・・などというと格好良すぎるが、そう在りたいと思っている。ルオーについては、30年前に版画『ミゼレーレ』の中の一点を購入して以来のことであるし、西行についても好きで若い頃から時々読んでいる。

 西行は、平安末期を代表する歌人である。出家した後、桜の美しい京都東山や嵯峨、奈良吉野の他各地に庵を構えたが、生涯を通じて数多くの桜の歌を作った。桜といっても、咲き誇っている美しさではなく、散る桜を詠んだ歌が多い。

 私は、桜の季節になるとこの歌を思い出すのであるが、年と共に心に沁み入る。

     ・・・『願わくは花のもとにて春死なむ、そのきさらぎの望月のころ』・・・美しい歌だ。(山下)


皇居田安門界隈の桜、満開なり


好きな句一つ・・『勇気こそ地の塩なれや梅真白』(中村草田男)

2008年03月11日 | 酔って吟じたあの一篇
 我が家の庭の梅が咲いた。色はピンクがかった白梅だ。現代の日本人は桜が好きだが、万葉集の時代には、花といえば梅を指した。

 梅の季節になると、この名句を思い出す。私は、写生俳句とは一味違う人間探究の句を詠んだ中村草田男が好きである。草田男は虚子に入門した、『ホトトギス』の同人である。出身は愛媛松山、この地には俳人が多い。私の母方の故郷も愛媛松山、そのためか、松山への関心が強い。

 『勇気こそ 地の塩なれや 梅真白』 

     ・・いい句である。因みに,“地の塩”とは,聖書のなかの言葉だ。(山下)


我が家のピンクがかった白梅