TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

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独り暮らしももう5年、自由を生きるも、陶淵明の境地はいまだ遠し!

2008年08月28日 | 酔って吟じたあの一篇
 妻を亡くして5年が過ぎた。一人暮らしである。

会社人生40年、長距離ランナーとしてしっかり走りゴールを切った。子供たちも独立、立派に生きている。しかし、稼いだ金を受け取る人がいないというのは寂しいものだ。給料日に帰宅すると、いつも玄関口で「ありがとう」と言ってくれた妻を思い出す。そう、男は妻や子のため、人間はそれぞれ皆、誰か大切な人のために頑張っているのだ。・・自分一人の為なら、“Some Money”があればいい、そう思って、私は会社人生をリタイアした。

 一人暮らしもいいものである。新聞も読まず、テレビも余り見ない。俗世の虚栄や野心に右往左往する人の群れとは距離を置き、付き合いたい人とだけ付き合う、そんな静かな日々である。半隠遁だが、少しは仕事もする。しかし、自らを利する為や金の為に動くようなことは決してすまいと決めた。

 一人で生きることの価値とは、“自由”であるということ。自由とは、自分の考え・価値観に則って生きるということだ。人生の一時期、こういう時を持てるというのは何と幸せなことだろう。氾濫する情報のなかで、会社や社会の価値観に縛られて生きていた時には見えなかったもの、物事の本質や人の真の姿が見えてくる。しばらく、この貴重な時を大事に生きていたいものだ。 

 陶淵明の境地に達した訳ではないが、気分は、『菊を採る東籬の下、悠然として南山を見る』である。

・・書を読み思索し、友と語らい、旅をする。・・この旅の先にあるのは、“天国”であろうか、それとも“無”か、まだ分からない。